宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と2つの国】

今だからこその誓いを

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 ルービィの案を遂行するためには、まずはこの家から脱出する方法が必要だ。なにせ守るためという建前で置かれた、見張りの騎士が居るのだから。裏庭から出て行けばいいのだが、朝になればおそらくバレる。

「少し眠ってもらおうか」

 コランは振り返り、階段付近からコツコツとエントランス中央へ歩く。騎士と向き合う形になり、急に近づいて来た彼へ訝しげな視線が注がれる。そんな彼らへ手を翳す様に腕をかかげた。

「妖精たち、彼らを安らかに眠らせてやっておくれ。聖なる光の中で、甘美な夢を見せ、全てを忘れさせる微睡を──」

 歌う様に、囁く様に言葉を紡ぎ、彼は指揮者の様に手をゆったりと動かした。その動きに騎士は槍を構えるが、言葉が終わると共に徐々に力が抜けてくる。やがて周囲を星の様に煌めく粉が舞ったと思えば、クスクスと可愛らしい声が聞こえてきた。それはとても心地良く、抗う気が削ぎ落とされていく。
 騎士はそのまま壁に寄りかかると、腰を落として目を閉じてしまった。スゥスゥと寝息が聞こえて来る。深い眠りに落ちたのだ。

「ふぅ……ありがとう」

 集まってきた妖精たちの声にコランは微笑む。光の精霊の加護を受けた彼は、妖精に魔力を代償として協力を仰ぐ事が出来る。代償が少し大きいため、滅多に使わないが。今は疲労に息を整えている瞬間すら惜しい。

「さあ、そこへ案内してくれ」
「はい!」

 2人は念のため、正面口ではなくルービィの自室から外へ出ると、薔薇が生い茂る庭に身を潜めながら移動した。人の気配が無い事を確かめながら、彼女を先頭に2頭が繋がった馬へ跨り、駆け出す。目指すは太陽の地区だ。


 狭い道を馬が駆け抜ける。普段が賑やかなだけに、硬い地面を蹴るヒズメの音が不気味に響いた。ルービィたちは、以前本人から聞いた住所を頭の中で辿り、家々の隙間に入り込む様な場所に建つ一軒家を目指す。
 辿り着いたのは、太陽の地区では比較的日陰になる様な奥にある家。ルービィは馬から飛び降り、古ぼけた機械仕掛けの時計を飾るドアを叩いた。コランも遅れて追いついた頃、扉が開かれ、中から伺う様子でベリルが顔を出した。

「ベリルっ……!」
「え、ルービィ? って、コランさんも。何でこんなとこ」
「力を貸してほしいの」
「と、とりあえず中へ」

 太陽の地区に月の民が居るのはあまり良く見られない。さらにはこんな事態だ。妙な勘違いをされてもおかしくない。
 ベリルは2人を入れてから少しだけ辺りをキョロキョロする。彼女たちが来たのなら、もう1人居てもいいと思ったのだ。

「ルルは居ないわ。アダマスに捕まったの」
「はあ?! 何で急に!」
「鉱石病の元凶だと、濡れ衣を着せられてしまったのです。証拠だという代物に、彼が作ったであろう好物の糸も用意して」

 そんな物があったのかと思ったが、すぐベリルの頭が記憶を引き出して見せた。思い出すのは、刺客から逃げている際に使った好物の膜。あれが残っていたのだ。
 ベリルは手で顔を覆って深く溜息を吐いた。しかしアダマスも、随分と大胆な事をしてきたものだ。鉱石病が流行ったのは、神の望みか悪戯か。

(それにしたってタイミング良すぎだろ……)

 考えれば考えるほどに怒りが湧いてくる。しかしそれは、沸騰を迎える直前に静まり返った。
 ベリルは訝しそうに顔をしかめる。本当に、これは偶然では片付けられないほどのタイミングの良さじゃないだろうか。そしてもっと冷静になって考えてみる。

「アイツがただ、何の抵抗もなく捕まるとは思えないな……」

 ルービィとコランは、小さな発言にハッとする。確かに、ルルならば逃げる手段はたくさんあったはずだ。宝石を使わずとも、彼の強さでは回避は可能だろう。それでも逃げず、捕まる事を選んだというのには意味があるのでは?
 もし鉱石病が意図的であるとして、ルルも同じ事を考えていたとしたら? やはり疑い深いのはアダマス。根源を探るためには、捕らえられるのを利用するのが自然だ。
 ならばこちらも慎重に動く必要がある。ただ焦って助けに行ったら、逆に足を引っ張る結果になりそうだ。ルルが捕まったフリをしているのなら、こちらも護身をするために見捨てたフリをしよう。

「コランさんは、今まで通り塔へ行ってください。ルルの居場所が違和感なく調べられるのは貴方だけ。分かったら俺らも一緒に行きます」

 相手は一般市民が手出しできない柱の1人。しかし運がいい事に、コランも五大柱の1人だ。そのおかげで太刀打ち出来る希望がある。

「分かりました。情報はこの石を通しましょう」

 コランは腰に下げた袋の口を結ぶ紐を解く。手の平で転がるのは2つの水晶。これは対となっていて、それぞれがその身に写した光景を共有する事ができるのだ。

「んじゃあ、今日はとりあえずゆっくり休んで。まあ、狭い場所で悪いけど」

 2人は念のため屋敷へは戻らず、ベリルの家で寝泊まりする事になった。ベリルは急いで床の物を出来る限り端に寄せ、屋根裏から古いベッドを引っ張り出してくる。
 ルービィは埃を落として上から吊る彼の背中を、申し訳なさそうに見つめる。あまり体調が良くなく、手伝えないのだ。

「……ごめんなさい、巻き込んでしまって」
「何言ってるんだよ。むしろ俺に報せなかったら怒ってたぜ? 令嬢さんでも容赦しないからな」
「でも私、鉱石病に」
「それも治る。移ったって治るんだ。ルルが諦めてないのに、こっちが諦めたら終わりだろ。それに、ルービィは充分強いよ。俺からルルを守ろうとした時なんて、口調も凄みあったからビビったし。普段と全然違うよな」
「あ、あれは……姉様の様な人を目指してたら……自然となったの」

 ルービィはその時を思い出して恥ずかしそうに顔を赤らめる。シェーンは見た目が女性的なのにも関わらず、昔から鋭い口調で性格も男性的だった。幼い彼女はそれを憧れ、真似た行動をよくしていたものだ。そのせいか、今では無意識に口調を変えてしまう。

「かっこいいじゃん。それに、やっぱ家族の口調は似るもんだな」
「そ、そうね」
「そんな大事な家族と友達を助けに行くんだ。弱気じゃいられないな?」

 ベリルはなんて事ないように笑い、あぐらをかいて座る。ルービィはそれにハッとし、手袋で包まれた手元を見つめて頷いた。
 そうだ、弱気でいてはいけない。何があっても取り戻すと、覚悟を決めたじゃないか。それにこれ以上国を、相手の好きにさせない。

 月が真上へ登り切った頃、家の中はいい香りで満たされる。寝床を用意している間、コランが簡単な食事を作ってくれていたのだ。
 3人で夕食を食べ終わり、ベリルは全員分の皿を下げた。片付けている最中、白葡萄のワインが目に入る。グラスを3つ持って帰ると、コランはルービィに毛布を掛けていた。鉱石病用の薬を飲むと早々と眠くなったらしい。こちらに気付いた彼へ、ワインボトルを揺らす。

「飲めます? 一応、19なんで」
「ええ、頂きます」

 互いのグラスに注ぎ、軽く互いの縁を触れさせてからひと口飲む。カーテン越しで淡くなった月の光に照らされるコランを見つめ、なんとなく格の違いを知らされる。もちろん彼は何もしていない。

「……狭い場所にガラクタだらけですんません」
「ガラクタ? 大事な物なのでは?」
「まあ、俺にとっちゃ」
「私の部屋だって、物を敷き詰めています。大事な物が多く、それを全て大切に出来ると言うのはとても素晴らしい。それなのにガラクタと言うのは良くありません」

 ベリルは優しい叱責をされ、驚きながら思わず首だけで会釈した。
 庶民相手にこんな事を言う貴族はどれほどいるだろうか。以前良くしてもらったため、彼が親切なのは知っている。だが雑用を任せても嫌な顔1つしない事にも驚いていた。

「月の地区で飲んだ事は?」
「初めてですね」
「お味は?」
「とても美味です」

 ルビーを水に沈めた様な瞳はどこまでも慈愛が含まれ、薄暗い部屋では優しく浮かび上がった。

「──何で俺ら、まだ嫌い合ってるんでしょうね」

 自分たちは国のルールの下生きる国民である前に、1人の意思を持つ事を許される人間だ。それが分かれば分かるほど、歴史が作ったルールがボロボロになって、馬鹿らしくなってくる。

「初めて月の地区に落っこった時、ルルに言われたんです。今も嫌う意味は何だと思う? って。俺まだ考えてるけど、ぜんっぜん分からない。アイツは過去の事を聞きたいんじゃなくて、今の、俺の考えを聞いたんだ。で、貴族のあんたもいい人で……意味、ありますかね」
「そうですね。本当に……この歴史は、新しく更新される時が来たのかもしれません」

 実はとても古い時代、月と太陽は別々の国だった。お互い小国で、土地と力を増させるためか隣国同士手を組み、1つの国になったのだ。
 長らく離れていたが、再び手を取るきっかけの時は今なのかもしれない。

 コランは部屋の中を照らす月光に振り返る。グラスを回し、一口飲んでから棚の上を見上げた。そこにはベリルと、彼によく似た男が一緒に写る写真が飾られている。

「ベリル。私は貴方の事を昔から知っていました」
「へっ?」
「お父上の事を知ったのがきっかけです。話を聞けば聞くほどに興味深い方でした。一度……お会いして、こんなふうに話をしたかった」

 それが叶わなかったのは、やはり国民の目があったからだ。だが今は後悔している。柱だからこそ、大胆に動いて交流するべきだったのだ。
 ベリルはどこか切なそうに酒へ視線を落とす彼を見つめる。少しずつ体にアルコールが染み込んできた。

「じゃあ、あんたが変えてくださいよ。ほら、宴の日は太陽と月が合わさるんでしょ?」

 本来庶民が貴族にこんな口を聞いてはいけない。それでも酒というのは、本音を言えなくなった大人が、子供の様に素直になれる道具の1つだ。酒を酌み交わした今日は好きに言ってもお互い様となる。
 コランはそれに目を瞬かせ、フッと面白そうに笑う。その顔は高貴な貴族ではなく、まるで悪戯好きの青年のようだった。

「いいでしょう、ではここで約束を。宴の日はノイス記念の日として刻まれるでしょう」
「言ったな? 誓いの杯っすよ」

 ベリルはニヤッと交戦的な笑顔を浮かべ、グラスを向ける。コランはすかさずグラスをぶつける。彼の挑戦的な目は変わらずで、2人はグイッと杯の中を飲み干した。
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