上 下
42 / 204
【宝石少年と言葉の国】

直された記憶

しおりを挟む
 道を紡ぐ色取り取りな小さい石畳の欠片を、誰かの靴先が蹴った。普段はその僅かな引っ掛かりにも、無意識に一部の意識を向けるジェイドだったが、今は見向きもしない。
 彼は息を少し荒くさせるほど、足早に道を進んでいた。時折親しげに声を掛けられるが、ぎこちない笑みしか返せない。

(ああ、これほどまでに何もまとまらないのは……初めてだ)

 心の中で悩ましく頭を抱える理由は、理解していても飲み込めない状況のせいだ。
 人影が少なくなると、ジェイドは堪らずに溜息を吐きながら、耳に手を添えて口を開いた。その耳たぶには、あまり見慣れない紺色の宝石が下がっている。

「繋がっているかね? リンクス」
『おう、しっかり聞こえるぞ。さっきの溜息もな』

 耳にはめ込んだ、目立たない小さな機械。そこから聞こえてきたからかいに、少し眉根を寄せて笑って返す。
 今彼が着けているのは、遠くの人間と音声通話が可能な機械。『科学の国』と称されるマジェスが発祥の通信機だ。

『んで? 思い出したんだって?』
「ああ。昨日、ようやく全ての……本当の記憶を思い出したよ」

 マイクの向こうから、安堵の吐息が聞こえた。そう、全て思い出したのだ。
 以前彼から指摘された通り、自分はこの国の住民ではなかった。とある理由で、世界に存在する国々の技術を知るべく旅をしていた彼は、10年前この地に訪れた。

『どうして急に思い出せたんだ?』
「前に言った、グリードに来た旅人に言われたのだよ」

 本当の記憶を取り戻す事が出来たのは、昨晩のルルの問いのおかげだった。彼の質問は『宝石の花』から始まった。ジェイドは昨晩の事を思い返す──。


『宝石の花が……道端に、咲いていたんだ』

 彼は何の前触れもなく、ポツリと呟いた。まるで独り言の様にどこかを見て言ったあと、こちらの様子を伺ってじっと見つめる。
 ジェイドは向かい合う形でソファに座りながら「ああ」と小さく頷いた。

『あれは世界に、1つだけ……なのにね』
「ん? あれはこの国の名産だぞ」

 ルルはその言葉に驚くように目を開いたが、浅い呼吸をすると目蓋で隠し、ゆっくり首を横に振る。

『違うよ』

 そう否定する声は、決して間違えを責めるものではなく、全てを悟ったように静かで、落ち着いていた。

『あれは、ジェイドの錬金術。貴方が花を咲かせて、僕の力を使って……宝石に変えたの』

 キョトンとした小さな翡翠の目が丸くなり、彼は疑問に口を開いた。しかし言葉が発せられる直前に、その唇にルルのしなやかな指が置かれる。

『いつから? いつから、あれが……当たり前だと、思ったの?』

 その言葉を最後に、ようやく口が指から解放される。しかしジェイドからの返答は、しばらくの間無かった。一切逸らされないその虹の瞳が、まるで自分の中身全てを見つめている気がして、言葉を無闇に紡げない。
 しかしルルの顔が優しく緩む。

『ごめんね……沢山、質問をして。ゆっくりでいいから、この事について、記憶を教えて?』

 ジェイドは先程よりも柔らかな音に促され、自身の記憶を脳裏に描く。今は懐かしく感じ始めたルルとの出会いまで遡った。
 ジャスパーを紹介するついでに、土産として宝石の花を用意した。その時に花の事を……説明したんだ。そこで、記憶の一部に鏡に入る様な亀裂が走る。

(どうやって説明した?)

 自分はなんて言った? 彼は花を見てどんな言葉を発した?

「何だ……? 何故、それだけ思い出せない?」

 自分でも気付かないうちに、口の外へ思考がこぼれ出る。宝石の耳はそれを拾うが、ルルは何も言わない。

「エムスの林に……行ったんだ」
『うん』
「そこで、宝石の花を摘んだ。なのに、その時の会話を……思い出せない。分かっているのだよ、花が確かに、この国の物であると」

 確かだと言えるんだ、そのは。それなのに、そこの記憶だけがすっかり消えている。思い出そうにも、縋れるような引っ掛かりが無い。
 今までこんな、思考が動かせないなんて事は無かった。答えを探すための過程すら雲隠れしている。

「わ、私は……っ」

 答えを失ったジェイドの息が徐々に浅くなっていく。聡明な彼にとって、見つけたその亀裂はとても恐ろしいものだろう。
 それに気付いたルルは、互いを挟んだ背の低いテーブルに片膝で乗り上げると、彼の冷たくなった顔を両手で包み込んだ。

『大丈夫だよジェイド。僕は、嘘を疑っているんじゃ、ないの。嘘だとも、思わない。だってその記憶は、きっと貴方にとって、確かなものだから』

 ルルは落ち着かせるために、少しシワのある目元を指先で撫でた。顔面蒼白になって強張る彼へ首をかしげて見せる。
 透き通る瞳に自身の色が混ざり、ジェイドは我に返った。浅い呼吸のせいで痺れ始めた頭に、急いで充分な酸素を与える。冷静さを失ってしまってはいけない。深呼吸をすると、いつもの調子で微笑んで薄青い手をそっと握った。

「ああ。もう大丈夫だ」
『良かった。うん……まずはね、そっちの記憶を、教えてほしいんだ。その次に、僕が覚えている事を、言うから』
「ああ。しかしいくら冷静になっても、やはり細かな一部が思い出せんのだよ。今まで、私は何かを忘れた事は無かったんだ。それなのに、まるで亀裂が入った様に所々の記憶が抜けている。そうだ、考えれば……今日の事もあまり覚えていない」

 ルルは「そっか」と呟きながら頷き、ソファに腰を戻す前に鞄から本を取り出した。ページを捲りながら、先程聞いた記憶を確認の意味を込めて囁く。

『宝石の花が、この国の物だと、思っているんだよね? そしてさっきジェイドは、僕を急いで、探していた。まるで……何か大事な事を、思い出したみたいに』
「大事な事?」

 ジェイドは眉根にシワ寄せながら、口元を手で隠して悩ましそうに唸る。
 しかしいくら考えようにも、頭が真っ白になるとはこれを言うのかと、漠然と思う事しか出来ない。常に様々な思考を巡らせる彼だからこそ、これ以上0から何かを思い出す事は難しいだろう。自分の記憶が頼りなのに、その根本が矛盾しているのだから。
 本を持つルルの手がとあるページで止まった。指で自分の文字をなぞって確かめ、納得して頷く。

『これを見て』

 ジェイドが覗き込んだ気配を感じてから、本を見やすいようにひっくり返す。そこに書かれていたのは、エムスの林の地形や、エムスの木についての事。そしてその中央には、宝石の花の造り方が図を用いて丁寧に書かれていた。
 ジェイドは本を受け取り、食い入る様に見つめた。小さな緑の瞳が、何度も何度もそのページを行き来する。

『まず、宝石の花について……僕の記憶を聞いて? エムスの林に行った。ジェイドがジャスパーに、お土産を持っていくと、言ったから。そこでエムスの樹液を取って……リュックから何かを、取り出した。それを、試験管に混ぜて……種を入れて──』

 ルルは記憶を辿りながら呟く。ジェイドは本を開いたままテーブルに置くと、普段から背負い歩いているリュックに振り返り、重たいそれを引っ張った。
 中から取り出したのは、そこに記されている試験管と、金と白の粉。

 そう、確かに覚えている。これは自分が作ったものだ。だが何のために? 花を咲かせるために作った。あの日エムスの林へ行き、美しい贈り物をと。
 しかしジェイドにとってその記憶は、半ば強制的に言い聞かせている感覚だった。

『びっくりしたの。僕が思えば、それが宝石になるって』

 ルルは少し嬉しそうに言いながら、両手を合わせて拳を作った。するとそこからパキパキと音が鳴り、細い指の間から光が溢れ始める。
 そっと開かれた手の中には、宝石の花そっくりなアメジストが出来ていた。

 そうだ、全く同じ景色を知っているじゃないか。
 今まで見えなかった記憶の亀裂が埋まって色が付く。ルルに自分にも何か出来ないかと尋ねられ、取って置きがあると言った。そして彼の力を借りて、宝石の花を生まれて初めて完成させたのだ。

「あぁ、ああ思い出した。アレはその日初めて作ったんだ……。何故、私は今までアレを、生花だと勘違いしていたんだ? 本当に呆けてしまったのか」

 ルルはホッと胸を撫で下ろしてから、髪を掻き乱す彼に首を横に振った。

『ジェイドの記憶は、んだよ。間違っているのは、僕』
「な、何だって? おかしいじゃないか、何故そうなるんだね。君が正しい。私の記憶が間違えていたんだぞ? それを今、正してくれたんじゃないか」
『うん。でもさっき、言ったよね? 宝石の花が、咲いていたって。アレは、誰かによって当たり前に、なったの。ジェイドは、それに合わせて……記憶を変えられた。だからその記憶は、正しいものにされている。つまりね…………僕の記憶は、古い記憶になるんだよ』

 想像もつかない考え。しかし現実味の無いそれ以外の考え方は、どうにもしっくり来ない。
 それでも、冷静な音を唖然とした顔で聞いていた。彼の喋り方がゆっくりで助かった。飲み込むまでに時間がいる。常人の速さでは、頭が追い付いてくれなかっただろう。

「……、……それは……国自体が、変えられてしまったという事か?」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!

よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です! 僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。 つねやま  じゅんぺいと読む。 何処にでもいる普通のサラリーマン。 仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・ 突然気分が悪くなり、倒れそうになる。 周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。 何が起こったか分からないまま、気を失う。 気が付けば電車ではなく、どこかの建物。 周りにも人が倒れている。 僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。 気が付けば誰かがしゃべってる。 どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。 そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。 想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。 どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。 一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・ ですが、ここで問題が。 スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・ より良いスキルは早い者勝ち。 我も我もと群がる人々。 そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。 僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。 気が付けば2人だけになっていて・・・・ スキルも2つしか残っていない。 一つは鑑定。 もう一つは家事全般。 両方とも微妙だ・・・・ 彼女の名は才村 友郁 さいむら ゆか。 23歳。 今年社会人になりたて。 取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。

チート幼女とSSSランク冒険者

紅 蓮也
ファンタジー
【更新休止中】 三十歳の誕生日に通り魔に刺され人生を終えた小鳥遊葵が 過去にも失敗しまくりの神様から異世界転生を頼まれる。 神様は自分が長々と語っていたからなのに、ある程度は魔法が使える体にしとく、無限収納もあげるといい、時間があまり無いからさっさと転生しちゃおっかと言いだし、転生のため光に包まれ意識が無くなる直前、神様から不安を感じさせる言葉が聞こえたが、どうする事もできない私はそのまま転生された。 目を開けると日本人の男女の顔があった。 転生から四年がたったある日、神様が現れ、異世界じゃなくて地球に転生させちゃったと・・・ 他の人を新たに異世界に転生させるのは無理だからと本来行くはずだった異世界に転移することに・・・ 転移するとそこは森の中でした。見たこともない魔獣に襲われているところを冒険者に助けられる。 そして転移により家族がいない葵は、冒険者になり助けてくれた冒険者たちと冒険したり、しなかったりする物語 ※この作品は小説家になろう様、カクヨム様、ノベルバ様、エブリスタ様でも掲載しています。

公爵家長男はゴミスキルだったので廃嫡後冒険者になる(美味しいモノが狩れるなら文句はない)

音爽(ネソウ)
ファンタジー
記憶持ち転生者は元定食屋の息子。 魔法ありファンタジー異世界に転生した。彼は将軍を父に持つエリートの公爵家の嫡男に生まれかわる。 だが授かった職業スキルが「パンツもぐもぐ」という謎ゴミスキルだった。そんな彼に聖騎士の弟以外家族は冷たい。 見習い騎士にさえなれそうもない長男レオニードは廃嫡後は冒険者として生き抜く決意をする。 「ゴミスキルでも美味しい物を狩れれば満足だ」そんな彼は前世の料理で敵味方の胃袋を掴んで魅了しまくるグルメギャグ。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

アラヒフおばさんのゆるゆる異世界生活

ゼウママ
ファンタジー
50歳目前、突然異世界生活が始まる事に。原因は良く聞く神様のミス。私の身にこんな事が起こるなんて…。 「ごめんなさい!もう戻る事も出来ないから、この世界で楽しく過ごして下さい。」と、言われたのでゆっくり生活をする事にした。 現役看護婦の私のゆっくりとしたどたばた異世界生活が始まった。 ゆっくり更新です。はじめての投稿です。 誤字、脱字等有りましたらご指摘下さい。

処理中です...