宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と2つの国】

居酒屋ヘリオスにて

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 棚に揃えられた調味料の中に、光を受け付けないように真っ黒なダイヤモンドが、丁寧に飾ってある。手の平サイズのそれを背に、トパズは優しく微笑んで首をかしげた。

「何かわたしにご用でしたか?」
『僕はルル。旅人なんだけど、昨日はアメシストに、泊まったんだ。それで、太陽の地区で泊まるなら、ここへ……トパズを訪ねろって、バッカスから、紹介されて』
「あぁなるほど! 彼の紹介なら歓迎します」

 嬉しそうな彼女の様子にルルは拍子抜けした。本当に名前を言うだけで了承してくれるなんて。もう少し障壁があるかと思っていた。

『疑わないの?』
「彼の店自体は有名ですが、名前まで知っている人は、そう居ませんから。それだけでも信用に値するんです」
『そっか……確かに、名前に関して僕も、注意されたよ』
「ふふふ、月の方では、自己紹介は簡単にしませんからね。彼は元気でしたか?」
『うん、元気だったと思う。良くして、貰ったよ。とても優しい人だね』
「! そうなんです、優しいんです!」

 トパズはルルの手を握って、興奮気味に目を輝かせて言った。ルルは近付いた顔から離れる事はしないまま、小首をかしげる。

「あの人、無愛想でぶっきらぼうなものだから、よく冷たいって勘違いされるんですよ」
『そうなんだね。とても、恥ずかしがり屋……だとは思ったよ』
「あははっ本当そうですよね。褒められると、すぐ不機嫌になるんです」

 そう言って笑ったトパズは、ようやく熱い握手をしている事に気付く。何も言われない事で更に恥ずかしさが増し、そっと離して距離を取った。

「すみません、つい……。あ、客室に案内しますね」
『ありがとう。仲が、いいんだね』
「親友なんです」

 トパズに続いてルルも壁の階段を登る。待ち受けていた扉は1枚のみだった。
 たった1人で運営するヘリオスは、小さくも彼女の器量と愛想の良さで愛される居酒屋だ。アメシストと同じで過去は宿屋も経営していたようだが、今は取り壊されて、客間一室だけに収まっている。その代わり、残された部屋はとても綺麗だ。
 埃は無く、掃除が細かい場所まで行き届いている。天井が充分高くて、開放感もあり立派だ。今までの宿が古い物が多かったため、ルルは物珍しそうに周囲を見渡す。

『いい部屋だね』
「ありがとうございます。旅人用の宿なんて、あっても昔に作られた物が多いですもんね」
『うん。床が、抜けそうな所も、あったかな』

 旅人という存在は珍しくはないが、他国民との交流がほとんど廃れたこの世界は、彼らに優しくはない。宿が無い方が当たり前で、あっても整備されていないのが多かった。

「何かあったら遠慮なく言ってくださいね」
『ありがとう。明日の朝には、出るよ』
「分かりました。それじゃあ、失礼します」

 鍵机に置いて会釈する彼女を見送ったあと、ルルは荷物を下ろして腕を天井へ伸ばす。久しぶりに仮面とマントを脱いで、気兼ね無く眠れそうだ。
 花の刺繍が入った綺麗なカーテンと鍵を閉め、仮面とマントを取る。着けていても別に窮屈ではないが、やはり気持ち的に、見られてはいけないという緊張感が無くて楽だった。

 窓辺の机に、先ほど勝ち取った書物を広げる。ルルはつまむ様に核を片手にし、噛りながら紙を指で撫でた。とても古いのか、紙自体がボロボロだ。
 そこに書かれているのは、期待していた王の心臓についてではなかった。カサカサした紙から読み取れるのを要約するとこうだ。
 石のけがれと共に、王が外から訪れる。王は穢れを壊し、新たな導きの石を与えるだろう。王とされる者は神の代わりにこの世に降り立ち、生きとし生ける生命を従え、正しく裁く事が許される。王の言葉は神の望みである。

(裁く……か)

 所々、重要な部分が読み取れない。石とは国宝の事だと分かるが、それ以外は分からない。自分とは違う、まるで他人事のような感覚だ。
 王は何で決められるのだろうか。夢の中の誰かは、どうして自分を王と判断したのだろうか。ふと、ルルは疑問を自分に向けてみる。

(どうして僕は、自分を、知らないんだろう? セルウスショー、以外の記憶。それまで僕は、どこに居たのかな。知りたい。知らなきゃ……いけない)

 どこで産まれた? 皆に居るように父と母は居るのか? どうしてセルウスショーに居たのか? よく考えれば、自分は本当の年齢すら知らない。オリクトの民は短くて千年の命。人間の見た目の年齢とは違ってもおかしくない。

(ん……頭……痛くなってくる)

 ルルは机に腕を枕にして突っ伏し、チラッと書物を見る。端は破られているらしく、文章は歯切れ悪く終わっていた。結局自分が王と呼ばれる根拠を知る事が出来ず、行き場のない息が溜息になって吐き出される。
 旅をして知ったのは、オリクトの民はまだ滅んでいないという事。確かに宝石狩りで絶滅に追いやられはしていたが、国に数人は逃げ切った者たちが居る。

(ルービィのお姉さんに、尋ねてみよう。あと、この資料の続きも、見つけないと)

 ひとまずは、今整理出来る情報はこれだけのようだ。全く無いよりはマシだと、ルルは書物をガバンにしまう。そして代わりに本とガラスペンを取り出した。まだ少ないが、ノイスでの出来事や出会った人を書くために。
 まっさらなページに、ルービィの顔の特徴を一つ一つ描き込んでいく。肩までのふわふわした髪、小さな鼻に無邪気さを残した可愛らしい瞳。口は上品に微笑んでいて、育ちの良さが分かる。
 ふと、頭に包帯となったドレスの切れ端が巻かれたままになっているのを思い出した。試しに、傷口があるであろう部分を軽く突いてみるが、特に大きな痛みは無い。

(もう、いいかな?)

 丁寧な結び目を解いてみた。指で撫でると、血を含んで硬くなっている部分がある。しかしそこ以外は綺麗なままだった。

(もったいないな。でも、血があるし……落ちないかな)

 席から立つと、洗面台で皿の様な桶に布を入れ、血の部分だけを強く擦る。しかしもうすっかり乾いていて、どう頑張っても取れる事は無かった。

(ここだけ切ったら、どうにか出来るかな)

 水を絞って試しに鼻を近付けた。血生臭さはせず、花の香りがする。それはルービィの隣に居ると漂って来る香りだった。この布はまだ、彼女の元に帰りたがっている様に感じる。
 ルルはしばらく悩ましそうに考えに浸っていたが、パッと顔を上げ、急いでマントを羽織りフードを目深にすると部屋から出た。

 店の中はもう客の姿は無く、トパズがせっせと後片付けに勤しんでいた。彼女は背と同じほど積み重ねた皿を持って、器用にバランスを保ちながら厨房へ消えていく。
 ルルはトパズのパタパタ走る音と、食器が擦れるカチャカチャという音を追う。そこでせっかくならと、数枚だけ重なった皿を両手に持ち、迷惑にならない程度に手伝い始めた。厨房に入った所で、トパズは彼の姿に気付く。

「え、ルルさん?! わぁ、すみません、気付きませんでした!」
『大丈夫だよ。少し、手伝っていい?』
「ありがとうございます、とっても助かります」
『いつも……1人で、やってるの?』
「はい。こういった作業も、楽しいんですよ」

 その言葉は謙遜ではなく、本心なのだろう。ルルは好きな事に真っ直ぐな彼女に、他人ながらも嬉しく感じた。
 動きでフードが取れないよう、注意しながらトパズに習って皿を運ぶ。しかしルルが1回往復する頃にはトパズが倍に厨房と店内を行き来し、すぐに店内は綺麗に掃除された。

「ありがとうございます、助かりました! 今日はいつもよりお客さんが多かったから」
『良かった。あのね、お願いがあるんだけど』
「何でしょう?」
『裁縫道具……なんてもの、あるかな? あったら、貸してほしい』
「もちろんです、待ってて下さいね」

 それから持って来られたのは、トランクケースに似た形をした裁縫箱。必要なのは糸と針、そしてハサミ、ボタンだった。しかし裁縫に知識が無く、ルルは丈夫な糸と持ちやすい針を尋ねてそれを借り、最後に丸いボタンを選んで部屋へ戻った。

 机に置かれている、太陽の形をした器の中に入った石に油を染み込ませ、火を灯す。灯りが安定するのを待って、ルルは椅子に腰を下ろした。見えないから意味は無いが、ぬくもりが欲しかったのだ。
 ドレスの切れ端を半分に切り、血で汚れた部分だけを捨て、指の感覚を頼りに慎重に縫っていく。切り離した短い方をリボンの形に縫い、片方に付けた。程よい長さに切って端の方へボタンを付ければ、出来上がったのは可愛らしい首飾り。仕上げとしてルビーを作り、リボンの中心に飾った。
 これを作った事に他意は無い。ただそのまま返すのは味気ないと思ったから作ったのだ。手当てをしてくれた礼も含めている。

(明日……渡そう。喜んでくれると、いいけど)

 これを着けた彼女は、きっと可愛らしい笑顔を見せてくれるだろう。それを実際に見られないのが本当に残念だ。
 それでもルルは満足そうにし、灯りを消して席から立った。チョーカーをシワにならないよう畳み、丁寧にカバンに入れる。アメシストと同じで、天井から釣り下がった揺りかごの様なベッドに腰掛け、剣を胸に抱く。夜が明けるのを楽しみにしながら、虹の両目を閉じた。
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