宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と2つの国】

行方不明者たち

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「トパズ……?」
『え?』
「トパズだ。髪が見えた」

 そう言うと同時にバッカスは駆け出した。

「トパズ!」

 彼はローブを着た相手の肩を掴んでこちらに向かせる。それは確かにトパズだった。しかし今の彼女には、普段の活発さは愚か生気すら無い。綺麗なオレンジの目は濁り虚ろで、まるで意識の無い抜け殻のようだ。
 ルルは揺り動かすバッカスを止め、2人を噴水の影まで連れて行き、トパズの顔を覗き込む。強力な力を感じた。今彼女は、操られて何かに従っている。このままでは彼女は帰れなくなる。

『バッカス、ここで見た事、内緒にしてね』
「あ……?」

 ルルは一か八か、仮面を取ると彼女の目を見つめた。この力に抵抗出来るのは、恐らく自分の言葉だけだ。
 バッカスはフードからチラリと見えた虹の瞳に息を呑んだ。見た事のないその瞳が一際美しく、眩しく輝く。

『トパズ、僕の目を見て。自分の意志を、思い出して。貴女は自由だ』

 ルルのいつもより低い声が、トパズの頭に染み込む様に響いた。神も愛でる石の眩い輝きが移ったように、彼女の光の無かった目に生気が灯る。再び名を呼ばれた時、トパズは夢から覚めた様に目を瞬かせた。様々な色が飛び交う煌びやかな瞳に、ぼやけていた思考が鮮明になってキョトンとする。
 ルルは身を引き、すぐ仮面を着ける。代ってバッカスが彼女の顔を覗き込んだ。

「トパズ! 俺が分かるか」
「バッカス? わぁ、久しぶりだぁ!」
「バカ、こんな時にくっ付くんじゃねえよ……!」

 トパズは彼の存在にようやく気付いたのか、親友との再会にいつもの調子で抱き付いた。バッカスは慌てて引き剥がす。
 なんとか彼女を取り戻せたようで、一安心だ。

『トパズ、今まで、何をしていたか、分かる?』
「今まで? あ、あれ? そういえばここ……。え? この服わたしのじゃない」

 ボロボロのローブは自分の物ではない。足が疲労のせいでとても重く、ここまで歩いて来たのだと分かった。しかし頭で分かってもまるで他人事の様で、全く思い出せない。

『そう。あのね……2日間貴女は、行方不明だったの。それで、探していたんだ』
「え、2日間?!」
「行方不明者が出てるからまさかと思ったが。あ? お前、何持ってるんだ?」

 バッカスが指さしたのは、何かがパンパンに詰まったカバンだった。蓋を開けると中からは、沢山の野菜を挟んだパンと干し肉、そしてミルクで満たされた瓶が4本顔を出した。それはヘリオスに蓄えてあった食材の一部。

「そう言えば、どこかにこれを持って行かなきゃいけないって思って」
「どこか?」
「うん。でも、どこなのか…………思い出せない」
『そう思った時の、状況とか、分かる?』

 トパズは黙り込み、霞んで頼りない記憶を探る。その時、彼女は今の状況に既視感を覚えた。それは今は薄くなっているこの香り。確かその使命感に駆られた時、全く同じ香りが肺を満たしたのだ。

「この香りがしました。それで、この食材を用意して……そこから、記憶が曖昧で」

 もしかすればトパズの失踪は、これまでの女性たちとは事情が異なるのかもしれない。彼女は太陽の地区の中でも、名の知れた居酒屋の亭主。それを考えると、失踪よりも食材を運ばせる事に目的がありそうだ。

『バッカス、月は今、どこ?』
「月? あー、もうすぐで女神像の奥へ消える場所だ。あと数時間で日が昇るぜ」
『ありがとう。トパズ、その荷物……僕にちょうだい』

 2人は突然の要求に顔を見合わせる。
 夜の終わりに比例して、香りは確実に薄くなってはいるが、まだ晴れる気配は無い。その先は恐らく女神像の中まで続くだろう。女神像に住むのはアダマス。彼が失踪に関係している証拠が掴めるチャンスだ。もちろんこのまま彼らと共に帰るのもいい。もしそうだったとしても、これだけの事実では、国民の盲信はそう簡単には解けないだろうから。
 ルルはいつものように人差し指を唇に置き、少し子供っぽく声を弾ませた。

『ちょっとイタズラ……するだけだよ』

 このまま素直に帰るのは、どうしたって癪だ。少しくらい痛い目に遭わせなければ、気持ち良く眠れない。
 しかしトパズは最後まで心配そうに、ボロボロのローブとカバンを身に付けたルルを見つめる。

「ルルさん、やっぱり1人じゃ危険です」
『トパズはちゃんと、家に帰って……怪我が無いか、確認してもらって? バッカス、お願いね』
「ああ」
「でも……!」
『大丈夫だよ。またちゃんと、お店に顔出すから、安心して。それに……今日、会う人も居るから』

 そう言って、香りを頼りに歩き始めた後ろ姿を、トパズの不安そうな瞳が追った。しかしすぐバッカスに呼ばれて背中を向ける。

「本当に、大丈夫かな?」
「安心しろ。多分アイツは……ルルは大丈夫だ。俺たちと、違う」
「どういう意味?」

 バッカスは首をかしげるトパズに口を閉ざす。頭の中で、暗闇を退かす虹の瞳が鮮明に思い描かれるが、それを表す言葉がどうしても浮かばないのだ。ただ、彼1人に任せた方がいいと確信を持って言える。それが分かっていて足手まといになるのは御免だ。

「行くぞ」

 バッカスは夜の風に少し冷えたトパズの体を支え、後ろを振り返る事せず、帰路を急いだ。

~               **              ~               **                 ~

 ルルは彼らの足音が遠ざかるのを確かめながら進む。コロシアムの入り口、国の象徴である王冠を掘った門は開いていて、香りは中から漂っていた。その両端には門番が立っている。
 門番に足を止められた。しかし顔を覗かれる事は無く、彼らが要求したのは荷物チェック。ほとんど姿を隠した人物の正体よりも、カバンの中身の方が重要らしい。門番も心ここに在らずといった雰囲気で、その焦点の合わない目は、食料を確認した事でルルを難なく地下へ通した。

 ここでやっと香りが途絶えた。コロシアムのすぐ下にこんな道があるだなんて。
 中は灯りがほとんど無い。更に下へ行く階段の足元を照らす程度の物だけだ。ルルは手を壁に這わせ、慎重に階段を下りる。
 地下であるここの環境はあまり良くなかった。壁は湿っていて、苔が時々指先に触れる。最後の段差を下りたあとは細い道が作られていて、ここは更に体を屈めて進まなければならない。

(……人の匂い?)

 それは気のせいかと思うほどだった。しかしこんな最悪な状況に誰かが居るだなんて、考えたくない。

(もしかして、この食料)

 1つの考えに思わず顔を小さく歪めた時、空間が拓ける。それと同時、近くで掠れた悲鳴が聞こえた。
 そこは地下牢だった。いくつもの牢が並んでいて、奥に怯えた少女が1人、縮こまっている。ルルはこちらに恐怖の目を向ける彼女に近付き、牢の前でしゃがんだ。

『貴女は……。怪我は、無い?』
「あっぁあ、許して!」

 少女は傷だらけの体を庇いながら、頭を振って許しを口にする。恐怖に錯乱してこちらの言葉が耳に届いていない。ルルは腕を伸ばし、そっと彼女の頬を撫でた。

『安心して。僕は貴女の、敵じゃない。助けに来たよ』
「えっ? ほ、本当に……?」
『うん。もう、大丈夫。鍵が……邪魔だね』

 ルルは背中にした小さなナイフを抜き、大きな錠を切先で切り離す。扉を開け、まずカバンの中からパンとミルクを差し出した。
 今は彼女しか居ないが、前日にはもっと居たのだろう。トパズはここに閉じ込められた少女たちの食べ物を運んでいたのだ。

 少女は恐る恐るそれを受け取ると、最初は小さくかじったが、次には口を大きく開けて食べ始めた。恐ろしさに空腹を忘れていたのか、腹が鳴り始める。地下に誰かが来る気配はまだ無い。ルルは彼女の腹が満たされるまで待った。

 少女はパンを2つ、ミルクを1本平らげた。体と心の緊張は解け、青白かった顔も淡いピンク色に戻っている。
 ルルは落ち着いた呼吸を聞いてそれを判断し、すぐ本題に移った。

『小声で、話してね。名前と帰る家……分かる?』
「は、はい」
『良かった。ここに来る前の、記憶は?』
「いいえ……気付いたら、ここに。あ……ぁ、あの、沢山人が居たんですっ! でも少しずつ、どこかへ連れて行かれて……帰って来た人が居なくて」

 ポロポロと涙を流す彼女の背中をルルは優しくさすった。やはりアダマスは、何かしらの目的で若い女を集めている。失踪者が帰らないのを考えると、彼女たちは生きていない可能性が高い。
 少女の目元を拭いながら、慰めるように頬を緩めた。

『貴女だけでも、間に合って良かった。次に泣くのは、家に、帰ってからだよ。いい? これを着て。顔を俯かせて、ゆっくり出て行くんだ。振り返っちゃ、いけないよ』

 そう言いながらローブを脱ぎ、少女に羽織らせてからフードを被せる。彼女は戸惑いながらも大人しくバッグを肩に掛けた。牢の外へ連れ出し、出入り口を示す。

『あそこから、出られるからね』
「あなたは……?」
『大丈夫、あとで、出られるから』
「あのっなんてお礼を……!」
『それは、無事に帰る事』

 ルルはそれだけ言って、急かす様に彼女の背中をトンと押す様に優しく叩いた。少女は階段の前まで、何度も彼へ振り返る。最後、深く頭を下げると、教え通りに階段を登っていった。
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