宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と言葉の国】

優しい国

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 ジャスパーから淡い笑みが消え、僅かにキョトンとした顔が徐々に強張っていく。
 彼は何を言いたいのか。どうやってそんな答えに辿り着いたのだろうか。ただ訳が分からず、平然な呼吸を保つのがやっとで、言葉が中々でて来ない。

「……ドウイウ意味?」
『言葉のままだよ。ここに、書かれているのは……僕がこの本に、書いた物。そっくりそのまま、書かれている』
「そんなワケ無いジャナイ。だって」
『宝石の花』
「え?」
『宝石の花の事が、書かれているの。それに、外にも沢山……咲いていた』
「それは……ダッテ、この国の花ダカラ」
『ジャスパーも、そう思っているの? あれは、僕とジェイドにしか、作れない花なのに。彼も、誰かにそう、思わされていたみたい。僕ね、一晩それが、誰なんだろうって……考えていたんだ』

 ルルの声は相変わらず乱れず、まるでお伽話を読んで聞かせる様な穏やかさなまま続く。しかし「でもね」と言ってから言葉が数秒止まり、それまで閉じていた目が現れる。
 長いまつ毛が隠す瞳が覗き終わるまでの沈黙には、誰の呼吸も聞こえなかった。

『……おかしいの。宝石の花の存在を、知っているのは、僕とジェイド、そして、君だけなんだ。他の人があの花を、どうこう出来る筈、ないんだよ』
「もしかして、疑ッテルのかな……ボクを?」

 強張った頬を無理に動かした引きつった笑みに帰って来たのは、肯定の頷き。

「……、……違うヨ、ルル。ボクは何もシテナイ」
『言っていたでしょう? 言葉を、具現化するのは……君の知識に、ある物だけって』

 ジャスパーは凍ったように動かない首を、なんとか横に振る。しかし意見は変わらなかった。
 様々な可能性を考えた。もしかしたら、自分たちを遠くから見ている存在が居るのではないかなど。何度も無理な仮説を立てては崩したのだ。結局考えに相応しい答えは、1つしかなかったから。
 何より彼を疑う必要があると確信したのは、10年前のジャスパーとジェイドの出会いと同時に起きた記憶の変化。そして決定的だったのは、この本に現れた文章。それは彼にだけ見せた青い本に記した物だったのだ。

『ジャスパー、本当の言葉を……教えて?』

 彼は形の良い唇をグッと噛んだが、いつも通りの微笑みを向けた。

「【忘れて】よ。今、話した事」

 言葉はルルの体に強く響き渡るが、それ以外は何の効果も示さない。そういえば、さっきも本へこの魔法をかけていた。
 目の前でパキパキと、何か砕ける小さな音がし始めた。

『忘れないよ。言葉の魔法を……使っても、僕は覚えてる』
「オカ、シイナ……? 【来ないで】……ダメ、【見ないで】!」

 ジャスパーは、誰よりも強い色でこちらを見つめる虹の瞳から、逃げる様に頭を抱えた。
 距離は一歩一歩と確実に詰められていく。ただ取り乱すように「忘れて」と、言葉に魔法を乗せて繰り返す事しか出来ない。そこに、パキリ、パキリと何かが割れる音が混ざり続けていた。
 ルルは呪いの様に言葉を吐き続ける唇に、そっと人差し指を置く。

『それ以上は、砕け落ちてしまうよ』
「アッ?」

 ジャスパーはそこでようやく、間近に迫った鏡に似た瞳の中に居る自分の身体に、割れ目が入っている事に気付く。所々、傷口の様にパックリ開いた合間からは、血の代わりに緑の光が溢れ、触れた場所からポロポロと欠けらが床に落ちた。

「ボクの、身体は……綺麗じゃなきゃ!」

 しかし言葉が響いても、ピシピシと細かな亀裂が入るばかりで、いくら経っても修復されない。それどころか体の崩壊は止まらず、軋む痛みに顔が歪んだ。
 今や言葉の魔法は、彼自身を蝕むものでしかない。これ以上言葉を紡ぎ続ければ、その体は確実に壊れてしまうだろう。

『もういいんだよ。もう、魔法を使わないで、いい。偽りを、本物にする必要も……無いよ』
「エ?」
『ジェイドが全て、思い出したの。自分が、旅人だった事を』
「ウソ…………嘘ダ……」

 ジャスパーは震えた声で呟くと、糸が切れた操り人形の様にヘタリと座り込んでしまった。目の前でこちらを見るルルの服を握り締めて縋る。

「イヤ……嫌だよ、を終わらせないで……ボクを独りにしないでっ! もう嫌ダ、戻りたくないヨ。ズット独りなんだ、アソコは」
『落ち着いて。大丈夫だよ、独りにはならない』
「じゃあ、居てくれるの……? ルル。コノ国に、ずっと」
『それは……無理だよ。僕は旅を、したいから』
「行カナイデヨ、旅なんて。外は危ないよ? 沢山ノ人間が狙う。でもソンナ人、グリードには居ない。だって……だってココは、ボクの国だから」
『君の……国?』
「そう。ココは作った国ナンダ。ボクが、言葉の魔法で。凄いでしょ!」

 堂々としていて少し興奮気味な声が大図書館に響く。
 言葉の魔法が国の常識を変えたのだとは予想していたが、まさか、国自体を作りあげていたとは思わなかった。しかしそう言われると、国の妙な静けさや、グリードの民が大図書館に訪れない事などの違和感に合点がいく。

「ココは世界一優しい国。だからボクらヲ傷付ける人間は1人モ居ない。ネ、素敵でしょ? 欲深い目デ見る人間も、値踏ミされる事も無いンダ」
『素敵? 本当にそう思うの……?』

 それは本気の言葉だろうか。ここは誰のための世界? ジャスパーが望んだ国? 優しさを知らない彼の、偽りの優しさで満ちた国。そんなの、悪夢の間違いだろう。
 ルルは首を横に振りながら、服を握って震える拳に手を重ねた。

『僕はこの国を、優しいとは思えない』
「な、何デ? 誰にも酷イ事されなかったデショ? 奴隷商人モ居ないし、たとえソノ姿を晒したって誰も好奇な目で見ない。ダカラ──」
『もうやめて、ジャスパー』

 あまり感情を表さないルルの顔が、これまでに無いほどハッキリ歪んでいた。不愉快さ、怒り、そして哀しみを含んだその顔に、饒舌だったジャスパーは言葉を失う。
 どうしてそんな顔をするのか分からなかった。ただこの国の良さを語っただけなのに。

『誰も、君を見ない国……? そんなの、優しいわけない。独りのままじゃないか』

 その言葉に丸くなった色違いの目から、緑色に輝く雫が頬に伝った。するとジャスパーの口から疲れたような笑い声が漏れる。

「……2人とも意地悪ダナァ、本当」

 この国が茶番にも満たないと、最初から分かっていた。ジェイドに出会って人の優しさというものに触れてから、この国がどれほど孤独で、寂しいハリボテなのかを思い知っていた。それでも、ずっと無視していた。静かで何も無くても、もう国は完全に出来上がってしまっていたから。
 だから閉じ込めたんだ。1度知った優しさを、すぐには手放せなかった。

「もうココから、ボクは、離レラレナインダよ?」

 ルルからいろんな人と国の物語を聞くたびに、窓の外を見る回数が増えた。空が美しいなんて思った事も無いのに、思うようになった。自由な彼が羨ましい。傷付きたくなくて閉じ籠ったのに、傷付いてもいいから自由になってみたいと思ってしまった。
 いつの間にか、国と自分の存在を保つため、夢に身を委ねたの願いが変わっていた。

 1つ、鐘が鳴った。

「知ってるカイ? ボクが居た場所。真っ暗で、冷たくて……無インダ。なーんにも。イマサラ、コノ国を終わらせられナイヨ」

 2つ、鐘が鳴った。

 主人の願いが途切れた夢は、崩れる以外の未来が無かった。もう1度願いが叶うだなんて都合は良くない。崩れた先に待っているのは懐かしい真っ暗な孤独。それならたとえ偽りでも、彩りがある孤独の方が耐えられる。

「モウ、アソコに戻りたくない……っ」

 3つ、鐘が鳴った。

 地中から大きく持ち上げられる衝撃があった。足元がグラリと揺れ、突然の事にルルの体は少し遠くに放られて倒れる。振動の影響か、2人の間に大きな崖が出来ていた。

 4つ、鐘が鳴った。

『ジャスパー!』

 急いで起き上がり、手を伸ばす。しかしジャスパーはその手を取らず、ただ、出会った頃と同じ様に微笑んだ。

「ゴメンね、ルル」

 5つ目の鐘が鳴った。その瞬間、星や月も登らない夜が訪れた。
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