宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と2つの国】

見つけた扉

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 地下を通って、女神像近くの地上へ顔を出した頃、すっかり辺りはオレンジに染まり切っていた。場所は割れているが、それでも迫り続けるタイムリミットにベリルは生唾を飲んでしまう。
 2人は噴水の影に隠れて入り口をチラリと見る。1人だけ、瞳を左右に忙しなく動かしている見張りの騎士が居た。このままでは、僅かに動いただけでもこちらに気づかれる。小石でも投げて遠くで音を鳴らそうと思っても、周囲は綺麗に整備されていて、石はおろかゴミも無い。
 そこで後ろで控えているルービィが、次の手に迷っているベリルの肩に叩いた。振り向いた彼に小声で案を伝える。

「私に任せて」

 彼女はどうするのか分からず金の目をパチクリした彼に、前を向くよう促す。優しく吹く風に合わせる様に、深くゆっくりとした呼吸をして、まだ人の柔肌でいる手を前に翳した。
 ベリルはその直後、奇妙な感覚を覚えた。世界に漂うのは、葉すら動かさないそよ風。しかし自分の肌を撫で、ルービィの指にまとった風は強く、疾風に近かった。世界から切り離されたその風は、彼女の指の動きに従って走り、女神像の背後にある木々の枝を小さく揺らした。
 その音は人が揺らしたような不自然な音に近く、それまで足を地面に縫い付けた様に動かなかった騎士をあっさり動かす。彼は訝しそうに女神像裏へと行ってしまった。

「私の魔法よ。自然の力を借りれるの。さ、行きましょう」
「あ、おお」

 ポカンとしていた彼の手を引いて立たせ、急いで門をくぐった。

~               **              ~               **                 ~

 女神像の中で大まかに分かれている5階の内、3階の食堂にヴィリロスとコランは移っていた。全ての部屋を入念に探すのはおそらく意味がないと、ヴィリロスが提案したのだ。
 この塔には、皆が常時使用する部屋以外にいくつも隠し部屋があり、そこへの通路が張り巡らせている。イェネオス家の彼が覚えていない部屋は、アダマスが使っているだろう。1人静かに準備をするなら、きっと誰もが入れる部屋よりも、そういった場所に居るはずだ。
 一見して、普段から訪れる食堂には妙な物は無い。巨大なシャンデリアが見下ろす、大きなテーブルに敷かれた真っ白なクロスにも、小さな汚れすら見えなかった。それぞれの椅子の前に置かれた花も生き生きとしている。暖炉の中もいつもと変わらない。
 壁に取り付けられた時計が、もう夕飯時を指している。

「今外に人は居ないようです」
「試すなら今か」

 ヴィリロスは広がった四方の壁を見渡し、出入り口から見て向かいの壁に触れる。コランはその様子に呼吸を抑えた。今から行う事は、音を出来るだけ抑えなければならないのだ。
 確かめるように壁を撫でていた手がピタリと止まる。ヴィリロスは懐から、光を銀に反射する小さな石を取り出した。金属にも見えるが、少し違う。これはガラスと銀を混ぜた人工石で、中は空洞だ。そのため硬い物をぶつけると、ぶつかった物同士で波紋を描くように美しい音を広げる。それも、相手が空洞であればより大きな音が響く。
 隠し部屋に通じる道があるのならば、分厚い壁があろうとも空洞がある。つまりこの石を使う事によって、空洞の広さを見極められるのだ。隠し部屋が無ければ、聞こえる音は限りなく小さいため判断は簡単だろう。既に4階は調べ済みだ。

 ヴィリロスは唇に指を添え、しーっと静かな息を吐く。準備が出来ているという意で頷いたコランを視界の端に捉え、壁をノックするように石をぶつけた。
 コーン……コーン……と等間隔で、部屋に澄み渡った音が響く。音としては小さいが、不思議と骨に直接響き、まるで耳元で囁かれたようだった。部屋全体にこだまする音が止んだ直後、ヴィリロスは控えめだった呼吸を完全に止める。全神経を聴覚へ集中させた。
 目を閉じ、何もかも遮断した暗闇の中。いつもより聞こえる鼓動に混ざり、ほんの僅かに壁の奥で音の反響を聞いた。階段があるのか、音は遠くへ走っていって消える。

「ここだ」
「! その先に隠し通路が……?」
「だが何もそれらしい形跡が見当たらない」

 見渡した幾何学模様が刺繍された壁には、小さな隙間すら見えない。
 秘薬を飲み干したコランの視界は今、奇妙なほどによく見える。まるでレンズを間近で、永遠と覗いているかのように。激しく動けば酔ってしまいそうだ。

「何か仕掛けがあるのでは?」
「ふむ……すまない、記憶が抜けている」
「手分けして探しましょう」

 月が眩しく見えるまで、あと数時間も無い。心の奥底で焦りながらも、お互いに頭は冷静に働かせる。

 しかしそのまましばらく、何も見つからなかった。
 ヴィリロスが試しに灯り全てを消した。ランタンの中で満たされた油に浮かぶ石が、薄暗い部屋を眩しく照らした。灯りはスポットライトの様に壁を白く輝かせる。光を四方の壁や天井、テーブルと暖炉付近を行き来する。すると暖炉を照らした一瞬、コランは視界にチカリとした鋭い輝きを見つけた。

「ヴィリロス、暖炉に」

 移動した光を再び暖炉へ向けられる。
 眇められた桃色の目は、火が消されて炭や木も掃除された暖炉ではなく、その少し上を捉えていた。暖炉上部の壁を飾る花の形に作られた宝石。ノイスの代表花であるヴィクトーア。白と赤のグラデーションを持つ大きな花びらと、太い茎が特徴的な花だ。
 コランはその美しい光を反射させるヴィクトーアの花びらの隙間に、赤い光を見つけた。

「そのままで」
「何かあれば剣を抜こう」

 心強い仲間を背に、コランは暖炉前に近寄る。精巧に作られた繊細な花びらの奥へ、そっと指を入れた。その瞬間、指の腹に鋭い痛みが走った。

「っ!」
「どうした」

 駆け付けたヴィリロスは、咄嗟に引っ込めた彼の手を見る。人差し指の第一関節に、パックリと深く傷が入っていた。間違いなく刃物の切り傷だ。こんな食事をする場所に、刃物など置かれているはずない。
 ヴィリロスは抜いた剣を腰に刺し直し、ハンカチを細く切ると傷口に巻いた。しかし怪我を負った本人は全く反応を見せない。一体何だと、暗闇では良く映える赤みを持つピンクの目が見る先を辿る。ランタンで照らした花びらの真裏に、ギラリとした光があった。本物のような花に、ピッタリと合わさるようにして真っ赤な刃が隠されている。

「仕掛けの一部、か?」
「ヴィリロス、血が……」

 彼の血がポタポタと刃を滑り、暖炉の中へ滴り落ちる。全てが静止している世界で唯一動くそれに、2人は目を凝らして行先を追った。落ちた先は、普段は石と木が置かれる真っ白な皿の中。真っ白な肌が赤く汚れる。するとそれを覗き込んだ彼らの目が、驚きに見開かれた。
 それまでまっさらだった底が、血に濡れた事によって絵を浮かび上がらせていた。描かれたのは、見た事のない魔法陣。しかしコランにはそれが、邪なものであるというのが理解できた。最後の線が繋がった時、魔法陣が輝きだす。
 ゴゴゴ……と地響きの様な、重たい物を無理に動かす音が響く。2人は暖炉から距離を取った。

「これ、は」
「なんとも、悪趣味な仕掛けだ」

 視線が逸らせない彼らは、未だ信じられないという様な、呆けた反応を見せた。しかし目の前の出来事は、全て受け入れるべき現実だ。それまで暖炉があった目の前の壁が、扉の様に口を開けている。暗闇を抱えたその道は、自分を見つけた2人に早く入れと言わんばかりに動かない。
 ヴィリロスとコランは互いの顔を見合い、緊張に息を呑みながら、扉の中へ共に足を踏み込んだ。後ろで静かに扉が閉まり、引き伸ばされていた影が途絶える。ランタンの光さえ飲み込む暗闇に足が囚われ、迂闊に動けない。この闇は不自然だ。隙間ない閉鎖的な空間であっても、あまりにも黒すぎる。いくら経っても視力を取り戻せない。
 意図的なものであれば、コランにはいくつか勝機があった。目を閉し、心の中で光を誘う。すると彼の周囲に柔らかな光の粒が舞い始めた。光は足元、手元、天井などを照らして道を示す。

「行きましょう」
「あまり力を使いすぎるな」
「今日ばかりは、心配無用です。後ろを任せましたよ」

 彼は目を開く事はせず、そのまま平たい階段を下る。この力は多少なりとも集中する必要があるため、できるだけ世界を遮断したいのだ。ヴィリロスはそれを察したのか剣を再び抜き、彼を中心として浮遊する光を頼り周囲を警戒する。
 しかし、最後の1段を足が踏み終えてなお、何も襲い掛からなかった。警備1人くらいは居るだろうと考えていたが、ネズミの足音すら聞こえない。コツン……と、2つ分の足音が狭い廊下に響いた。しばらくは呼吸すら抑えて周囲の音に集中した。だがやはりここに居るのは自分たちのみ。アダマスは誰も入れないなどとたかを括ったか? 道は更に続いている。
 コランの目がこちらを向いた。それは先へ進む事への同意確認の意。ヴィリロスは頷き、視線を前へ転がした。

 成人男性2人がギリギリ通れるほどの細い道。先が黒すぎて永遠と続きそうに見えたが、終わりはすぐに訪れた。光の照らす目の前に壁が現れたのだ。

「この部屋は……?」

 光と共に視線を上げる。こちらを見据えていたのは、巨大な瞳。壁だと思ったそれは、ノイスを見守る女神像の目と全く同じ形をした扉だった。
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