宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と2つの国】

約束

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 ベリルはルルに見送られるため裏口に立っていた。
 ルービィがコランに話をつけ、送りの馬車を用意しようとしてくれたが、流石に申し訳ないと断った。それに、置いてきた飛行機も回収しなければならない。

『1人で、平気?』
「心配すんな。俺には下があるし」

 ベリルは得意げに笑って地面を指さす。下という言葉がルルは分からなかったが、すぐ理解して面白そうに目を細めた。恐らく下とは地下道の事。彼が作った地下の道は、ここにも通っているのだ。

「改めてルービィにお礼言っといてくれるか?」
『分かった。今日は、ありがとう。気を付けてね』
「おう、そっちもな。じゃ」

 ベリルは手を振ったルルへ振り返し、崖下に掘った地下道への入り口へ向かった。

 ルルは彼の背を木が消したあと、夜空を見上げた。そろそろ戸締りを始める店が出始めるだろう。酒場はより盛り上がり、家の窓は明かりが灯る。空は雲が薄くかかり、今夜は冷え込みそうだった。
 裏口のドアの鍵を閉めると、用意されている部屋へ帰った。小さな月と太陽の形をしたランタンが置かれた机に腰を下ろす。そこには、紺の本が置いてあった。

(今日はどれを、書こうかな)

 布製の表紙を撫でながら、もうすぐ終わる今日に思いを馳せる。この国の人の情に触れた事や、覚えている洞窟の道を書いてみようか。図を描きたいから、今度細かく案内してもらおう。
 ペン先を真新しいページに付けると、ジワリとインクが染みる。この瞬間がルルは好きだった。新しい言葉が刻まれるこの瞬間が。そのためか無意識にだが、書き始めと書き終わりに少しインクが滲んでいる。明日はどんな事があるだろうか。何をしようか。この国を去る時間は迫っている。
 ふと手が止まった。次の日を考えると、決まって終わりを見てしまう。

(……国宝の音が、聞こえる)

 椅子から腰を上ると、バルコニーへ続くドアを開け、仮面をせず外へ出る。人の気配は無い。空は月がぼんやり見える曇り空。肌を撫でる風は、室内で予想したよりも冷たい。それでも、上着になる物を探そうとは思わなかった。少し風に当たりたい気分なのだ。
 ルルは蔓が絡む手摺りに手を添えて目を閉じ、深く息を吸った。宝石の耳に反響する国宝の叫びは、今まで聞いたどの音よりも悲しげで悲痛に感じた。
 助けを求める国宝は、いくつ存在しているのだろうか。どれだけの国を巡るのだろう。想像出来ない途方もない旅路に、寂しさとは異なる不思議な気持ちになってくる。

(あと、どれだけ出会って、別れるんだろう。本、ページ……足りるかな)

 少し強い風が吹き、膝までの星空の様な髪を泳がせる。開いたままだった本のページがパラパラとめくられ、静かに閉じられた。まるで風が、そんな事を考えても意味が無いと言っているかの様だった。
 ルルはそれに乱れた前髪を整えながら、穏やかな顔で目を閉じる。

(進む……。それだけだね)

 誰かがドアをノックした。音が止んだあとに聞こえたのは、ルービィの声。部屋に入った彼女は、手に紅茶を淹れたカップを持っていた。

「紅茶を淹れたの。どう?」
『ありがとう』
「体、痛い所は無い?」
『うん、大丈夫。あ……ベリルが、ありがとうって』

 ルービィは本の隣に紅茶を置く。
 冷たい風が柔らかく室内に入ってくる。外は月光が遮られていて仄暗い。しかしルルの姿は不思議と浮かび上がっていて、まるで夜の暗闇を糧とする精霊のようだった。どこも見ていない宝石の瞳は慈愛を含んでいて、ルービィは無意識にその横顔に見惚れていた。
 もっと近くで見たくて、彼の隣に立った。それに気付いてこちらを向いた2つの虹色をした月が、微笑む様に細められる。

「ルルってとても優しく笑うのね」
『僕、笑ってる?』
「ええ、笑ってる」

 本人はキョトンとし、頬を両手で包む。しかし自覚出来ず、難しそうに首をかしげた。笑顔がどんなものかは知っているが、いまいち自分の顔の動きが分からないのだ。ルービィは幼子の様な柔らかい頬を弄るルルに、クスクスと笑った。
 そっと、青い手が退いた頬に彼女は手を伸ばす。優しく撫でると、虹の全眼が溶けるように細くなった。
 ルルは表情が大きく変わる事は無い。それでも感情の表れは不思議と激しく、新しい表情を見つけると嬉しくなった。そしてもっと欲は芽を出して、彼の表す全ての感情、表情を知りたくなってくる。夜でも鮮やかなピンクの目が細くなり、自然と顔が近付いた。

『くすぐったい』

 指が耳を掠め、ルルは首を縮ませる。声も無くふふっと漏れた息で、ルービィはハッとし慌てて距離を取る。ルルは急に離れた手と気配にキョトンとした。
 ルービィは薔薇色の寝衣に負けないほど真っ赤に顔を染め、思わず目に涙を溜める。

「ご、ごご、ごめんなさいっ! ベタベタ触ってしまって……!」

 ルルは何故謝っているのか分からないのか、目を何度も瞬かせ、ゆっくりと首をかしげる。

『謝らなくて、いいよ? くすぐったかっただけ。それにルービィの手は、優しくて、好きだから』

 まるで深く愛でるような、家族や友達とはまた違った感覚。それは初めてだが、不思議と心地好く嫌悪は無かった。ルルは彼女の手を取り、再び自分の頬に持っていく。
 その行動でルービィは気付く。彼は自分が何を思って触れていたのか、全く理解していないのだ。彼女は羞恥を覚悟で小さくも叫ぶ。

「わ、私、貴方にもっと触れたくなったのよ……?! あ、貴方が、考えているよりもたくさん……それも、長い時間」
『? いいよ?』
「いけないわっ」
『ルービィになら、いいよ』

 頭に響く声は、普段と変わらず当たり前の事を言うかのような声色。それでもルービィは息を止めて目を丸くした。再び頬を染め、今度は自分で彼の頬を撫でる。

「そんな事……友達に言っては、駄目よ」
『友達じゃない。ルービィに、言ったんだ』

 ルービィはそれに何か堪える様な笑みを浮かべ、指先でそっと紫に近い唇を撫でた。

「ずるい人」

 しかし目を閉じてまた開いた頃には、彼女の顔は何かを決断した様な表情をしていた。胸元へ引いた自分の手を、まるで祈る様に握る。
 いつの間にか雲が晴れ、月が顔を出した。まるで2人のためのスポットライトの様に柔らかな月光が降り注ぐ。

「6日後にある宴……みんな、それぞれにパートナーを決めて踊るのだけど、その……そこで一緒に踊って欲しいの」
『僕で、いいの?』
「貴方がいいの」
『……うん、分かった。誘ってくれて、ありがとう』

 そう言ってルルは目を細める。ルービィにはその顔がやはり、誰よりも優しい笑顔に見えた。冷静さを取り戻した彼女は、火傷を負った様な熱がブワッと体に溜まるのを感じた。冷たい風も感じられない。

「じゃ、じゃあ……そろそろ」
『うん、おやすみ』
「おやすみなさい」

 ルービィは彼の顔を見れず、そそくさと逃げる様に部屋から出て行った。激しく胸を叩く鼓動の速さに足幅が自然と合い、気付かないうちに自室の前に辿り着いていた。しかし足元ばかりに夢中になっていたのか、扉を視界に確認する前に頭突きをする形で止まる。
 不意打ちの激痛に、声にならない叫びを口の中で上げながら蹲った。ジンジンと痛む頭を手で抑えながら、自分に落ち着けと言い聞かせる。ルルと会話をすると、どうも決まってこの暗示が必要になった。

(かっこ悪い……っ)

 姉として慕っているシェーンの様な、強くかっこいい女性を目指していたのに、これでは正反対だ。しかしそのおかげなのか、この胸の高鳴りの理由を再確認する事が出来た。初めての感情のせいで何度もそっぽを向いたが、ルルに会うたび、無視出来ないほど大きくなっていた。
 これは恋だ。自分は彼に恋焦がれている。出会ったあの時から、どうしようもなく自分は彼に惹かれていたんだ。

(声、震えていなかったかしら……?)

 小さな舞踏会には参加こそすれど踊る事はしなかった。異性や好意を持つ相手なんて居なかったし、興味も無かったから。そのため、誘うのにはありったけの勇気が必要だった。本当は諦めようともしていた。しかしルルのあの一言に手を引かれた感じがして、口から自然と言葉が出た。

(私を……どう思ってくれているのかしら。触れていいのは、私だから?)

 あの言葉にどれほど自分が望む『特別な意味』が含まれるのだろう。
 ルービィは立ち上がると姿勢を直し、改めて決意する様に深呼吸する。

(私の勘違いでもいい。別れてしまう前に、言葉で伝えるしかないわ)

 彼に受け入れられなくてもいい。自分はとにかく、素直に心を伝えるだけだ。

~               **              ~               **                 ~

 ルルは彼女が去って行った部屋をただ静かに見つめていた。最後に触れた唇に、彼女の指先の熱が指先に残っている気がする。

(……なんで、あんな事、言ったんだろう)

 思い返すのは『友達じゃない』と言った言葉。確かに彼女を個人として例えた言葉だが、それだけではないと、何故か心が引っかかる。自分は何を求めていたのだろうか。友達じゃないだなんて、彼女を傷付けてしまった。
 女性に触れられるのは、初めてではない。しかしその時はなんとも思わなかったはずだ。

(でも、ルービィの手は、嫌だと感じない。とても好き。ベリルにだって、触れられても、嫌じゃない。何か違う……?)

 分かるのは漠然とした『違う』という感覚のみ。親しい人に触れられて嫌な気はしない。それなのに何かが違う。
 考えて少し経ち、その考えとは裏腹に、ルルは腹の奥に痛みを感じていた。

(……気持ち悪い)

 その痛みはまるで、汚れた物が溜まっていくような気色の悪い感覚だった。呼吸が少しずつ乱れるほどに不愉快で、バルコニーから室内に戻ると、急いでカバンの中を探る。小袋を取り出し、今宵の月と同じ色をしたルビーを選ぶと口へ放り込んだ。
 ダイヤより硬い歯で砕かれた宝石が体の中に溶けていく。不愉快さは消えて、徐々に体も楽になってきた。しかしその直後、彼を気怠い睡魔が襲い、倒れ込む様に揺籠の中に沈む。

(もう少し……考えたいのに)

 先程まで目まぐるしく働いていた頭が微睡に溶かされていく。頭の中に言葉が浮かぶ事は無く、閉ざされた重い目蓋はそれからもう開かれなかった。
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