宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と2つの国】

彼なりの答え

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 舞踏会が終わって直後の事。ルルは、ルービィからの言葉に呆然としていた。再び賑わう舞台上の中、立ち止まっているのは彼だけだろう。どのくらいそうしていたか分からない。すると誰かに肩を叩かれ、過剰に体を跳ねさせた。

「おい、大丈夫かルル? こんなど真ん中で、何してるんだよ」

 ベリルは振り返った不安定に色を変える虹の目に、訝しそうに首をかしげる。皆舞踏会を終えて表情は晴れ晴れとしているのに。何か失敗でもしたのだろうか。

「どうした、舞踏会楽しくなかったのか?」

 大きな垂れ目を半分ほど伏せて、ルルはただ頭を振る。それでも不安げなのは相変わらずだった。今日はハメを外せる宴の日。そして国に大きく貢献したのに、こんな沈んだ顔をしてほしくない。
 ベリルはルルの手を取って、人々の流れとは真逆の方向へ歩き出した。

「行くぞ、あそこ」
『どこ?』

 宴の音が遠退いていく。腰に腕を回せと言われ、ギュッと彼にしがみ付いた。ベリルは腰のホルダーからワイヤーを取り出すと、それを遠くにある木の枝へ投げる。
 ルルは飛び降りた浮遊間に、既視感を覚えた。やがて目的地を理解する頃には、足が複雑に絡んだ枝に降り立つ。

「到着」
『……鳳凰の巣?』
「おう。何か食ったか?」
『ううん』
「手、出してみろ」

 ベリルはゴソゴソと懐を漁り、小さく折り畳んだ紙袋を取り出した。差し出された薄青い両手へ逆さにすると、カラフルな玉が数個落ちた。星の影と呼ばれるこれは、砂糖と蜜を混ぜた甘い菓子だ。キラキラとした見た目と蜜の違いで様々な味を楽しめる。だが親しみがあると言うには少し難しい値段で、子供の頃には憧れるものだ。
 ルルは一粒指で拾い、月の輝く空へかざす。月光が星の影を通し、蓄えた光がその身を覗く虹の瞳に落ちる。弾けるような輝きに、今はノイスでは何より暗いここが眩しく思えた。

 互いに一粒ずつ放り、しばらく口の中で転がしながら国を眺める。国民全員が女神像が佇む土地に集まっているからか、住宅街や繁華街に明かりが無い。そのため暗くなっている二つの地区は、月光によって淡い光をまとっていた。金属の皮をかぶった一軒一軒の建物が灯りを反射し、遠いここからは星のように見える。

「楽しかったか? ノイス」
『うん。ベリルたちと会えたから……とっても、楽しかった』

 ベリルは得意げに笑うと、ルルの頭をクシャクシャと掻き回すように撫でた。そしてくすぐったそうにする彼を見ると、少し顔を逸らしてボソリと呟く。

「俺も、お前と会えて、楽しかったよ」

 言った直後やはり恥ずかしくなり、ベリルはルルの頭にフードを無理やりかぶせる。押さえつけるように頭を撫でながら、フードの下で笑うような音が聞こえた。
 ルルはフードを取りながら、静かに地上の星を見つめた。

『……ねえ、好きって何?』
「アバウトだな」

 好きにも様々な種類がある。ルルはそう言うと、少し困ったように膝を抱えた。藪から棒な問いに、ベリルはルービィと何かあったのだと察しがついた。さらには告白をされたのだろうと予想できる。試しに尋ねてみれば、やはり彼は頷いた。

「嫌だったのか?」
『……ううん。ただ、分からないの』
「何が?」
『僕の感情、言葉が……考えれば考えるほど、ボヤけるんだ。今まで、いろんな人を、大好きに、なってきた。それは、分かるのに』
「ルービィが言った好きの意味は、分かるのか?」
『うん、本で読んだ。僕も……彼女には、友達として……とは違うって、分かる。でも』

 意外だとベリルは思った。彼は感情に素直で忠実だ。分からないと言いつつもそこまで感情がハッキリしているのに、どうして言葉にならないのだろう。たとえ頭を抱えるほど鈍感であっても、ここまでくれば嫌でも理解するはずだ。
 頭に響く声は苦しげで、まるで泣いてしまいそうだった。ルルは息苦しそうに胸元を握りしめ、目元をしかめる。すると歪んだ宝石の瞳に、僅かに暗い色が混ざったのをベリルは見た。彼が悩み続けると、更に汚い色は増える。その時ふと、脳裏に父親が言っていた王についての言葉が、フラッシュバックする。

「あ……そうか、お前は」
『? 僕は、何?』

 不思議そうにするルルに、ベリルは答えられずにいた。そうだ、彼があまりにも感情豊かだったから忘れていた。本来の王の姿を。彼らが感情を持たないという事を。
 王は全ての生き物から信頼され、愛される。しかしその信頼を、王は決して受け取らない。理解もしない。誰かと親しくなったり嫌ったりする事は、全てを等しく見て裁かなければいけない王には、あってはいけない感情なのだ。
 そして純粋でなければいけない彼らにとって、恋や愛などと言った感情は汚れるものでしかない。それでもルルは、理解しようとしている。理解しかけている。しかし彼の体は、王としての本能が理解する事を拒絶している。そのせいで虹の目に汚れが見えたのだ。
 ルルが恋を理解するのは不可能だ。心を持つ彼にとって、なんて理不尽な命(めい)なのか。しかもそれは、天が与える覆してはならないもの。

「言われて、想われて、嫌だったか?」
『……ううん、嫌じゃない』
「じゃあ、もし俺からそういうふうに見られてら?」

 ルルはキョトンとすると、しばらく遠くを見つめた。不思議と考えるまでもなく、嫌だと答えが出た。だって彼とは友達で、兄弟だ。それ以外には見れない。見られたくない。もしそうだったら嫌悪すら感じるだろう。考えてみる。もし他の女性からそういった好意を向けられたらどう思うのか。不思議と答えがすぐに出た。
 ルルはベリルに応えるよりも前に立ち上がる。

『行かなきゃ』

 心が急きたてる。見出せない言葉ばかりを追っていたって意味が無い。ルービィは彼女なりの表現で想いを伝えてくれた。きっと不確かで頼りない言葉になってしまうだろう。それでも、1秒でもはやく彼女へ言葉として伝えよう。旅立ちの時はもう迫っているのだから。
 ベリルはルルの表情から迷いが晴れたのが見え、ニッと笑うと立ち上がる。

「よし、行きたい場所まで送るぞ」

 ルルはスッと立ち上がった。その瞳から汚れはすっかり消え去り、どこまでもまっすぐ前だけを見つめていた。表情から迷いの霧が晴れたのはよく分かった。

「行くか」
『うん。ありがとう、ベリル』
「頼りがいある兄貴だろ?」

 ニヤッと得意げに笑った彼に、ルルはおかしそうに目を細めて頷いた。

 ワイヤーが枝を自我を持っているかのように伝って進んでいく。ノイスには7日間しか居ないのに、この振り子のような感覚には慣れてしまった。もうあと何回体験できるだろうか。もしかしたら最後かもしれない。

「着いたぞ」

 2人が降りたのは、クァイット家の敷居内。玄関前から薔薇の良い香りがする。ベリルが送ると言ってくれたため、言葉に甘えたのだ。
 ルルは、暗闇でも不思議と目立つ金の目をジーッと見つめる。別れを告げようとした彼にギュッと抱きついた。抱擁する腕には、なんだかいつもよりも力がこもっているように感じた。

「なんだよ甘えん坊」
『今日が終わったら、国を立つよ』

 からかいながらも背中を優しく摩っていた手が、ピタリと止まる。アダマスの件や宴やらで、彼が旅人である事をすっかり忘れていた。世界で唯一の色彩を持つ虹の瞳に自分の姿が映る。色とりどりに流れ続ける中、目が合う数秒間は黄金色が強く混ざった。もう二度と混ざらないかもしれない色だ。それでもベリルは満足そうな笑みを浮かべ、ルルの頭にポンと手を置く。

「未練残すなよ?」

 寂しさを見せるどころか、彼は意地悪そうに笑う。ルルは驚いたように目をパチクリさせたが、すぐ微かに口角を上げて意気込むように強く頷いて見せた。

「またな」
『うん。送ってくれて、ありがとう』

 ベリルはいつも通り、ワイヤーを遠くの枝に巻き付けて去って行った。ルルは少しの間名残惜しそうに、誰も居なくなった木々の間を見つめる。目を閉じ、深く、深く呼吸をした。吸いすぎたのか、体が余分な空気を咳で吐き出させた。
 鳴らない喉を鳴らす真似をし、意を決するように館に振り返った。一歩門に入れば、たちまち薔薇の香りが包んでくる。意識せず、指先が彼女の顔の輪郭を脳裏に浮かばせた。きっと今後香りを感じれば、脳裏を綺麗な微笑みが描くだろう。悪い気はしない。

 館の庭は迷路のようだが、毎日過ごせば短い期間でも覚えられるものだ。ルルは薔薇たちが足元を見守る中、館の扉を通り過ぎた。そのまま壁を伝うようにして裏庭へ周り、更にまっすぐ突き進む。一本の道を開ける木に括られた月型の照明が、彼の後ろを追うようにボンヤリと灯った。
 辿り着いたのは、ルービィが愛してやまない箱庭。扉に触れると、何の抵抗も無く開いた。鍵として扉を飾る国石がまだムーンストーンだから、機能していないのだ。

(1人で来るのは、初めてかも)

 いつもは彼女と一緒に入るから新鮮だ。気のせいだろうが、植物たちも主人の姿が隣に居ない事に、不思議がっているように思える。
 静かに水を流す噴水前のベンチに腰かける。初めてここに訪れた時以来、ルルの定位置となっていた。

 じっと、扉が開くのを待った。館に来る前に、ルービィにここへ来てくれるよう頼んだのだ。彼女は頷いてくれたが、少し戸惑っていたように感じた。

(未練は、残さない)

 やり残して、この14日間を悲しい記憶にしたくない。彼女たちとの記憶は波乱があれど、美しいものだから。
 もうすぐで月が太陽の明るさに消えていくだろう。その前に、旅立つ前に彼女が来てくれるのをただ祈った。

 キィと、小さな鳴き声のような音がした。扉が開かれたのだ。

「──ルル」

 小さく声が聞こえた。心構えしていたと言うのに、ルルは心臓がギュッと小さくなったような痛みを感じた。それを逃すように、背筋を正す。普段落ち着いている心臓がこんなふうになるのはきっと、名を呼んだルービィの声が緊張に震えているからだろう。閉鎖的な小屋は比較的響きやすいのに、ほとんど反響しなかった。
 ルルは感染した緊張を悟られないよう、目を細めて笑う真似をした。じゃないと、まともに会話ができなさそうだから。

『来てくれて、ありがとう』

 促すように、手を差し伸べる。ルービィは迷うように目を左右に揺らし、深呼吸するとゆっくり歩み寄り、隣に腰を下ろした。
 沈黙が流れる。たった数秒でも、いつもと違う空気感での静かな時間は、異常に長く思えてしまう。ドレスの裾を巻き込んで握る拳が汗ばむ。

『僕は貴女が大切だ』
「!」
『出会って、お喋りして……大切な人ができたと、嬉しかった。でもそれは、他の友達と、同じ大切だと、思ってた』

 思い出すのは、舞踏会に誘われたあの夜。無意識に友達とルービィを分けて考えていたと気付いた日。2年以上の旅で、計り知れないほど多くの人と出会い、たくさんの感情で手を取り合った。そんな中で、彼女だけはポツンと1人、分けている。
 友愛ではない。家族のような愛でもない。それでも、本に書かれるような性的欲求などは全く感じない。

『でも、それ、でも』
「ルル……?」

 言葉が半端な所で止まる。最後に聞こえた音は苦しげで、ルービィは心配そうに顔を覗いた。そして瞳に濁りを見て、シェーンの言葉を嫌でも実感する。考えれば考えるほど、その身を、奇跡的に作られた心を蝕んでいくのだ。
 ルービィはルルの手に自分のを重ねた。答えなどもう要らないと思うほど、こちらの胸も痛い。彼は気付くと目を合わせ、そっと頬に指を滑らせる。

『…………それでも、友達とは、やっぱり違うんだ』
「ルル、ごめんなさい、私」
『僕なりに、考えたんだ。もし、他の親しい女性(ひと)から、同じ感情を、貰ったら……どうかって。そうしたら』

 腹の辺りがグルグルする。静かにゆっくりと、汚れた何かに体の奥が侵食されていくのがよく分かった。感覚があるのに、まるで他人の体のようだ。そんな状況下で、ルルは言葉を詰まらせないよう、必死に頭の中で綴り続けた。自分の感情を言葉にする事くらい、邪魔をしないでくれ。

『──嬉しくない。貴女からの言葉は、胸を暖かくするのに、他の人だとむしろ、嫌だと分かるの』

 ルービィは言葉の意味を理解して、鮮やかなピンクの瞳を大きく見開いた。感情を理解できない。受け取れない。それでもその言葉が出るのはつまり、自分からの好意は嬉しいという感情に近いと言う事だ。これが彼の答え。穢れに侵されながらも、必死に、自分だけの感情を言葉にしてくれた。
 拒否でも肯定でもない。だが充分だ。充分、彼の感情は伝わった。
 しかしルルはハッキリとしなかったのが不満なようだった。ムッとした、泣くのを堪えるような顔をして俯く。

『……これが、精一杯なの。ごめんね、ルービィはハッキリ、答えを出したのに。望む事を、したいのに、できない』

 薄く開かれた瞳に、ドロリと汚れた色が流れる。伝えなければ。充分だという事を。今度は言葉ではなく、行動で。
 ルービィはルルの顔を胸元に寄せ、そっと抱きしめた。驚いたのか、僅かに身動ぐ。

『ルービィ──』
「ありがとう」
「?」
「貴方の考えた答えが聞けて、本当に嬉しいわ。好きよ、ルル。私の感情を受け止めてくれて、ありがとう」

 鉱石の耳を通し、トクントクンと、何か脈打つのが聞こえる。その柔らかな音は彼女の鼓動。それはルルの心臓の音と溶けるように重なった。二つは速さも大きさも違うというのに。しかし確かに合わさった鼓動は、眠気を誘うような安心感を与えた。こんなに安心するのは、きっと彼女だからだと、ルルは何故か確信できた。
 オリクトの民は人間よりも体温が低い。加えてルービィは体温が高いのか、とても暖かかった。離れるのが恋しく、ルルは思わずせがむように、彼女の背中に腕を回す。目の濁りは、いつの間にか姿を消していた。
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