宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と言葉の国】

再出発

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 体が赤子の様に優しく包まれ、手が暖かい。微かに開けた視界は、どんな宝石の輝きよりも眩しすぎて、すぐに鮮明にはならなかった。
 ジャスパーは何度も目を瞬かせる。そして、何百年ぶりかの新鮮な空気に肺が驚いたのか、思わず大きく咳き込んだ。

「ん……うぅっ」

 ルルは彼の背中を摩り、ようやく意識を鮮明にさせた彼へジェイドと一緒に微笑んだ。

『おはよう、ジャスパー』
「おはよう」
「あ……っ」

 真新しい太陽を背景にした2人は逆光だったが、優しい笑みがハッキリと分かった。それを理解した瞬間、視界が水の中のように歪む。みるみるうち、赤と緑の目に涙が溜まって勝手に溢れ出す。
 ジェイドはジャスパーを包むルルごと、力強く抱きしめた。

「ゴメンナサイ……痛イ事して……! 傷付けて、ごめんナサイ……!」
『独りには、返さないって約束、したでしょ?』
「大事な子供を見捨てる訳ないだろう」
「ありがとう……ジェイド、ルル」

 2人からの言葉にしゃくり上げながらも頬を染めて俯いた。やはり2人は優しすぎる。
 ジェイドはその様子に笑い、ルルもホッとしながら周囲を見渡した。

「どうした?」
『国宝を、新しくしたいの。グリードはここに、確かにあったから』
「しかし、国宝ごと破壊してしまっただろう?」
『大丈夫。核があれば』

 今はもう聞き逃してしまいそうなほどの脈動。国宝の欠片はジャスパーの足元に転がっていた。それは親指ほどの小さな物だった。
 それを両手の器で包み、口へ招き入れた。何よりも硬い歯で2つに割って飲み込むと、痛いと思える熱が胸元で弾ける。グッと体を丸め、熱を持つ胸に両手を持っていく。祈る様に絡ませたその指の隙間から、眩い光が放たれた。やがて光が収まった両手をそっと開いて見せた。
 光の加減で赤や青、緑にも見える美しい宝石が手の中で転がった。

「これは……アレキサンドライトか?」

 国宝をルルが決める事は出来ない。これを持つべき存在に、相応しい宝石が選び出されるのだ。

『これは君の石。これからきっと、助けてくれるよ』

 ジャスパーは跪き、それを慎重に受け取る。そして胸元に宝石を抱えると、そのまま背中を丸めて懺悔する様にルルへ頭を下げた。彼は覚悟を決めて目を閉じている。

「王サマ……裁いて下さい、ボクを。ボク受けるよ、どんな罰モ」
「! ルル、この子を裁くのなら──」
『悪人以外を……裁く必要は、無い』
「デモ、ボクは間違えたンダヨ?!」

 ルルの口から可笑しそうに「ふふ」と笑った音が聞こえた。彼は罪と罰を勘違いしている。

『間違える事の、何が悪なの? 本当に悪いのは、それを認めない事。それを、正さない事。君は違う』
「ルル……ッ」
『これからは、前を見る必要が、ある。待っているのは、罰じゃなく……君への、沢山の幸福だから』

 その優しい言葉は、耳に囁かれている感覚だった。ジャスパーは包まれる冷たい筈の体が暖かく感じ、声を出さずに静かに涙を流した。

 ルルは頭の奥底で新しい小さな悲鳴を聞き、視線を空へ上げた。次の国宝が呼んでいる。

『そろそろ……行かないと、いけないかも』
「新しい国へ行くのか?」
『うん。呼ぶ音が、聞こえたの』

 ジャスパーはその言葉に寂しそうに目線を落とした。ルルはその気配を察して首をかしげる。

『どうしたの?』
「モウ……さようならだから」
『また、会えた時、沢山話せるよ。だから……寂しいだけじゃ、無い』
「会ってくれるノ? マタ」
『もちろん。会えるのを、楽しみにしてる』
「……ウン、そうだね。ルル、マタ、会おうネ」

 まだ寂しさを拭えないままでいるジャスパーの額に、ルルはそっとキスをした。

『もう君は、独りにならない。それを叶えるのは……僕じゃないけれど』
「え?」

 しかし不思議そうなジャスパーには答えず、ジェイドへ視線を向ける。彼は目を瞬かせたが、意味を察したのか微笑んで頷いた。
 別れ際、差し出された彼の手を握り返す。

「ありがとう、ルル。世話になった」
『僕の方こそ、ありがとう。楽しかった。またね』
「ああ、必ずまた会おう友よ。あぁそうだ……マジェスに行ったら、リンクスと言う男を訪ねてやってくれないか? 私の親友だ。君に会いたがっていてね。恐らくだが、旅の助けになる情報をくれるだろう」
『分かった、ありがとう。それじゃあ、2人とも……さようなら。また、会う時まで』

 ルルは森の小さな庭から一歩外れる。視線をくれるジェイドとジャスパーへ振り返って大きく手を上げ、緩やかに振った。
 それ以降、こちらに顔を向けるは無く、森の中へ消えて行く。数ヶ月共にし、充分な思い出で満たされた彼にとって、名残惜しいという寂しさは無かったのだ。
 ジャスパーは何も見えない森の奥をしばらく見つめていた。

 ジェイドは彼の隣に座って空を見上げる。朝の太陽によって、雲は赤くなっていた。

「さあ、初めての太陽はどうだね?」
「うん、あったかイ。あっついカモ」
「はっはっは、すぐ心地好くなるさ」
「…………行くノ? ジェイド」
「ああ、行こうか」

 ジャスパーはまだ引き止めたい気持ちがあった。だが彼にはこれから、膨大な旅が待っている。そう言い聞かせて自分に首を振り、意を決して頷くと、肩に掛かる上着を握りしめる。

「じゃあコレ、返すネ?」
「仕立て屋に行くまで着ていなさい」
「無いよ? 仕立テ屋なんて」
「これから行くのさ」

 そう言われて差出された大きな手を、何の事だか分からずただ見つめた。ジェイドは仕方無さそうに笑みを含めた溜息を吐いて、もう一度目線を合わせる。

「さぁ、行くぞ。旅に」
「…………え、エ? 旅って……ジェイドの?」
「当たり前だ。それ以外、何かあるのかねまさか置いていくとでも?」
「そりゃ、だ、ダッテ……え、何で? ボク、邪魔をしたんダヨ? なのにナンデ、居ようとスルノ?」
「自分の子同然に愛しい子を置いていけなんて、随分と残酷言うじゃないか。それに、出会った頃も誘っただろう? あの時は、外に出られないから仕方なかったが、今はその障壁が無い」

 向けられる優しい微笑みは記憶と何も変わらない。しかしジャスパーは甘い誘いに大きく頭を横に振った。そして膝から形だけを模した鉱石の両足を見せる。

「ホラ、この鉱石の足、地面を歩けないンダ。一歩も。旅は出来ナイよ。それに、それに──」

 言い訳を必死に探し続けていると、呆れた溜息が聞こえてきた。しかしその直後、冷たく硬い膝裏に手が差し込まれ、背中に腕が回るとフワリと抱き上げられる。

「ワっ!」
「足は、解決するまでこれで我慢したまえ。はっはっは、軽い軽い。ちゃんといいものを食べないといけないなぁ。お前は育ち盛りなんだ」
「だ、ダメだって……!」
「……なぁジャスパーよ、望んではくれないか? お前は自由を手に入れた。それで……選んでおくれ」

 小さくて少し哀しそうな声にジャスパーは言葉を詰まらせる。彼の首に、迷いに迷って恐る恐る腕を回した。
 恐ろしい。何度払っても自分を優しく導こうとする、その手が。自分がその手を殺してしまうかもしれないのだ。

「ホントに……」

 自分は人にも、オリクトの民にもなれない存在。神に背いた象徴。それなのに選んでいいのだろうか。自分にも選ぶ権利があるのだろうか。彼らが言う、本物の自由を手にしても。
 ジャスパーは体を僅かに離す。

「……ヤダ」

 ジェイドはボソリと呟かれた否定に、岩の様に表情を強張らせる。本当にショックを受けたようだ。しかし少しして、ムスッとした顔で付け加えられる。

「ジェイドばっか、ボクに、色々してくれるのは、ヤダ」

 ジャスパーは自分が負わせた足の怪我を見て、そっと触れた。そして、歌う様に口ずさむ。

「【痛いの痛いの、飛んでいけ】」

 ジェイドはそれに驚いて目を瞠った。ズキズキとした重たい痛みは言葉通りに消え去ったのだ。それはまやかしではなく、立ち上がっても何事も無いようだった。

「これクライしか、出来なイけど」
「……充分すぎるよ」

 眉根を下げて微笑んだ彼の胸元に顔を隠し、繰り返し尋ねる。

「本当に、ホントに……イイノ? しても知らないよ? 後悔」
「ああ、行こう。一緒に。ずっと」

 ジェイドはまだ幼い顔をクシャクシャにして泣く彼に「泣き虫だな」と笑う。不思議だ。悲しくないのに涙が止まらず、不器用な笑顔しか作れない。だがその笑顔は、これまでで1番輝いていた。

「見てみたイ。色んな物」
「ああ。まずは腹ごしらえだな」
「アハッ……フフフ。ウン、そうだね」

 ジャスパーは自分よりも広い肩に頭を預けて、涙混じりに可笑しそうに笑った。
 ジェイドは庭から出て顔だけを振り向かせる。その視線は、蜜を探す緑色の蝶を追っていた。
 彼は蝶が選んだ花に一瞬驚いたが淡い笑みを浮かべ、再び旅へと足を踏み出す。それは新たな門出を見送った、紫の美しい宝石の花だった。
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