宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と2つの国】

ノイスの夜

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 どの家の窓もカーテンが閉まっている深夜。ルルは足音に注意しながら1人、太陽の地区に訪れていた。
 自分以外の気配は外に無い。それを確かめながら向かったのは、居酒屋ヘリオス。酒呑みも眠った今は流石に営業していない。それは特別おかしい事ではない。しかし他の家には人の気配があるのに、ここだけは無かった。本来なら、亭主のトパズが居るため微かな気配はある筈だ。
 試しに、木製のドアをノックする。室内へ耳を澄ましても、何かが動く様子は無かった。ただ眠っているのならいいのだが、噂で聞いた休業の意味がどうしても引っ掛かる。扉の取手を引いてみる。すると呆気なく扉が開いた。トンと押すと、暗い店内に月光と1つの影が伸びる。ルルは室内を注意しながらそっと中へ入った。

『トパズ、僕だよ。ルル。居る?』

 店の中心で全体を見渡すが、誰かが居る気配は無かった。ルルは厨房へ足を運ばせる。真ん中だけに板があるドアは開いていた。
 入ったその時、とても小さくカタッという音がした。それはトパズの気配ではなく、ルルは咄嗟に、金の鞘から宝石の剣を抜いて相手へ向けた。相手は同時に、こちらへ拳銃を向ける。しかし、しっかりと向けられていた銃口はすぐに下げられた。

「……ルルか?」

 ルルは聴き心地の良い低音に、肩から力を抜いた。その声はまだ充分印象に残っている。ノイスに訪れて初めて優しくしてくれた人だ。彼が動くと、特徴である甘ったるいアルコールの香りがした。

『バッカス?』
「おう。なんでアンタがここに?」
『バッカスこそ。ここ、太陽の地区なのに』
「あ~……とにかく、灯りつけるぞ」

 バッカスは厨房内の灯りだけを小さく灯した。銃を腰のホルダーに入れ、少し気恥ずかしそうに目を泳がせる。

「休業って噂を聞いたんだよ。アイツが数日も休ませるなんてあり得ないから。手紙出しても返事来ねえしで。風邪でも拗らせてるかと思って夜来てみたら……居ねえからよ」
『そうなんだ、僕もだよ。アダマスについてね、調べていたんだ。そうしたら、休業だって知ったの』
「アダマス……?」

 バッカスは言いたい事が分かったのか、心の底から不愉快そうに顔を歪めた。苛立たしそうに紫の髪を掻き乱し、大きく舌打ちする。

「だから1人で店をやるなって言ったんだ」

 ボソッと呟かれた悪態には、苛立ちの中に焦りが混ざっている。その反応は彼らが互いを大切に思っている事がよく分かる。

『バッカスって……心配性?』
「あぁ? ちげぇよ。知り合いが変な目に遭ったら、目覚め悪いだろ」
『そういう事に、しておくよ』

 彼はなおも笑う様に言ったルルに、威嚇するように鼻を鳴らす。

『じゃあ、アダマスの噂……知ってるんだよね?』
「まあな」
『じゃあ、行こう』
「行くって?」
『女神像へ。行方不明になって、2日。まだ……間に合うよ』
「あ、おい」
『ねぇバッカス。今だけ……僕の、目になって』

 店から出ようとしたルルは、唖然としている彼へ、手を差し伸べた。バッカスは少しの間迷い、差し出された薄青い手を見つめる。警戒心の強い彼の事だ。様々な疑惑を頭に巡らせているのだろう。
 無言で見つめ合い、やがてバッカスは手を握らなかった。しかしその代わり、彼はルルの隣に立った。

「今晩だけな」

 顔を逸らして小さく呟く。ルルは仮面越しに彼を見上げ、嬉しそうに頬を緩ませた。

「んで、どうすりゃいい?」
『とりあえず……女神像までの、道のりで、おかしい事がないか、教えてほしい。気配は分かっても、具体的な状況は……音が無いと、分からないから』
「分かった。さっき言った、まだ間に合うってどういう意味だ?」

 バッカスは辺りを見ながら問いかける。ルルも周囲の音に集中しながら答えた。

『そんなに、分かりやすい行動は、しないって思ったんだ。女性は必ず、女神像に向かったのを、最後に消えている。それなのに最近は、その噂より、行方不明になった……っていう、噂が目立つ』

 この国は噂の廻り方がとても早い。しかし、女性が女神像に居たという噂に被さるかの様に、行方不明になった噂だけが目立っていた。

「カモフラージュって言いたいのか?」
『そう。そうすれば……アダマスを疑う人は、少数派になる。予想だけど、数日間彷徨わせて……頃合いを見て、女神像に来させるんじゃ、ないかな』
「待てよ、来させるって」
『そうだよ。彼には、力がある。人を無理にでも、従わせる力が』

 アダマスと実際に対面して、その言葉に乗る力を確信した。それは、民全てを平伏せる事が出来る王の力。脳の奥深くにある本能から感じる、逆らってはいけないという絶対的服従の意思を刺激する。本来は王のみが持つ事を許された力だ。
 ルルは無自覚だったが、同じものを目の前にして初めてその強さを実感した。何をして彼がそれを手に入れたか分からないが、アダマスはその力を使って、他人を意のままにしている。しかしたとえ自在に操れたとしても、そんな事に使うための力ではない。

『人の心を、弄ぶのは……神でも許されては、いけない』

 無意識の低い声に、バッカスは不覚にも背筋にゾッとしたものを感じた。ルルから、怒りとはどこか異なる威圧感を感じる。しかしそれはその間だけで、彼がこちらを向いて首をかしげた頃には、嘘の様に収まっていた。

『どうしたの?』
「い、いや……行くぞ」

 ルルはそっぽを向かれた事に不思議そうにしたが、止めていた足を歩かせた。

 迷路の様な道を、記憶を頼りに進む。バッカスは訝しそうに辺りを見ていた。奇妙なくらいに静かだ。太陽の地区は、夜更でもこれほど静かな時間は長くない。まるで、皆の意識が奪われているのではないかと思ってしまう。

『何か変わった事、ある?』
「あ? あ~いや、静かな所以外、今の所奇妙な動きはねぇな」
『そう。外に居るのも、今は…………僕らだけだね』
「みたいだな」

 しばらくし、暗闇に慣れた濃い赤の目が、何かを見つけて細められる。前を行くルルの肩をトントンと叩いた。バッカスは3つに別れた道のうち、右側の小道を示す。

『何か、見える?』
「いや、見えない」
「?」
「見えないんだ、道すらも」

 ルルは目をパチクリさせてから、ようやく何を言いたいのか理解した。見える人は、その場の光の加減によって、視界の鮮明さが対応すると聞いた事がある。今のバッカスの目は、大体の物が鮮明に見えるのだろう。
 そんな目に、道が映らないのだ。道先に何かがある可能性が高い。

『どうなってる?』
「薄く霧がかってる。行くか?」
『うん』

 ルルは剣を、バッカスは拳銃を手にし、慎重に霧の中へと入った。
 バッカスは煙たそうに霧を払う。ルルは壁を伝いながら進み、いつ道が消えても行き先を見失わないよう、全ての音と気配に集中した。
 霧に入って少し経ち、2人は同じ事を考えていた。

「臭うな」
『そうだね。何だろう……不思議な、香り』

 そう、霧が濃くなるに連れ、引き込まれる様な甘い香りがし始めたのだ。甘美にも感じたが、それは最初だけで、今は鼻が曲がりそうな鬱陶しさがある。

「誰かの魔法か……?」
『意図的では、あるね。濃い方へ行こう』

 霧はまるで導く様に漂い、しばらくは何の変化も無かった。長く歩いて、段差が爪先に当たった。それは女神像に続く階段。すると濃い黒色の霧に紛れ、灰色のボロボロなローブを着た人物がそこを登っているのが見えた。ルルは気配に気付けていない。クラクラしそうな匂いが集中を邪魔していた。
 バッカスはそんな彼へフード越しに耳元へ告げた。

「前、誰か居るぞ」
『……1人だけ?』
「今見えるのはな」

 女神像の側にある天使が四方を囲む噴水が、水を空高くへ吹き出す音がした。
 ローブの人影の正体を探ろうと、バッカスは目を眇める。その時、フラフラとおぼつかない足取りをしたローブの人物のフードから、見覚えのある金の髪がチラリと見えた。
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