宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と2つの国】

美しい人

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 ルルは一旦クァイットの屋敷に戻っていた。身支度を終えた彼を、鮮やかな花々の彩られた門先で馬車が待っていた。コランの計らいの意味を理解し、行為に甘える事にした。本当はじっくり国を見るのを含めて歩きたかったが、誰もが知る王である事を公開した今、目立ちすぎるのだ。
 屋敷を離れてから間もなく、1人用の馬車で精一杯な道の端に、人の列ができていた。皆、世界一美しいと伝承される王を近くで一眼見ようと必死だ。
 ルルはカーテンを指で退けて覗いてみるが、すぐ閉める。背もたれに体を預け、困ったように溜息を吐いた。

(隠す理由が、もう一個増えた)

 確かに美しいと称される事が多いし、この世界では何よりも誇れるものだ。しかしこれではまるで見せ物と変わらないじゃないか。
 特にただの旅人になりたいルルにとっては、あまり嬉しくない伝承だろう。それもこれから舞踏会だ。目立てばルービィにだって迷惑がかかる。どうすればいいかと逡巡するも馬の力強い脚は速く、答えが出る前にコロシアムへと辿り着いた。
 半壊してしまったが、当初の予定と変わらず宴の舞台はコロシアムとなった。瓦礫は危険と見られた物だけが速やかに撤去され、足場も整備されている。さらに、コロシアムはルービィの魔法によって生えた蔓に包まれていた。所々に薔薇が咲き、戦場跡とは思えないほど美しい。会場にするには相応しいだろう。

 馬車が止まり、扉が開けられる。しかし降りると、心配事に沈んでいた心が掬われた。賑やかさが包んでくれたのだ。会場は出店やショーなどで鮮やかに賑わい、先程までの惨状さが嘘かのように人々の顔を笑顔が飾っている。
 ルルは手招きされるように、鬱憤を忘れて馬車から降りた。盛り上がる宴の熱狂に埋もれ、彼へ意識を向ける人は居ない。無事溶け込んで楽しめそうだ。しかしそう思うもつかの間、目の前を誰かが塞いだ。見知らぬ気配の持ち主に首をかしげる。

「王様、お体の方はいかがですか?」
『……? うん、もう大丈夫。貴女は?』
「申し遅れました。私、スファレと申します。家名はハープギーでございます」

 彼女はにこやかな可愛らしい笑顔で、華やかなドレスの裾を引いて優雅にお辞儀をする。自己紹介に名を返そうとすると、顔を近づけて遮ってきた。

「私たちの命を救ってくださり、ありがとうございます」
『国宝を、解放したのは、ルービィだよ。お礼を言うなら、彼女に──』
「ああ、やはりなんてお優しい方なのでしょう! 王様、舞踏会へご出席なされるとお聞きしました。そのお相手は、ぜひ私に」
『ごめんなさい。もう、決めているから』
「どなたです? まさか、ルービィですか?」
『うん。誘ってくれたの』

 スファレは苦々しそうな顔を浮かべる。首をかしげたルルにハッとし、崩しかけていた表情を笑顔に戻した。そして身を寄せて声をひそめ、まるで内緒話をするように囁く。

「あの子は貴方様には相応しくありません」
『何故?』

 黄味の強いオレンジの瞳が、忙しなく周囲を往復する。それはある人物を探しているから。そんな視界に、望んでいた人が映った。それは話題にしているルービィ。
 ルルを探しているのだろうか、人の合間を縫って来た彼女は、彼を見つけて駆け寄ろうとした。しかしそこで、隣に居るスファレと目が合った。スファレはニヤリと口角を引き上げ、ここぞとばかりに声の音量をあげる。

「その体に傷があるからでございます」

 ルルは急に声を張った彼女にビクッと肩を跳ねさせ、若干距離を取った。しかし容赦なく間を詰められる。

「ご存知でしたか?」
『……ううん』
「やっぱり! か弱く演じている証拠です。王様、騙されてはなりません。檻を解こうと、野蛮に抗った時についた傷なんです」

 その声は人集りに小さくなりながらも、ルービィまで届いていた。彼女はストールで隠している胸元を無意識に握る。
 この傷が刻まれたのは、まだアダマスがシェーンを収容して間もない頃だ。反逆者が処刑されたため、彼に反抗しようとする者はほぼ居なくなっていた。そのため、彼女は1人ででもと塔へ乗り込み、救おうとしたのだ。アダマスと対峙しなんとか魔法で交戦したが、その時は彼の方が上手で敗れてしまった。反逆者として殺されそうになったが、シェーンの計らいによって、この傷だけで済んだ。

(傷がついた事に、後悔はない。でも──)

 どんな理由であれ、傷物だという事実は変わらない。大きな傷があれば嫁ぐ事だって難しくなる。そしてそれを黙っていたのはやはり、美しさが重要となる世界では後ろめたいと思うところがあるからだろう。
 ルービィは思わず俯いた。冷静に考えて、彼の隣には相応しくないだろうか。スファレよりも血気が盛んなのも間違っていないし、彼女の方が華がある。事実、彼女は男を虜にする。

『貴女は、大事な存在のために、ついた傷を……野蛮だと言うの?』
「え?」

 スファレの喉からヒュッと、歪な呼吸音がした。気付かなかった。ルルのこちらを見つめる瞳が、すっかり冷え切っている。ほとんど表情の無い彼から感情を見つけ出す事は難しい。関わりが無かったから余計にだ。それでも、今向けられる眼差しが、軽蔑以外の何でもない事はひしひしと伝わってくる。
 笑顔が引きつるのが自分でも分かった。それでも彼女は必死に食いつく。王に気に入られれば、今後の安泰は絶対だ。彼が何かしなくてもいい。ただその肩書きだけが要るのだ。

「で、ですが美しくない事は確かです! それにあの子は私より──」

 薄青い両手が伸びて、顔を包むように頬に触れた。グッと顔が近付き、虹の瞳にオレンジ色が深く混ざる。なんて美しいのだろう。間近に迫れば、心臓が強く脈打ち呼吸が止まってしまう。

『つまらない』
「──へっ?」

 思わず間の抜けた声を出し、目をパチクリとさせた。話を遮ってまで何を言い出すかと思えば、スファレにとっては藪から棒な言葉。一体何故突然そんな事を言ったのか分からない。
 じっと見つめていた虹の目がスッと細くなると同時、離れていく。

『貴女は、何故自分に、自信が無いの?』

 はぐらかしでもなんでもないのが、至極不思議そうな声色でよく分かった。そのせいか余計混乱し、言葉を紡げない。今まで自分が1番だと信じていた。可愛く笑っていれば、周りは簡単に持ち上げてくれたのだから。自分だって、好かれている姿が好きだ。

「ど、どうしてそう、思われるのですか?」
『だってさっきから、貴女は、自分の事ではなく、ルービィの悪い所を、必死に、歌っているから。自分を本当に素晴らしいと、思うのなら、周囲をわざわざ、下げる事はしない。そういう人たちは、周りではなく、自分を愛するから。だから貴女の意見は、つまらない』

 胸の奥が突き刺されたように痛くなった。今度はスファレが胸を両手で抑え、俯く。しかしその顔はまたルルの手によって引き上げられる。

『もったいない。貴女の中に、貴女が居ない。ちゃんと、美しいはずなのに、言葉のせいで、醜い』
「──そ、そんな事を私に言ったのは……アナタが初めてだわ……っ!」

 すると小さくも乱暴に叫んだ彼女に、紫の薄い唇は僅かに弧を作った。今の彼女は媚びず、自分の感情に素直になっている。傲慢だがこの方が断然いい。

『もっと、本当の自分を、大事にして。演じた人には、演じる人しか、着いてこない』

 無礼を働いたにも関わらず、とても優しい声だった。暖かさが促す様に、目の奥がツンと痛くなり涙がポロポロとこぼれる。本当に自分を大事にしろだなんて、誰も言わなかった。父や母からも、自身を殺して生きていけと教えられていたから。
 視界が水面のようにボヤけ、遅れてスファレは泣いているのだと気づく。人の前でなくだなんて、なんてはしたないのだろう。そう思った時、形を涙で崩された目の前を誰かが塞いだ。

「ルル、もうよして。女の涙は、そう簡単に見ては駄目よ」

 割って入ったのは、彼女の涙をいち早く見つけたルービィだった。庇うように立つ彼女の言葉に、ルルは咄嗟に謝罪すると、見えない目を閉じる。毅然とした淑女の涙を見ていいのは心に決めた相手だ。

「ど、どうしてっ? あんなに、意地悪したのに」
「過去の事よ。私は気にしていないもの。貴女が女性として何よりも努力しているのは、分かっているわ」

 ルービィはいつもと変わらず、花のような笑みでハンカチを差し出した。スファレは受け取りながら、改めて自分の感情を理解する。そうだ、自分はあの薔薇のような笑顔に憧れたんだ。何も飾らなくても、媚びなくても目を惹きつける彼女に。追い付こうとしているうち、目的を間違ってしまった。

「あの、ごめんなさい。今まで、意地悪して」
「ありがとう、謝ってくれて。そうだ、今度お茶会をしましょう? ゆっくりお喋りしたいわ」
「……さ、参加、してあげなくも、ないわ」

 こんなにあっさり許してくれるとは思わなかった。彼女の気にしていないという言葉が、事実なのだと理解すればするほど、羞恥を覚える。
 不覚にも赤くした顔を逸らし、辿々しく応えた。ルービィはそれにおかしそうに笑う。目を閉じたままのルルは状況が分かっていないようで、不思議そうに首をかしげていた。そんな彼へ、スファレは姿勢を正すと深く腰を折る。

「王様、邪魔をして申し訳ありませんでした。舞踏会を是非、お楽しみください」
『ううん、スファレも』
「ルービィも、ごめんなさい」
「いいえ、楽しみましょうね」

 スファレは礼儀も忘れ、まだ赤い顔を下げると、微笑む2人から逃げる様に去って行った。この空間は、今の彼女には優しすぎるのだ。
 軽く手を振ったルービィは安堵の息を吐く。彼女の涙が、傷付いたものではなくて良かった。まさかルルが誰かを傷つけるような真似はしないとは思うが、彼はどうにも、思った事をそのまま言葉にしてしまう。だから少しだけ心配していた。

「何を言ったの?」
『自分を、大事にしてって』

 途中からどんな会話をしていたのか聞き取れなかったが、自分の話題からそんな話になっていたとは。ルルは付け加える。

『さっきまでの彼女は、他人ばかりで、つまらないから』
「まさか、それも言ったの?」
『うん』
「もう……ルルったら」
『大丈夫だよ。あの人が脆いのは、今だけだから』

 面識が無く、多少の会話だけでそんな確信を得れるのか。やはり彼は、全ての存在を平等に心の目で見ている。

「貴方は不思議ね。思った事をそのままに言っても、誰も傷付けない。簡単にはいかないわ」
『傷付ける意図が、無いのに?』
「だから忖度が生まれるのよ」
『……不器用だね』
「あははっ本当」

 2人は会場へ向かった。周囲は暗くなり始め、黒と赤が美しく混ざる夕刻だった。肩にかけるストールと色が似ていて、ふとルービィは先程のスファレの言葉を思い出す。
 あれはただ一方的に槍を向けた暴言だ。しかし全くもって的外れなのかと言えば、そうでもない。何故なら傷を隠していたのは、美しく見せようと演じるためだ。それに加えて、黙っていれば見えないというルルの盲目を利用した。脳裏を理性と本能が争っていると、舞台は目前に近付いていた。
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