宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と言葉の国】

鍵模様の扉

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 月が昇る数刻前。大図書館の背の高い本棚の上に、ジャスパーは優雅に腰を下ろしていた。長い足を組みながら近くにあった本を拾い、パラパラとめくる。しかしその赤と緑の目は、文字を全て追う事はしなかった。

「ボクには合わないネ、難しすぎて。よく読めるナァ……ルルとジェイドは。今度教えて貰おうカナ?」

 分厚い本を見て、すぐに眠くなるこの感覚に名前を付けてほしい。器用に片手で本をパタンと閉じると、退屈そうに欠伸をした。
 ここで暇を潰す方法は本を読む事と、ジェイドやルルを待つ事だけだ。

(そういえばルルは調べてたっけ? グリードの事ヲ。今日は来てくれるカナァ。来てくれたら、何をシヨウカ。ステキなコトをしよう。魔法で、もっともっと!)

 ジャスパーは来てくれたもしもを想像し、本棚から降りる。床に足裏を着けると、その楽しさに浮かれてか珍しく歩いた。
 初めてジェイドと出会った他の誰も辿り着かない、静かな取って置きの場所。とても狭いその隅に置かれたソファの前で、片足を軸にしてバレエの様にクルリと踊る。

「アハッいいね、増えてきた」

 ジャスパーは満足気に棚の中を覗いてからソファに腰を沈める。
 その空間は他の本棚よりも少し色鮮やかだった。彼が座るソファを挟む棚には本ではなく、今まで貰った『外からの土産』が丁寧に並んでいる。

「それにしても、ドウシテジェイドは、持っていたんダロウ? こんなにイロンナ物を」

 昔に彼から貰った物は、他国からの物が多かった。どうやって手に入れたのかは分からない。それも、持ってくるどれもが好みに合わせてくれているのか、美しい物が殆どだった。しかしその中でも最も美しいのは、やはり宝石の花だろう。暗闇など何の苦にもせず、微かな光を糧に存在を主張している。
 ジャスパーは人差し指を宝石の花に向け、スイッと上下に動かす。宝石の花はそれに操られ、空中に浮かぶとそのまま滑って目の前に留まった。ツンと指で触れると、その場でくるくる回って眩く輝いた。その美しさはやはり永遠に見ていられる。

「フフフ宝石の花、綺麗だなぁ。もっと沢山アレば、トッテモ美しいだろうなぁ。そうだ、コレで【外を彩れば】……」

 小さな独り言が妙に大きく響いた気がした。ジャスパーはそれに少し驚いた様子で口元に手を置く。今、無意識に魔法を使ってしまった。最近、言葉を発すると同時に、意図せずに魔法が混ざる事が増えた。心配させたくないから、誰にも相談していない。
 しかし勝手にこぼれた魔法に驚いたが、考えれば何も、悪い影響があるわけではない。影響が出たとしても、ただ宝石の花が外に生えるだけだ。

「大丈夫……ダヨネ? フゥ、気ヲ付けないと」

 ジャスパーは歪でも自分をそのままに映す鏡の様な花を手で包み、微笑むと愛しそうに軽く口付けをした。やがて美しさを充分堪能すると、微かな傷すら許せず、大袈裟に見えるくらいにそっと棚へ戻す。
 背凭れに身を預け、遥か遠くにある小さな窓を見上げた。青空が夕日に溶けていて、とても綺麗だ。

(楽しいのカナ、旅って……本当ニ。体が宝石なら、いろんな人がルルを欲シガル。なのに不思議ダヨネ。楽シイって言うんだモン)

 ふとジャスパーは、ジェイドに出された問題を思い出す。自由とは何か。まだ答えを出せていなかった。いや、本当は出ている。

(ルルは家ヲ出た。大切ナ人が死んだ日に。迷ワず選んだんだ。残るヨリも旅立つ事を。そしてジェイドは、ソノ逆を)

 ジャスパーは扉に触れる。羨ましい。彼らには選択肢があった。しかし自分には無い。だって出られないのだ。ここに居る事以外選べない。

「……本当に、選べナイのかな」

 試しに強く押してみたら開くかもしれない。そう思って両手に力を込めて押してみる。もしこの扉を自由に開けられたら、自分はどちらを選ぶだろう。

(でも外……外は…………外は、怖いものバカリ。痛イ事だらけだ)

 体が痛みに震え、無意識に扉から手が離れた。
 指をさされ、見世物にされ、値踏みされる。そんなのはもう嫌なんだ。

「アレ?」

 そこまで考え、首をかしげた。どうして自分が外の事を知っている?
 もちろん、ジェイドやルルからいくらか話を聞いているから、想像くらいは出来る。しかし、今、自分は何かの記憶を見た。

「外に出た事ナンテ……あったっけ、ボク?」

 自身の記憶に再び問い掛けてみる。けれど答えは見つからなかった。
 得体の知れないモヤモヤが胸の中に広がり、気持ちが悪かった。違和感というのは、気付いてしまうと全ての事が疑問に結び付いて、気になってしまう。答えを見つけるまで、そればかりが頭の中を占領する。

(ボクは……何ヲ知って、ナニヲ知らない?)

 出口の見えない迷路から助けを求めたその時、ジャスパーは脳裏にパキリと、硬い物が小さく割れた音が響いた気がした。

「な、何ダロウ……? 今の」

 ソファから立ち上がると、恐る恐る大図書館の中央まで飛んだ。少しだけ体を本棚の陰に隠しながら、辺りを見渡して小さく呼び掛ける。

「誰か居ル? ルル、ジェイド?」

 大図書館の中は妙に薄暗く、息が詰まりそうな静けさが続く。自分の声だけが響く事に、珍しく恐ろしさを感じた。こんな孤独、もうとっくの昔に慣れた筈なのに。

(そう言えば、いつからここに居るンダろう、ボクは。分からないコトだらけダ)

 今度はキィン……と甲高い音が彼の耳を震わせた。その不意打ちな音に、彼は大袈裟にもビクッと肩を跳ねさせる。

「う~……ジェイドォ」

 恐ろしさに縮こまったり、本能的に彼の名前を呟いてからハッとする。こんな怖い事に、大事な人たちを巻き込ませるだなんて、してはいけない。明日遊びに来るかもしれないのだ。ならば、今ここに居る、ここの住人である自分が解決しなければいけない。
 ジャスパーは深呼吸すると、意を決して本棚の陰から飛び出し、中央に降り立つ。しかし彼の視界には、音の原因らしい人物は映らなかった。

「フゥ、な~んにも無いじゃナイか。ン?」

 拍子抜けしたと思いながらも、もう一度入念に周囲を見渡すと、見慣れない物が見えた。暗闇に目を細めて見ると、それの正体が分かった。

「あんな扉……アッタ?」

 本棚がいくつも重なる、その奥まった暗闇の先。そこに、重々しい扉の一部が見えた。
 ジャスパーは幻想を疑い、目をギュッと瞑って瞬かせる。しかしそれは確かに存在し続けた。

(何かある、アノ奥)

 再び聞こえた、何かが鳴く様な音。見知らぬその音にどこか懐かしさを感じる。その理由が分からないまま、ジャスパーはただ扉の中の物を求め、目の前まで飛ぶ。
 その扉は背丈何倍もの大きさがある。そして開けるための隙間も、ノブの様な物も見当たらない。

「コノ模様は……?」

 黒い扉には、巨大な鍵の形が彫られていた。しかし鍵自体を見た事が無い彼にとっては、それが何なのか一向に分からない。
 鍵──それは、閉ざされた物を表す。

 不思議な形をした模様を手でなぞる。鍵の中心には、まるで溶け出してしまいそうな模様の、緑色の石が嵌め込んであった。

「コレって……マラカイト、だっけ?」

 石の名前を呟いたその時、彼の黒にも見えるほどに深い緑の瞳が、眩しく輝きだした。まるで宝石のように輝く右目が激痛を訴え、咄嗟に手で覆う。

「うっ……いた、ぃ!」

 その光にマラカイトが共鳴を始め、扉は何の音もなく不気味に口を開けた。
 扉が開くと同時に、目の光と痛みは消えた。ジャスパーは激痛に乱れた息を何とか整えると、中を恐る恐る覗く。中は大きな穴だった。手すりも無ければ階段などの降りる手段が見えない。

(デモこの中に、何かアルんだ)

 心臓は緊張に痛く脈打って呼吸が苦しい。それでも生唾を飲み、覚悟を決めて飛び降りた。

 地面が見えてそこに足が着くまで、少しだけ長い時間を感じた。とても深い。こんな場所、来れるのは自分くらいだ。
 髪と服が風に扇がれてなびく。ようやく床に足が着いたそこは、随分と暗い場所だった。
 姿勢と服を整え、少し乱れた髪に手ぐしを通す。

--パキッ

「!」

 真後ろで、先程と同じ何かが割れた音を聞いた。ジャスパーはそれに肩を小さく跳ねさせる。そして、数秒かけてゆっくり振り返った彼は、ソレを見た瞬間目を丸くした。

「あ……ァ? え?」

 そこにあったのは、自分の瞳と同じ色。そして──。

「そうだ、ソウダ……そうだ、ボクは…」

 自分の体を抱き締める様に肩に腕を回す。

「痛イ……っ」

 身体中が痛かった。自分の奥深くが、パキパキと壊れていくのを感じた。

「ナンデ? マダ、まだボクは……っ」

 もう限界? やっと友達が出来たのに。

 抱きかかえた自分の腕に、微かな傷があるのを思い出す。しかし傷口からは何も流れない。

「ダメだ……ボクは【綺麗になる】んだ。そうじゃないと、イケナイんだよ」

 自分の奥底で、自分の言葉が波紋して広がった。途端に彼の傷は、逆再生するかの様に塞がっていく。
 今の姿は誰にも見られたくない。なんて滑稽だろうと、ジャスパーは歪な微笑みを浮かべた。

「嫌ダ。まだ、まだ遊ぼうよ…王サマ。なんだから」

 天高い空を見上げて叫ぶ。

「【今日は終わり】」

 その言葉に応える様に鐘が鳴り響く。再び、グリードに鍵が掛かった。
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