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【宝石少年と2つの国】
舞踏会準備
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パラパラと、程良い雨粒が薔薇の葉を叩く音が心地好い。何千と数え切れない薔薇を持つ小屋の中、自然と等しい雨が降り注いでいる。その花びらの赤は色鮮やかで、とても生き生きとして輝いていた。
ルービィは日課である水遣りをしている。その姿は普段よりも楽しげだった。恐らくそれはルルが居るからだろう。彼は手伝う訳ではなく、ベンチに座って黙々と本を書いている。距離は離れているが、一緒の空間に居るだけで、充分彼女の気持ちを高揚させてくれた。
時折こちらを向く彼へ、分からないと知りながらも小さく手を振ったりしてみた。時々返って来るのが嬉しい。こんな事をしているが、一応彼女は理性を保っているつもりだ。
(浮かれて、失敗しないようにしなきゃ)
大事な本を濡らして、記録を台無しにしてしまってはいけない。ルービィは勝手に上がる口角をなんとか冷静に戻し、魔法のコントロールに専念した。
時々ルルのペンが止まる。チラチラとルービィから視線を感じ、試しに手を振ってみる。どんな反応をされているのか分からないが。
(……楽しそう)
それでも上機嫌そうな鼻歌が聞こえて来る。彼女が楽しそうと分かると、こちらも嬉しく思えた。
そろそろ水遣りが終わる頃、ルルの手が完全に止まった。記録を終えたのではない。そもそも彼は記録をしていなかった。ページ半分を埋めるのは、小さなルービィの姿。花畑の中で踊る姿が何人も描かれている。
(いつの間に、こんなに描いたっけ)
ほぼ無意識だった。1人、なんとなく落書きの様なもので描こうとしたのに。気付けば記録を忘れて彼女を描くのに夢中になっていた。
「ルル、ペンはどう? 進んでるかしら」
言葉と共に、ルービィが来る音が聞こえて来た。ルルは反射的に、見られる前にと素早く本を閉じる。何故見られてはいけないと思ったのか、分からないまま。
彼は平静を装って頷く。
「お邪魔になってなくて良かった。水遣り終わったの。これからの予定は?」
『うん。街に、出るよ』
「そう、行ってらっしゃい。気を付けてね」
頷いて背を向けた彼へ手を振り、扉が閉まったのを見送って部屋へ振り返る。ルービィは小屋を周り、全ての薔薇に水が行き渡ったかの最終チェックを行った。皆それぞれ、平等に花びらが濡れている。花びらの上にある水の玉が水晶の様にキラキラしている。
彼女は満足そうに頷き、薔薇へ別れを告げると小屋をあとにした。
自室へと続く廊下の途中、コランと鉢合わせた。彼は寝室へ行こうとしていたらしい。
「父様、おかえりなさい」
「ただいまルービィ。何事も無かったかい?」
「ええ、今も、薔薇園から帰って来たの」
ルービィは自分の言葉に微笑を浮かべて相槌を打つ彼に、ハッとして言葉を止める。慌てた様子にコランは首をかしげた。
「ご、ごめんなさい。帰られた直後に、こんなお喋りを」
「あぁ、そんな事か」
コランは可笑しそうに笑って彼女の頭を優しく撫でた。
しかしルービィの視線は申し訳なさそうに下がったままだ。何故なら疲れているというのに嘘は無いだろうから。昨日一昨日と、彼は2日連続で家を空けていた。4日後の宴に向けて仕事が立て込んでいるのだ。体が丈夫でない彼は人より倍に堪えるだろう。
それでもコランの表情からは、疲労よりもどこか楽しさを感じさせる。
「私もこの時ばかりは、体を動かすのに苦ではないよ。それに、家族の話を疲労なんかで蔑ろにするほど軟弱でもない。だから安心して、イベントを楽しみにしておいで」
五大柱の様子で懸念していた、宴に向けての準備も滞りなく進んでいるらしい。今は一安心だと語った彼につられて、ルービィも嬉しそうに笑った。
「はい父様。今日はゆっくりお休みになってね」
「そうさせてもらうよ」
別れを告げて先を行くコランを見送り、ルービィは足早に自室へ向かった。部屋のドアを開けると、彼女の帰りを室内が察知したのか、壁の灯りが柔らかく灯って出迎える。
扉が静かに閉まった時、ヒラリと天井から赤紫色の花びらが落ちて来た。その花びらは少し水気が無い。ルービィは丁寧に広い、ぶら下がっている何十もの薔薇の中から数枚花びらが欠けた物を切り取った。
「丁度いいわ、これはジャムにしようかしら。お肉にもパンにもいいから……ルルの口に合うといいなぁ」
彼女は薔薇に口付ける様に鼻を近付ける。まだ仄かに香りが残るこの時期は、完全にドライフラワーにするよりもジャムや香油に優れている。そのすぐ隣の薔薇は昨日吊るしたばかりで、濃い香りがした。
彼女はソファに座って一呼吸置き、色鮮やかな天井を見上げた。この部屋の天井はシャンデリア意外、見渡す限り薔薇で埋まっている。
ルービィはただ庭で薔薇を育てているだけではない。茎から落ちそうになった物を中心に、香水やジャム、アクセサリーなど様々に姿を変えさせている。特にこれを商業化しようとは思っていない。単なる趣味の延長戦だ。普段から世話になっている使用人への贈り物だったり、貴族同士の挨拶に行く際の手土産などに使っている。
手の中に集めた花びらを、一旦テーブルの上にある小瓶に詰めて香りを閉じ込めた。今はこれよりも、舞踏会に向けて優先に作る物があるのだ。それはブローチ。誰かに渡すのではなく、自分で使う用だ。小振りだが深紅の美しい物に仕上がった。
ルービィはそれを持ったまま、窓辺に置いたドレッサーの前に立った。試しに胸元へ添えてみる。しかしすぐテーブルへ置かれ、彼女は震えた溜息を吐いた。飾りを試すだけで緊張なんてしていれば、ドレスを着た本番はどうなってしまうのか。
「舞踏会まであとちょっとなのに……しっかりしなきゃ」
言いつつも不安そうな瞳が、ドレッサーの隣に掛けられたそのドレスに向いた。胸元は黒に見えるほどの青で、グラデーションで足元は紫を含んだ白へ変わっていく。胸元は星を思わせる装飾が上品に施されている。月が見守る夜空から、太陽が登る白んだ空を描いたドレスだ。
シェーンからのお下がりで、とても気に入っている。丈を直したり少し自分好みに変えてみたりもした。
眺めているうち、ルービィは強張っていた肩から力が抜けている事に気付く。姉との思い出を考えるだけで緊張を忘れられた。
「ちょっと、着てみようかしら」
最終チェックをしよう。もしも体に合わなければ、ダンスに支障が出る。誘ったこちらが失敗して、ルルに恥をかかせる訳にはいかないのだ。それに、格好もつかない。
袖を通すのは初めてだ。大きさは丁度いい。その場でクルリと踊ると、派手かと思っていた星を模した光の粒が綺麗に舞った。今はまだ陽があるが、当日は夜。暗闇の中の方がより美しく映えるだろう。
元のドレスがいいのもあるが、上出来だ。彼女は満足そうに鏡に全体を映す。ドレスから覗く白い手脚が、夜空を抱いているみたいだった。しかしそう思えたのは束の間、ルービィは目を見開いて顔を青くした。
彼女の視線が集中したのは、大胆に開いた肩。まるで雷が通った様な醜い傷跡が、右肩から左胸付近まで刻まれていた。
「どうしよう……」
舞踏会に浮かれてすっかり忘れていた。ルルには見えないが、これを晒しては隣に立てない。
狼狽る目が収めたのは、黄昏時の様な色をしたストール。彼女は縋るように手繰り寄せ、肩に羽織った。ドレスの色を邪魔せず、傷跡も目立たない。質もいい物のため、大切な場面でも失礼無く使えるだろう。
確認に長い間鏡と睨み合い、安堵の息を吐いた。
じっとドレスを見ていると、やはり姉を思い出す。その身に夜を纏わせ、剣を持ち舞う姿は心臓が高鳴るほど美しかった。
「……あと、4日」
きっと怒涛の1日となるだろう。ついにシェーンを取り戻すのだ。永くを生きる彼女にとっては瞬き程度の時間だろうが、自分にとっては永遠のように待ち望んだ日だ。
ドレッサーの鍵付きの引き出しに鍵を入れる。その中に眠っていたのはナイフ。これが赤く染まる未来はもう分かっている。手が震えれば、それは自分の血だ。
「姉様、私に勇気を下さい」
囁きと共に両手で祈るようにして握る。持ち手の先に埋め込まれたオパールに、覚悟を誓うようにキスをした。
ルービィは日課である水遣りをしている。その姿は普段よりも楽しげだった。恐らくそれはルルが居るからだろう。彼は手伝う訳ではなく、ベンチに座って黙々と本を書いている。距離は離れているが、一緒の空間に居るだけで、充分彼女の気持ちを高揚させてくれた。
時折こちらを向く彼へ、分からないと知りながらも小さく手を振ったりしてみた。時々返って来るのが嬉しい。こんな事をしているが、一応彼女は理性を保っているつもりだ。
(浮かれて、失敗しないようにしなきゃ)
大事な本を濡らして、記録を台無しにしてしまってはいけない。ルービィは勝手に上がる口角をなんとか冷静に戻し、魔法のコントロールに専念した。
時々ルルのペンが止まる。チラチラとルービィから視線を感じ、試しに手を振ってみる。どんな反応をされているのか分からないが。
(……楽しそう)
それでも上機嫌そうな鼻歌が聞こえて来る。彼女が楽しそうと分かると、こちらも嬉しく思えた。
そろそろ水遣りが終わる頃、ルルの手が完全に止まった。記録を終えたのではない。そもそも彼は記録をしていなかった。ページ半分を埋めるのは、小さなルービィの姿。花畑の中で踊る姿が何人も描かれている。
(いつの間に、こんなに描いたっけ)
ほぼ無意識だった。1人、なんとなく落書きの様なもので描こうとしたのに。気付けば記録を忘れて彼女を描くのに夢中になっていた。
「ルル、ペンはどう? 進んでるかしら」
言葉と共に、ルービィが来る音が聞こえて来た。ルルは反射的に、見られる前にと素早く本を閉じる。何故見られてはいけないと思ったのか、分からないまま。
彼は平静を装って頷く。
「お邪魔になってなくて良かった。水遣り終わったの。これからの予定は?」
『うん。街に、出るよ』
「そう、行ってらっしゃい。気を付けてね」
頷いて背を向けた彼へ手を振り、扉が閉まったのを見送って部屋へ振り返る。ルービィは小屋を周り、全ての薔薇に水が行き渡ったかの最終チェックを行った。皆それぞれ、平等に花びらが濡れている。花びらの上にある水の玉が水晶の様にキラキラしている。
彼女は満足そうに頷き、薔薇へ別れを告げると小屋をあとにした。
自室へと続く廊下の途中、コランと鉢合わせた。彼は寝室へ行こうとしていたらしい。
「父様、おかえりなさい」
「ただいまルービィ。何事も無かったかい?」
「ええ、今も、薔薇園から帰って来たの」
ルービィは自分の言葉に微笑を浮かべて相槌を打つ彼に、ハッとして言葉を止める。慌てた様子にコランは首をかしげた。
「ご、ごめんなさい。帰られた直後に、こんなお喋りを」
「あぁ、そんな事か」
コランは可笑しそうに笑って彼女の頭を優しく撫でた。
しかしルービィの視線は申し訳なさそうに下がったままだ。何故なら疲れているというのに嘘は無いだろうから。昨日一昨日と、彼は2日連続で家を空けていた。4日後の宴に向けて仕事が立て込んでいるのだ。体が丈夫でない彼は人より倍に堪えるだろう。
それでもコランの表情からは、疲労よりもどこか楽しさを感じさせる。
「私もこの時ばかりは、体を動かすのに苦ではないよ。それに、家族の話を疲労なんかで蔑ろにするほど軟弱でもない。だから安心して、イベントを楽しみにしておいで」
五大柱の様子で懸念していた、宴に向けての準備も滞りなく進んでいるらしい。今は一安心だと語った彼につられて、ルービィも嬉しそうに笑った。
「はい父様。今日はゆっくりお休みになってね」
「そうさせてもらうよ」
別れを告げて先を行くコランを見送り、ルービィは足早に自室へ向かった。部屋のドアを開けると、彼女の帰りを室内が察知したのか、壁の灯りが柔らかく灯って出迎える。
扉が静かに閉まった時、ヒラリと天井から赤紫色の花びらが落ちて来た。その花びらは少し水気が無い。ルービィは丁寧に広い、ぶら下がっている何十もの薔薇の中から数枚花びらが欠けた物を切り取った。
「丁度いいわ、これはジャムにしようかしら。お肉にもパンにもいいから……ルルの口に合うといいなぁ」
彼女は薔薇に口付ける様に鼻を近付ける。まだ仄かに香りが残るこの時期は、完全にドライフラワーにするよりもジャムや香油に優れている。そのすぐ隣の薔薇は昨日吊るしたばかりで、濃い香りがした。
彼女はソファに座って一呼吸置き、色鮮やかな天井を見上げた。この部屋の天井はシャンデリア意外、見渡す限り薔薇で埋まっている。
ルービィはただ庭で薔薇を育てているだけではない。茎から落ちそうになった物を中心に、香水やジャム、アクセサリーなど様々に姿を変えさせている。特にこれを商業化しようとは思っていない。単なる趣味の延長戦だ。普段から世話になっている使用人への贈り物だったり、貴族同士の挨拶に行く際の手土産などに使っている。
手の中に集めた花びらを、一旦テーブルの上にある小瓶に詰めて香りを閉じ込めた。今はこれよりも、舞踏会に向けて優先に作る物があるのだ。それはブローチ。誰かに渡すのではなく、自分で使う用だ。小振りだが深紅の美しい物に仕上がった。
ルービィはそれを持ったまま、窓辺に置いたドレッサーの前に立った。試しに胸元へ添えてみる。しかしすぐテーブルへ置かれ、彼女は震えた溜息を吐いた。飾りを試すだけで緊張なんてしていれば、ドレスを着た本番はどうなってしまうのか。
「舞踏会まであとちょっとなのに……しっかりしなきゃ」
言いつつも不安そうな瞳が、ドレッサーの隣に掛けられたそのドレスに向いた。胸元は黒に見えるほどの青で、グラデーションで足元は紫を含んだ白へ変わっていく。胸元は星を思わせる装飾が上品に施されている。月が見守る夜空から、太陽が登る白んだ空を描いたドレスだ。
シェーンからのお下がりで、とても気に入っている。丈を直したり少し自分好みに変えてみたりもした。
眺めているうち、ルービィは強張っていた肩から力が抜けている事に気付く。姉との思い出を考えるだけで緊張を忘れられた。
「ちょっと、着てみようかしら」
最終チェックをしよう。もしも体に合わなければ、ダンスに支障が出る。誘ったこちらが失敗して、ルルに恥をかかせる訳にはいかないのだ。それに、格好もつかない。
袖を通すのは初めてだ。大きさは丁度いい。その場でクルリと踊ると、派手かと思っていた星を模した光の粒が綺麗に舞った。今はまだ陽があるが、当日は夜。暗闇の中の方がより美しく映えるだろう。
元のドレスがいいのもあるが、上出来だ。彼女は満足そうに鏡に全体を映す。ドレスから覗く白い手脚が、夜空を抱いているみたいだった。しかしそう思えたのは束の間、ルービィは目を見開いて顔を青くした。
彼女の視線が集中したのは、大胆に開いた肩。まるで雷が通った様な醜い傷跡が、右肩から左胸付近まで刻まれていた。
「どうしよう……」
舞踏会に浮かれてすっかり忘れていた。ルルには見えないが、これを晒しては隣に立てない。
狼狽る目が収めたのは、黄昏時の様な色をしたストール。彼女は縋るように手繰り寄せ、肩に羽織った。ドレスの色を邪魔せず、傷跡も目立たない。質もいい物のため、大切な場面でも失礼無く使えるだろう。
確認に長い間鏡と睨み合い、安堵の息を吐いた。
じっとドレスを見ていると、やはり姉を思い出す。その身に夜を纏わせ、剣を持ち舞う姿は心臓が高鳴るほど美しかった。
「……あと、4日」
きっと怒涛の1日となるだろう。ついにシェーンを取り戻すのだ。永くを生きる彼女にとっては瞬き程度の時間だろうが、自分にとっては永遠のように待ち望んだ日だ。
ドレッサーの鍵付きの引き出しに鍵を入れる。その中に眠っていたのはナイフ。これが赤く染まる未来はもう分かっている。手が震えれば、それは自分の血だ。
「姉様、私に勇気を下さい」
囁きと共に両手で祈るようにして握る。持ち手の先に埋め込まれたオパールに、覚悟を誓うようにキスをした。
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