宝石少年の旅記録

小枝 唯

文字の大きさ
上 下
111 / 210
【宝石少年と2つの国】

告白

しおりを挟む
 思わず足を止めると、ルルは少し遅れて気付き振り返る。

「傷の事、黙っていてごめんなさい」
『そんな事──』
「違うの。私、貴方の目が見えない事を利用したの。黙っていれば、傷が見えないから。貴方には……綺麗に見られたかった。それなのに、それ以上に最低な事をしたわ」

 ルービィは無意識に、ドレスの裾を両手で握りしめた。ああ、せっかくのドレスにシワができてしまう。
 ルルは驚いたように目を瞬かせる。そしてどこか怯えている彼女にゆっくり歩み寄り、そっと手に触れた。強張った拳はびくりと震えたが、逃がさないようにと両手で包み込む。

『利用なら、僕もしたよ』
「え?」
『奴隷だと、話したでしょ? そうすれば、深く探らないと、思ったの。ルービィは優しいから。それに、全てを知れる……だなんて、そんなおこがましい事、望んでいない。ルービィは知りたい? 僕の、全て』

 知りたくないと言えば嘘になる。しかし彼の育て親が死んだ時の悲しみや苦しみなんて、知りたくない。そんな傷口をまさぐるような事はしたくない。いくら親しくなろうとも、たとえ結ばれた相手だろうとも、無粋に踏み込んではいけない場所はある。

「……いいえ。貴方が話して、傷付くような事もあるのなら、知ろうと思わないわ」

 震える声で、首を静かに振りながら言った。ルルは虹の目を優しく細め、嬉しそうにした。

『どんな嘘をつこうとも、言葉の、綺麗さや温かさは、本物だ。心は言葉になり、言葉はその人、自身になる。言葉に乗る心は、どんな詐欺師でも、それは覆せない』

 どれだけ嘘が上手い相手でも、ほんの少しの本音が見える。それは、手探りで言葉以外頼りにできないからこそ気付いた。しかしルルはそれを知っても、嫌だとは思わなかった。むしろ人の愛しい部分と感じられる。
 言葉には、よどみと言う色味がある。悪意や企みを持つ者の言葉は、必ずルルの胸の中に重い鉛を作って教えてくれた。そんな中で、ルービィの言葉は透明と言える。真っ直ぐとした言葉や想いが、ルルは大好きだ。

『貴女の言葉は、綺麗だ。たとえその傷が、顔まであっても、肌が、爛れていても、それは変わらない。だから僕は、貴女と過ごしたの。舞踏会だって、誘われた……からじゃない。もし先に、宴を知っていたら、僕から誘ってた』

 自然とルービィの目に涙が溜まり、仄暗い中ではまるでルビーのようだった。こぼれ落ちる前に、自分よりもしなやかな薄青い指が掬う。

『行こ?』

 そう言って導く手は、人よりも冷たい。それでも不思議と暖かく、そっと握り返した。


 夕暮れになり、空の鮮やかな青に冷たい紫色が混ざりだした。出店にも灯りがつき始め、賑やかさも佳境を過ぎた。そんな頃、宴を楽しむ半分だろうか。数十の人々が噴水広場を中心にできた舞台の周囲を囲んでいた。
 食事も忘れて片手に持った酒も休め、視線が注がれるのは美しく着飾った少女たち。舞姫たちの踊りの時間だ。両手に持った、顔を覆うほどの扇が開かれる。それを合図として、舞台裏に控えている演奏者たちが一斉に音楽を奏でた。
 音に促されるように、1人の少女と1人の女性が前に出る。彼女たちは、今年10を迎える娘と伴侶を貰う娘だ。2人は細い喉を震わせ、透き通るような音で言葉を紡ぎ始める。それは最も古くから伝わる、世界共通で愛される歌。描くのは、世界の始まり。

 まだ世界に生き物が生息できる陸が存在しない、一面が海と鉱石の大地の世界。美しいとは呼べない禍々しい天では、太陽と月が絶え間なく時を刻んでいた。美を愛した神は見かね、2つの星に口付けをする。途端に世界は一変。冷たすぎる月光と灼熱の陽光は、柔らかく包み込むように。やがて光は、生命の誕生を祝福するものへと変わった。
 喜んだ神はその大地を、自らの足で歩く。その歩みの跡に国宝が誕生する。

 この歌は、今や命に欠かせない太陽と月の生誕を祝うものでもある。その2つを祀るノイスでは、特に慕われるものだろう。

 青い炎と赤い炎が扇から舞い、混ざって美しい紫へと変わっていた。それは生き物の様に観客席を漂い、空気中の冷気とぶつかって小さな火花を散らした。ルルはバラバラと降り注ぐ火の雨に手を伸ばす。触れるとパチパチ弾けるが、不思議と熱くはない。子供たちは星くずの様な火の粉を楽しそうに追いかけていた。
 音楽が、呼吸するように消える。そして流れるような、落ち着いた曲へと変わった。
 すると観客たちは、互いの顔を見合わせて微笑み合う。どちらともなく手を取り合い、舞台へ上がった。ルービィも、まだ舞台を見ているルルへ体を向ける。気付いた虹の目が不思議そうに見た。

「私と一緒に、踊って下さいますか?」

 ルルはキョトンとしたが意味を理解した。無性別ではあるが、本来ならば自分が男役として彼女をリードするべきだろう。それでも、差し伸べられた手を甘んじて取った。
 宝石や刺繍をほどこした舞台上を照らすのは、月光だけ。ほど良い明るさは、パートナーの顔だけを互いの瞳に映させる。曲は三曲続き、その間に踊る相手を変えるも良し、そのまま共に踊り続けるも良しとされていた。ルービィとルルは握り合った手を離す事はせず、最後の曲までたどり着いた。
 踊りなどした事がないせいでおぼつかない足取りだが、ルービィのおかげでなんとか転ばずに済みそうだと、ルルはホッとしていた。リードさせる形となってしまっているのが、少し心残りとなりそうだが。

『次は僕が、リードするよ。その時は、手を取ってくれる?』
「ええ、楽しみにしてるわ」

 ルービィは最後の曲に近付くにつれ、無意識に別れという文字を頭に浮かべていた。しかし当たり前のように用意された次という言葉に、くすぐったそうに笑う。その次という時の流れの中で、自分が生きているのか分からないというのに。

「でもね、私、こうやってするの嫌じゃないわ。1度やってみたかったの」
『そうなの? なら、良かった』

 言葉にはしなかったが、ルルもこの状態は嫌いではなかった。リードされてみると、相手の動きを普段以上に理解できる。そしてこう密着しているのもいい。不思議と心地良さがあった。
 最後となった曲も、あっという間に終盤に向かっていった。時の流れが早く感じる。

「私ね、貴方と初めて会った時、月の様に静かな人だと思ったの」
『今は違う?』
「最初の印象も、まだあるわ。でもね、月とは逆に、太陽の様だとも思った。柔らかいぬくもりをくれる。それでいて、とても激しい熱もある」

 彼女の声はポツリポツリと、まるで曲に添える歌の様に鉱石の耳に溶けていく。何も見えない視界の中、触れた時に描いた微笑みが浮かんだ。

『じゃあ、ルービィは花だね』
「花?」
『うん。たった一輪で、とても強く、美しく咲く。貴女の笑った顔は、花の妖精のようだと、思ったよ』
「そういうの、友達に言っちゃダメよ? 勘違いさせてしまうわ」
『ルービィだから、言ったんだけど、嫌だった?』
「も、もちろん嫌じゃないけれど」

 思った事をそのままに言う性格だから、深い意味は無いと分かってはいるが、ルービィは不覚にも顔を赤らめる。

「もう……心配になるくらい、思った事を言うんだから」
「?」

 ルルは何かいけなかったのかと、不思議そうに小首をかしげる。全く分かっていない様子に、ルービィは仕方なさそうに笑う。

「静かな人だと思えば、1人でとんでもない無茶もする。楽しい事を見つけると、幼い子供みたいに周りなんて気にしなくなるし……無邪気で、仕方のない人」

 知らない間に、踊りに忠実だった彼女の足が止まり、それに従っていたルルも立ち止まる。指が頬を滑るように撫でる。その仕草は愛でるようで、まるで溶けてしまいそうな熱があった。

「初めは表情が読めなくて、何を考えているか分からなかった。でも少しずつ分かるようになっていって……もっといろんな顔を見たくなった」
『ルービィ?』
「儚く消えそうな貴方も、子供の様に無邪気な貴方も、王と呼ばれるに相応しい厳格な貴方も──」

 曲が、空に溶けるように終わる。

「好きよ、ルル。友達ではなく、1人の人として、貴方が好き」

 ルルは少しの間目を瞬かせていたが、理解したのか大きく見開く。まるで自分だけ時間が止まったように、頭が言葉を綴らない。音の出ない口を開くが、意味もなくまた閉じられる。
 そのままで居るとルービィが何かを言った。しかし何故か世界から切り離された様に音が聞こえない。彼女はどこか恥ずかしそうに目を伏せ、それまで繋いでいた手をそっと離した。舞踏会が終わった会場は、一瞬で人混みの中へと消えてしまう。忙しなく動く人々の中で、ルルはただ1人佇んでいた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました

ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します

怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。 本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。 彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。 世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。 喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

処理中です...