宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と言葉の国】

星と踊る

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 踏み外さないように、水に浮かぶ石を飛ぶ。辿り着いた入り口をランタンで照らすと、まるで怪物の口の様な洞窟が奥深くまで続いている。水はずっと続いているらしく、奥から雫が垂れて跳ねる音が小さく聞こえてきた。ジェイドは腰を低くして、ヴァダール石の灯りを前に翳す。

「頭上に気を付けたまえ。足元も滑りやすいからな」
『分かった』

 天井から絶えず落ちる水のせいか、地面の石は滑らかで滑りやすい。そのため、ジェイドは先程よりもチラチラと注意深くルルへ気を払った。自分の平べったい靴とは違い、彼の靴の底はかかとが少し高いのだ。
 ルルは心配そうな視線に気付き、平坦な道でも壁に手を付いて歩いた。壁は痛いと思うくらいにゴツゴツしていて、手摺りが欲しい今は丁度いい。

「大丈夫そうかね?」
『うん。進んでいいよ』

 細いかかとも上手く扱えれば、石畳の間に引っ掛けて滑るのを防ぐ道具にもなるのだ。ジェイドはその様子と言葉を信じ、横にしていた体を正面に戻すと、自分の足元に集中した。

 ピチョンと水が滴ると、当たった石が鳴いた。途切れ途切れに音が繋がれ、ルルにはまるで歌の様に聞こえていた。自然界に近い人種だからか、この空間は人の街よりもとても居心地が良く感じた。
 不安定な洞窟を歩く事に慣れると、ルルの興味は様々な場所へ向いた。置いていかれないよう数秒だけ立ち止まる。試しに、目の前で一定の間隔で垂れている岩からの水に手を出した。ポツンと手の平に落ちた水を嗅ぐが無臭だ。それによってより興味を撫でられ、小さな水滴をペロッと舐めた。

(ちょっとしょっぱい? ん……後味は、甘いかも)

 珍しい味と感覚に、ここを探るのが楽しくなってきた。
 ルルは次に、壁に咲いている丸い花弁をした花を指で突く。花はポンと小さな音を出して空気を含んだ花弁を割り、光の胞子をふわふわと飛ばした。そのうち1粒、小指の爪ほどの胞子が鼻に留まり、思わずクシャミをする。それでもムズムズは消えずに頭を振っていると、音に気付いたのかジェイドの指先が触れた。

「好奇心旺盛なのは結構。素直であり続けたまえ」

 取った胞子にフッと息を拭いて飛ばしながら、彼はクツクツと笑う。それにルルは少し恥ずかしそうに、くすぐったい鼻先を掻いた。

「もう着くぞ。丁度いい時間だ」

 平面だった地面が少しずつ下り坂になってきた所で、ジェイドがポケットの懐中時計を見て言った。
 少しの段差を飛ぶと、着地した音が大きく響き渡る。辿り着いたそこは、巨大な怪物の胃袋の様に広った。天井の真ん中には丸く穴が開いていて、そこからは空が見える。

「壁に触れると危ないぞ。鋭い石が多いんだ」

 しかしそう言われた側からルルは興味を惹かれ、遠慮なく触れる。強すぎる好奇心の前では、忠告など頭から抜けてしまうものだ。
 洞窟の広場の壁は尖った石だけではなく、時々顔と同じくらいの平たい場所もあった。それら全てがまるで鏡の様で、小さかったり大きかったり、歪だったりと、洞窟全てに2人の姿が映っている。

「ここは鏡の洞窟だ」
『鏡?』
「そう、本当は名は無いがね。私が名付けたんだ」

 ツルツルな面を不思議そうに撫で、鏡の自分と手を合わせるルルに、ジェイドは同じ石に映るようにして言った。
 彼の声が反射すると、石は小刻みに振動して返事する様にポーーンと鳴る。その音は骨の奥まで響くほど深い音だった。

『凄く、賑やか』
「ほう? 人間には石の音は聞こえんからな。どんな世界か、見てみたいものだよ」

 ジェイドは想像も付かない世界を羨みながら、時計と空を見比べる。心の中でカウントダウンを始めると、小さな穴から少しずつ光が差してきた。
 ルルはそこで、彼の呼吸が小さく控えたものに変わった事に気付き、彼の隣に立つ。するとジェイドは上を見る事を勧めてきた。穴を覗き込む様に月が顔を出し始めている。

「時間だ」

 そう言ったとほぼ同時、小さく暗かった穴は閃光に満たされた。月が隙間なく穴に嵌ったのだ。
 瞬間、光は2人が映っている壁や床に乱反射する。ジェイドが名付けた『鏡の洞窟』は、その光の眩しさのあまり、一瞬のうちに白く染まった。だが視界が潰されそうな眩しさは、月が穴に顔をはめるたったの数秒だった。洞窟の中は光の反動か、一気に薄暗くなる。
 ジェイドは自分の唇に指を当て、辺りを見渡しているルルに囁く。

「星が降るぞ」

 その言葉を合図に、月光を充分に含んだ石が淡く発光した。そして、石と石の合間に身を潜めていた花の蕾が、その栄養を糧に蕾を膨らませ、白銀の花びらを広げ始める。すると花の真ん中から、青白い光の粒がこぼれ落ちる。それが側の石に当たってあちこちにゆっくり跳ね返り始めた。粒は花の種だ。それが暗い洞窟の中、ゆらゆらと空気に混ぜられ、まるで星の様に瞬いていた。種の通った跡にキラキラと光る粉を残され、星の雲を作る。
 ジェイドが言った『星』とはこの事だった。満月の光を糧にした花の開花。そこに鏡の石の暗闇にある光の吸収が合わさって出来る、奇跡の瞬間だった。

「……見事だ」

 この光景はやはり、何度見ても飽きない。隣を見ると、彼はいつの間にかフードを取って仮面を外していた。
 ルルは移り変わる星の動きを映した瞳を丸くしたまま、中央へ飛び出して周りをグルリと見渡す。

『凄い』

 頭に聞こえた声は、微かに震えている。正直、ルルにこの光景自体は見えていない。だがその代わり、全ては石が奏でる音として伝わっていた。

『みんな、歌ってる……』

 石は互いに共鳴し合い、次々に音を紡いで1つの音楽を奏でる。音の違いによって、種が光を小さくしたり大きくしたりと、変化して見せていた。その幻の様な風景の中、ゆったりした服が動きによって翻り、まるで星と共に踊っているようだ。彼が踊るたび、空気に光が混ざり色付く。
 ルルは両腕を広げ、心のままに踊り続ける。

「あぁ……まるで、星を生んだ女神のようだよ」

 暗闇の中、小さく柔らかな光を溶かして最も強く、美しく輝くルルの石。それを持ちながら優しげな表情を浮かべる彼は、本当に女神の様だった。
 まるで夢の中にでもいる様な光景だ。ジェイドはうっとりしたように、ひとり呟いた。

『ジェイドは……素敵な世界を、沢山、知っているね』

 波紋を描くルルの足跡に胞子が落ちて丸い光を帯びた。ルルは洞窟の隅々まで堪能し、差し伸べらた手に手を重ねる。

『ありがとう、誘ってくれて』
「喜んでもらえて良かったよ。丁度、光の舞も終わる」

 すると数分後、その言葉通りに種は光を小さくし、水の中に落ちていった。種は岩の間にある水の力を頼りに、この場で根を伸ばし、再びここで花開く時を待つのだ。
 石はまだ僅かに熱を帯びて淡く光を纏っている。その中に映る自分を宝石の瞳で見つめるルルの姿は、どこか名残惜しさを感じた。

「……もうしばらく、ここに居ようか?」
『いいの?』
「ああ」

 手ごろな岩に腰を下ろすと、ルルも隣にすとんと座る。彼は細い膝を抱え、思い返すように目を閉じて楽しそうに呟いた。

『初めて、外に出た時……吟遊詩人に会ったの』
「ほう?」
『とても綺麗だった。だから、歌が好き。でも……僕は、歌えないんだ。言葉を、並べるだけで、大変だから。もしも声が、出るようになって、歌を歌えたら……聴いてくれる?』
「もちろんだとも」

 頭を撫でてくれるジェイドに、ルルは嬉しそうに目を細めた。柔らかくふにゃっとしたその顔は、今までで1番笑顔に近く、ジェイドもつられて顔を綻ばせる。

『そう言えばジェイドは……どうして錬金術に、詳しくなったの?』
「それはな」

 そう言い掛けた言葉が止まった。ルルは中途半端に言葉が終わった事に目をパチクリさせ、彼を見上げて首をかしげる。

「あぁ、実はな……この世界はあまりにも孤独だろう? 私には友人が居るんだがね、共にそんな世界を変えようと約束をしたんだ。友人は科学という力で、私は錬金術で」
『そうだったんだ。とても素敵』

 だがジェイドはそう語った直後、僅かに瞳を揺らした。それは戸惑いから来る無意識の行動。
 今の言葉に偽りはない。それなのに先程自分は一瞬だけ、もう一つ別の、とても大切な目的があったと思ったのだ。しかしそれは『感覚』でしかなく、記憶を辿っているうちに消えていった。自分は生まれた瞬間の景色すら思い出せる。しかしだからこそ、今まで1つも忘れた事などないと、自分の記憶力を過信しすぎていたのかもしれない。
 記憶を辿って、ふと思い出した事があった。それは、ずっと昔に誰かが歌ってくれた子守唄。母でも父でもない、誰かからの歌。

「歌、か」

 試しに、雲の様な記憶を頼りに歌を口ずさみ始める。それはとても優しい子守唄。深緑の中、妖精たちが遊んでいる風景が描かれる歌だ。
 ルルは透き通る歌に心地好い微睡を引き寄せられ、小さく欠伸をした。途端に目蓋が重くなる。そういえば、世界はまだ夜明け前だ。

 歌が終わる頃、ジェイドは肩が重くなった事に気付いて隣を見る。つい先程までこちらを見ていたルルの目が目蓋に隠され、スゥスゥと寝息を立てていた。
 ジェイドはもう深い眠りの中に居る彼を起こす事はしなかった。

「いい夢が見られそうだ」

 彼は幼い寝顔を微笑ましそうに見つめてから、自分を誘い始めた眠気の手を取って目を閉じた。
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