宝石少年の旅記録

小枝 唯

文字の大きさ
上 下
100 / 210
【宝石少年と2つの国】

見つけた扉

しおりを挟む
 地下を通って、女神像近くの地上へ顔を出した頃、すっかり辺りはオレンジに染まり切っていた。場所は割れているが、それでも迫り続けるタイムリミットにベリルは生唾を飲んでしまう。
 2人は噴水の影に隠れて入り口をチラリと見る。1人だけ、瞳を左右に忙しなく動かしている見張りの騎士が居た。このままでは、僅かに動いただけでもこちらに気づかれる。小石でも投げて遠くで音を鳴らそうと思っても、周囲は綺麗に整備されていて、石はおろかゴミも無い。
 そこで後ろで控えているルービィが、次の手に迷っているベリルの肩に叩いた。振り向いた彼に小声で案を伝える。

「私に任せて」

 彼女はどうするのか分からず金の目をパチクリした彼に、前を向くよう促す。優しく吹く風に合わせる様に、深くゆっくりとした呼吸をして、まだ人の柔肌でいる手を前に翳した。
 ベリルはその直後、奇妙な感覚を覚えた。世界に漂うのは、葉すら動かさないそよ風。しかし自分の肌を撫で、ルービィの指にまとった風は強く、疾風に近かった。世界から切り離されたその風は、彼女の指の動きに従って走り、女神像の背後にある木々の枝を小さく揺らした。
 その音は人が揺らしたような不自然な音に近く、それまで足を地面に縫い付けた様に動かなかった騎士をあっさり動かす。彼は訝しそうに女神像裏へと行ってしまった。

「私の魔法よ。自然の力を借りれるの。さ、行きましょう」
「あ、おお」

 ポカンとしていた彼の手を引いて立たせ、急いで門をくぐった。

~               **              ~               **                 ~

 女神像の中で大まかに分かれている5階の内、3階の食堂にヴィリロスとコランは移っていた。全ての部屋を入念に探すのはおそらく意味がないと、ヴィリロスが提案したのだ。
 この塔には、皆が常時使用する部屋以外にいくつも隠し部屋があり、そこへの通路が張り巡らせている。イェネオス家の彼が覚えていない部屋は、アダマスが使っているだろう。1人静かに準備をするなら、きっと誰もが入れる部屋よりも、そういった場所に居るはずだ。
 一見して、普段から訪れる食堂には妙な物は無い。巨大なシャンデリアが見下ろす、大きなテーブルに敷かれた真っ白なクロスにも、小さな汚れすら見えなかった。それぞれの椅子の前に置かれた花も生き生きとしている。暖炉の中もいつもと変わらない。
 壁に取り付けられた時計が、もう夕飯時を指している。

「今外に人は居ないようです」
「試すなら今か」

 ヴィリロスは広がった四方の壁を見渡し、出入り口から見て向かいの壁に触れる。コランはその様子に呼吸を抑えた。今から行う事は、音を出来るだけ抑えなければならないのだ。
 確かめるように壁を撫でていた手がピタリと止まる。ヴィリロスは懐から、光を銀に反射する小さな石を取り出した。金属にも見えるが、少し違う。これはガラスと銀を混ぜた人工石で、中は空洞だ。そのため硬い物をぶつけると、ぶつかった物同士で波紋を描くように美しい音を広げる。それも、相手が空洞であればより大きな音が響く。
 隠し部屋に通じる道があるのならば、分厚い壁があろうとも空洞がある。つまりこの石を使う事によって、空洞の広さを見極められるのだ。隠し部屋が無ければ、聞こえる音は限りなく小さいため判断は簡単だろう。既に4階は調べ済みだ。

 ヴィリロスは唇に指を添え、しーっと静かな息を吐く。準備が出来ているという意で頷いたコランを視界の端に捉え、壁をノックするように石をぶつけた。
 コーン……コーン……と等間隔で、部屋に澄み渡った音が響く。音としては小さいが、不思議と骨に直接響き、まるで耳元で囁かれたようだった。部屋全体にこだまする音が止んだ直後、ヴィリロスは控えめだった呼吸を完全に止める。全神経を聴覚へ集中させた。
 目を閉じ、何もかも遮断した暗闇の中。いつもより聞こえる鼓動に混ざり、ほんの僅かに壁の奥で音の反響を聞いた。階段があるのか、音は遠くへ走っていって消える。

「ここだ」
「! その先に隠し通路が……?」
「だが何もそれらしい形跡が見当たらない」

 見渡した幾何学模様が刺繍された壁には、小さな隙間すら見えない。
 秘薬を飲み干したコランの視界は今、奇妙なほどによく見える。まるでレンズを間近で、永遠と覗いているかのように。激しく動けば酔ってしまいそうだ。

「何か仕掛けがあるのでは?」
「ふむ……すまない、記憶が抜けている」
「手分けして探しましょう」

 月が眩しく見えるまで、あと数時間も無い。心の奥底で焦りながらも、お互いに頭は冷静に働かせる。

 しかしそのまましばらく、何も見つからなかった。
 ヴィリロスが試しに灯り全てを消した。ランタンの中で満たされた油に浮かぶ石が、薄暗い部屋を眩しく照らした。灯りはスポットライトの様に壁を白く輝かせる。光を四方の壁や天井、テーブルと暖炉付近を行き来する。すると暖炉を照らした一瞬、コランは視界にチカリとした鋭い輝きを見つけた。

「ヴィリロス、暖炉に」

 移動した光を再び暖炉へ向けられる。
 眇められた桃色の目は、火が消されて炭や木も掃除された暖炉ではなく、その少し上を捉えていた。暖炉上部の壁を飾る花の形に作られた宝石。ノイスの代表花であるヴィクトーア。白と赤のグラデーションを持つ大きな花びらと、太い茎が特徴的な花だ。
 コランはその美しい光を反射させるヴィクトーアの花びらの隙間に、赤い光を見つけた。

「そのままで」
「何かあれば剣を抜こう」

 心強い仲間を背に、コランは暖炉前に近寄る。精巧に作られた繊細な花びらの奥へ、そっと指を入れた。その瞬間、指の腹に鋭い痛みが走った。

「っ!」
「どうした」

 駆け付けたヴィリロスは、咄嗟に引っ込めた彼の手を見る。人差し指の第一関節に、パックリと深く傷が入っていた。間違いなく刃物の切り傷だ。こんな食事をする場所に、刃物など置かれているはずない。
 ヴィリロスは抜いた剣を腰に刺し直し、ハンカチを細く切ると傷口に巻いた。しかし怪我を負った本人は全く反応を見せない。一体何だと、暗闇では良く映える赤みを持つピンクの目が見る先を辿る。ランタンで照らした花びらの真裏に、ギラリとした光があった。本物のような花に、ピッタリと合わさるようにして真っ赤な刃が隠されている。

「仕掛けの一部、か?」
「ヴィリロス、血が……」

 彼の血がポタポタと刃を滑り、暖炉の中へ滴り落ちる。全てが静止している世界で唯一動くそれに、2人は目を凝らして行先を追った。落ちた先は、普段は石と木が置かれる真っ白な皿の中。真っ白な肌が赤く汚れる。するとそれを覗き込んだ彼らの目が、驚きに見開かれた。
 それまでまっさらだった底が、血に濡れた事によって絵を浮かび上がらせていた。描かれたのは、見た事のない魔法陣。しかしコランにはそれが、邪なものであるというのが理解できた。最後の線が繋がった時、魔法陣が輝きだす。
 ゴゴゴ……と地響きの様な、重たい物を無理に動かす音が響く。2人は暖炉から距離を取った。

「これ、は」
「なんとも、悪趣味な仕掛けだ」

 視線が逸らせない彼らは、未だ信じられないという様な、呆けた反応を見せた。しかし目の前の出来事は、全て受け入れるべき現実だ。それまで暖炉があった目の前の壁が、扉の様に口を開けている。暗闇を抱えたその道は、自分を見つけた2人に早く入れと言わんばかりに動かない。
 ヴィリロスとコランは互いの顔を見合い、緊張に息を呑みながら、扉の中へ共に足を踏み込んだ。後ろで静かに扉が閉まり、引き伸ばされていた影が途絶える。ランタンの光さえ飲み込む暗闇に足が囚われ、迂闊に動けない。この闇は不自然だ。隙間ない閉鎖的な空間であっても、あまりにも黒すぎる。いくら経っても視力を取り戻せない。
 意図的なものであれば、コランにはいくつか勝機があった。目を閉し、心の中で光を誘う。すると彼の周囲に柔らかな光の粒が舞い始めた。光は足元、手元、天井などを照らして道を示す。

「行きましょう」
「あまり力を使いすぎるな」
「今日ばかりは、心配無用です。後ろを任せましたよ」

 彼は目を開く事はせず、そのまま平たい階段を下る。この力は多少なりとも集中する必要があるため、できるだけ世界を遮断したいのだ。ヴィリロスはそれを察したのか剣を再び抜き、彼を中心として浮遊する光を頼り周囲を警戒する。
 しかし、最後の1段を足が踏み終えてなお、何も襲い掛からなかった。警備1人くらいは居るだろうと考えていたが、ネズミの足音すら聞こえない。コツン……と、2つ分の足音が狭い廊下に響いた。しばらくは呼吸すら抑えて周囲の音に集中した。だがやはりここに居るのは自分たちのみ。アダマスは誰も入れないなどとたかを括ったか? 道は更に続いている。
 コランの目がこちらを向いた。それは先へ進む事への同意確認の意。ヴィリロスは頷き、視線を前へ転がした。

 成人男性2人がギリギリ通れるほどの細い道。先が黒すぎて永遠と続きそうに見えたが、終わりはすぐに訪れた。光の照らす目の前に壁が現れたのだ。

「この部屋は……?」

 光と共に視線を上げる。こちらを見据えていたのは、巨大な瞳。壁だと思ったそれは、ノイスを見守る女神像の目と全く同じ形をした扉だった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです

青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく 公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった 足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で…… エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた 修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく…… 4/20ようやく誤字チェックが完了しました もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m いったん終了します 思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑) 平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと 気が向いたら書きますね

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

処理中です...