宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と言葉の国】

邪魔者

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 花は咀嚼しようと身じろぎする。しかしその動きは、痙攣に似たものにも見えた。
 すると、花の内側から何か音が聞こえ始めた。やがてそれはバキッと大きな音を立てて亀裂を作り、まるで模様の様に花びらから茎へと広がっていく。脆くなった体は耐えきれなくなったのか、巨大な肉食花はグラリと傾いてその場に落ちた。
 それまで頑なに口を閉じていた蕾が、花咲く様に崩れる。中にはルルが立っていた。怪我1つ無く、彼は頭や体に降る宝石の破片を払いながら、平然と出て来た。

(胃液が無くて、良かった)

 相手へ対し抵抗する事をやめたのは、口内にこそ心臓の役割をする核の脈動を見つけたからだった。そのお陰で、歯が体を切り裂く前に砕く事が出来た。

(次が来る前に……行かなきゃ)

 まだこの立っている地面すら信用してはいけない。もしかすれば急に足元が割れて、飲み込まれるかもしれないのだ。
 体内に広がる暖かくて大きな脈動に目を閉ざし、胸元に手を置く。

(もうすぐだよ、ジャスパー。君はどこ?)

 鼓動に共鳴して聞こえるのは、縋り付くような国宝の悲鳴。命を紡ぎ続けるための叫び。しかしそれは今や、彼自身の叫びに聞こえた。
 視線が迷い無く導かれたのは、やはり大図書館だった場所。その中でも彼が見つめるのは、空高くそびえるマラカイトの柱の中心だ。

(見つけた)

 夢の中で出会った幼い彼は、国宝本体に守られる様に包まれている。マラカイトの殻の中で胎児の様に体を丸め、深く眠っていた。
 濃い緑の壁に阻まれて、その姿を肉眼ですら見えないが、理解する事は出来た。しかし悲鳴を邪魔する物がまだ居る。
 ルルは相手へ、珍しく冷たい視線をたたえながら振り返る。
 その邪魔物と言うのは、ジェイドが居る場所とは違う方向からやって来たマラカイトの兵士たちだ。しかしまっすぐこちらへ来る彼らへ剣は構えない。

『……少し、しつこい。いい加減、大人しくして』

 いつもより低く冷淡な声が響いた。それと同時、兵を睨むように見つめていた虹の瞳が、一際大きく輝く。その瞬間、それまで長年訓練された様に足並み揃えていた彼らの動きが、標的を囲んだところで止まった。それはまるで、彼の声に従ったかの様に見えた。
 ルルはいくら経っても来ない事に不思議そうに首をかしげる。

(止まった? 何でだろう……僕の声は、物には……届かないのに)

 そもそも彼らを操るのはジャスパーの筈だ。彼に何かあったのだろうか? しかしひとまず、今は喜ぶべきハプニングだろう。無駄に力を使いたくはないのだ。

(しばらくそのままで、いてね)

 狭い隙間でも、動かない物が相手では易々と通り抜けられた。
 兵たちを抜けた先には、過去は背の低い階段を描いていた小山。それを超えてすぐ、巨木の様な塔がすぐ目の前を隠す。見た夢からして深い崖の底を想像していたが、どうやら国宝を守るため、天へ押し上げたらしい。しかしそれはあまり大きな障害ではなかった。
 霧が隠す空を見上げ、確信を持ちながら頷く。

(このくらいなら、大丈夫そう)

 ルルは塔に手を添え、目を閉じると体の内側へ力を注ぎ、一気に外へ放出させる。仄かに白が混ざる虹の橋が生み出され、螺旋状に塔を走った。
 先程も力を使う事を躊躇ったのはこのためだった。慣れていない力を更に消費してしまえば、塔を登る手段を失う。あまり綺麗な足場とは言えないが、丈夫さは申し分ない。
 ルルはまるで石像のようにそこにある兵士たちを一瞥し、奥に広がる地平線を見る。遠くの音を拾う彼の耳を持っても静けさは続き、他の邪魔物は来る気配はまだ無い。

(今のうちだね。階段は……このままで行こう)

 あとでジェイドと合流するための道は必要だろう。また邪魔をする人物が現れたとしても、倒せばいいだけの事。

 高くなるに連れ風が強くなり、長い髪が後ろへ靡く。その時、塔の表面に小さな亀裂が出来た。宝石の耳は、女性の歌声の様な風の音に紛れたその合図を聞き逃さない。

(来る)

 走り出した瞬間、足を狙った無数の刃が柱の亀裂から階段を貫いた。鋭い刃先がマントをスレスレで掠め、走る彼を執拗に追う。時折目の前へ先回りする刃は、足に力を込めてなんとか飛び越えた。
 少しでも動き方を誤れば、一瞬で刃の緑が赤く染まるだろう。ルルは背後を見ず、ただただ上を目指して駆けた。
 もう少しで目的地に辿り着く。その頃彼は、遠くで何かが壊れる別の音を聞いていた。しかしそれが何なのかと安易に振り返れば、すぐ刃に身を預ける事になるだろうからと、目の端で見る余裕も無かった。
 それまで後ろにあった気配が消え、代わりに目の前に別の気配が立ちはだかった。壁の様なそれは、数十人の人間を掛け合わせたと思えるほどに巨大な兵士。

「!」

 ルルは大振りな動きに後ろへ飛び退く。落とされたその拳は、彼の背と同じほどの大きさで、直前まで立っていた場所が抉れている。
 兵士の生気を持たない掘られた様な目は、こちらから視線を一瞬たりとも外さない。しかし兵とは別の視線をもう1つ感じる。それを追って空を見上げると、少し子供の様な弾みを持った青年の声が聞こえた。

「ア~ァ、避けちゃイケナイよ、ルル?」
『……ジャスパー』

 ジャスパーは姿勢を正した兵士の肩に、優雅に座った。彼の体には所々、細かな傷や大きな亀裂が入っている。それでも、動くたびに欠片が落ちる顔は、楽しそうに笑っていた。

「アマリ抵抗しないで。イヤでしょ? 痛イの」
『何をする気?』
「壊すんダ。ルルが起こそうとしてる本物のボクを、ネ? ソウスレバ、本物はボクになるカラ」
『そう。なら、抵抗は……やめられない』

 剣を構えられ、ジャスパーは不服そうな顔をする。彼へ滑る様に泳いで近寄ると、頬を両手でそっと包み、切なそうな声で呟く。

「ボク、大好きダヨ……君の事。一緒にいたいよ、ズット」
『僕も、同じだよ。でもそれを、歪ませては、いけないの』

 剣のグリップを握る手に力が篭る。それにジャスパーは恨めしそうに顔を歪め、咄嗟に離れると兵士の肩に立った。

「……残念。だったら、思う存分最後まで遊ボウよ。どっちが強いカナ? ボクの人形とルル!」

 彼は言葉と共に空中へ飛んだ。それを合図とし、兵士はルルへ巨大な拳を振り落とす。咄嗟に後ろへ飛び退くと、再び空ぶった拳は地面深くに埋まった。兵士は休む暇無く、まだ自由な片腕を振り上げる。
 ルルはその平手を打つ様に迫る手を避ける事なく踏み込み、半分まで埋まった拳の甲に跳び乗った。そして間髪入れず、動き出そうとする手首へ切っ先を突き立てる。するとビシビシと派手な音で亀裂が深く走り、左手は粉々に砕けた。

「アハッ強イネ、ヤッパリ。でもマダ残ってるヨ。少シ工夫したからネ、コノ人形は」

 言葉通り、兵士の中心にある核を壊さなければ動きは止まらない。更に核の鼓動を辿ってみれば、これまで相手にして来た兵士たちに比べてひと回りも大きな物だった。
 体の分厚さも考慮すると、剣で断つには寸分の狂いも許されない。少しでも気が緩めば届いてくれない。しかしそれ以上に厄介なのは表からの攻撃だ。集中を妨害されないよう、右腕も壊しておきたい。

「ダメダメ、コッチに集中しなくちゃ。考エ事は禁止ダヨ!」

 ジャスパーが自身の右腕を払うように動かす。すると操り人形のように兵士の右腕が殴りかかって来た。ルルは重たい拳を剣で受け止める。
 しかしそれまでかかっていた圧力がふっと、微かに軽くなったのを感じた。その瞬間真横から突然、呼吸を忘れるほどの衝撃を受けた。体が理解するよりも早く、壁に叩きつけられる。強さのあまりか壁にヒビが入った。
 不自然な動きを感じて、咄嗟に剣を体の前へ構えたが防げなかった。見れば、粉々になった左腕はすっかり元通りに直っている。かすり傷すら見えない。

(あれ……おか、しいな。左手は、壊したのに)

 思い切り頭を宝石の壁にぶつけたルルは、大きな目眩と激痛に膝をつく。
 ジャスパーは、フラフラする体を剣を杖にして耐える姿に、思わず丸くした目を揺らした。殴るよう指示した左腕が震え、右手で抑える。

「モウ……やめよう。ダッテ痛いでしょ? 邪魔ヲしないで、ボクの。ソウスレバ、傷付けないで済ムから」

 情けを掛けるその声はどこか緊張している様に硬く、震えている。それでもルルは深く呼吸して目眩を小さくし、なんとか立ち上がった。操り主が動揺しているせいか、兵士の動きが鈍い。壊すなら今だった。
 ジャスパーは再び剣を構え、強い瞳で見つめる彼に唇を噛むと、今度は両腕を振り上げた。

「じゃあせめて、コレで……!」

 兵士は押しつぶそうと巨大な両手を上げた。ルルはまだ動けず、その場でただ切っ先を向ける。
 しかし、その手が触れるよりも前に、兵士の腹に小さな穴が開き、グラリと傾くと膝から倒れ込んだ。どこから飛んで来たのか、シュンシュンと熱が急速に冷める音を出す真っ赤な弾は、確実に核の中央を捉えていた。
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