宝石少年の旅記録

【宝石少年と言葉の国】

遺された魔法

　ジャスパーの短い悲鳴と共に、バチンッと大きく爆ぜた音が大図書館全体に響き渡った。瞬間の爆発音の直後、手から仮面が零れ、カランと乾いた音を立てて床に落ちる。

『ジャスパー……?!』
「う、ゥっ」

　彼は激痛のせいか、空中から床に落ちた体を縮める。ルルは慌てて立ち上がり、小さく呻く声を辿って体に触れる。僅かな震えが伝わってきた。

『どうしたの……っ？』
「わ、分から、なイ……。手が熱くなって、体が痺れて、仮面に触ッタラ、急にっ」

　バタバタと１人の走る音が聞こえたと思った時、ジェイドが顔を見せた。

「ジャスパー、ルル！」

　この静かな空間にあの爆発音が響いたのだ。非常事態だと判断し、駆け付けたのだろう。
　床に伏せるジャスパーと付き添うルルに目を丸くする。

「一体どうしたんだ?!」
「ジェイド……」
『僕の仮面を、ジャスパーが触ったら』

　言われてからジェイドは、虹の目が露わになっている事に気付く。２人と落ちている仮面を交互に見てからジャスパーに駆け寄った。

「ルルは仮面を」
『う、うん』
「ジャスパー、見せてくれ」
「ン……う」
「怪我は……ふむ、手が火傷を負っているな。少し待ちなさい」

　仮面を掴んだ指先が軽く赤くなっていて、まだ少しだけ熱を感じる。ジェイドは背中の荷物から、平たい瓶を取り出して蓋を開けた。中は薄黄色をした塗り薬がいっぱいに詰まっている。
　ルルは仮面を胸にし、心配そうにこちらを見守っている。それにジェイドは安心させようと微笑んだ。

「大丈夫だ。この程度の火傷なら、この薬を塗って翌朝には治る」
『本当……？　痛みは？』
「これを塗れば和らぐよ。大丈夫だ」

　火傷用の薬を塗り込んだそれぞれの指に葉がかぶせされ、その上から包帯が巻かれる。葉はミヤと呼ばれる木から生える物だ。それには傷口を早く治す効果がある。

『どう？』
「うん……ヒリヒリしなくなってキタ。体モ楽になったヨ。モウ大丈夫」
『そう、良かった……。ごめんね、痛い思い、させて』
「ううん悪くナイよ、何モ。ボクもごめんね、心配させたネ」

　ルルはそっとジャスパーの手を取り、包帯越しに火傷へ口付けした。ジャスパーはそれでも不安そうに目を揺らす彼を優しく抱きしめる。
　落ち着いた頃、ルルは両手の仮面に目線を落とす。自分が持っても着けても、全くの問題が無い。しかしあれはまるで、拒絶を見せる様な攻撃だった。

(クゥが持っても、平気だったのに)
「しかし仮面を触ろうとして、か。ルル、少し見せてくれないかね？」
「……」
「大丈夫、触らんよ。見るだけだ」

　ジェイドは美しい瞳を濁らせるルルの頭をそっと撫でる。すると恐る恐るといった様子で、仮面が差し出された。
　装飾品に知識の無い者が見ても、この仮面は高級品だと分かる。上品に宝石や金、銀を散りばめた逸品だ。もちろん珍しい見た目でもあるが、貴族の間では流通しそうな物にも見える。
　しばし品定めしたあと、触れない程度で仮面に手を近付けた。すると細いエメラルドの目を驚愕に見開く。

「これは……ただの仮面ではない」
『え？』
「一般的に持ってるヨウナ物じゃナイの？　アヴァールの国で」
「ああ、そもそもこれは売り物ではない。これは誰から貰ったんだね？」
『僕を、助けてくれた人。家族だよ。外に、出る時のために……これと、このマントも、用意してくれたの』
「なるほど、そういう事か」

　ジェイドの声には納得の中に、まるで親の様な柔らかさが混ざっていた。

「その家族は……随分と君を大切に想っていたんだろうなぁ。これには、魔力が込められているのだよ。それも、守護するための力だ。君以外は触れぬようにと」
『どうして？』
「仮面を外す、マントを脱ぐ……そしてそれを他人が触れようとする。それで簡単に予想出来るのは、ルルの危機だ。きっと奴隷商人や、宝石狩りにあった時を想定したのだろう。だから他人が触れようとしたのを、それは拒絶したんだ」

　ルルは初めて知った遺された魔法に目を丸くした。まさかこれはクーゥカラットの手作りだったのか。あの優しい手が自分の未来を考えて、丁寧に作り上げる様子が描かれる。やはり彼は、自分が旅立つ事を知っていたんだ。
　ルルの瞳から雫がポロポロとこぼれ始める。ジェイドとジャスパーは、仮面を抱き締めて静かに流れた涙に慌てた。

「ドド、ドウシタノ?!　どっか痛い……？」
『ううん、違う。嬉しいの……。その人、魔力を昔に、大きく、消耗させいてたから。なのに、クゥ……僕のために』

　２人は頭に響く震えた声に、顔を見合わせて安堵に微笑んだ。ジャスパーは彼の涙を水晶になる前に指で掬って、慰めに目尻へキスをする。

「聞きたいナァ……ボク。ルルが大好きな、その人の話。なんか、可愛らしい名前ダネ。クゥ、だっけ？」
『あ、それは僕が、呼んでいる名前で。本当は……クーゥカラット』
「クーゥカラットだって？」
「ン？　知ってるの？　ジェイド」
「ああ、もちろん。アヴァールの五大柱で、他国にも有名だよ」
「へ～、スゴイ人なんだ」

　感心するジャスパーとは対照的に、ルルは少しだけ不安そうな顔をする。生前、あまり彼のいい話を聞いた事が無かったからだ。冷酷、残虐、悪魔……アヴァールの国民は好き勝手に言っていた。
　ジェイドはその視線の意味に気付き、ポンポンと頭を撫でる。

「もちろん、いい噂だけではないがね。だが、彼の活躍は大きかった。その活躍のお陰で、今は奴隷制度が確実に減っているんだよ。そうか、クーゥカラット殿ならば…確かにルルを大切にしただろうな」
『悪く言わない人……クゥの友達以外、初めてかもしれない。ありがとう、ジェイド』
「いいや、私もあのやり方は引き継いでもらたいと思っているからな。最近はあまり話を聞かないが……元気かね？」
『……クゥは２年前に、死んでしまったんだ。彼の、親を恨んだ人に』
「えっ？」
「あぁそうなのか……。すまない。悪い事を聞いた」

　ルルはジェイドの小さく、申し訳なさそうな声に目を閉じて頭を振った。ソファに座り直し、そこに立て掛けた剣を胸に抱える。

『隣で、一緒に居られないのは……寂しい。でも今はもう、悲しくないの。僕もクゥも、独りぼっちにならないために、約束を、しているから』
「約束？」
『うん。この剣……クゥが、死んでしまう時に、この中に、自分の魂を宿らせると。そして、僕の終わりまで、見守るって。だからこの剣は、その約束のお守り』

　その囁きが頭に聞こえたと同時、ジェイドの目には、剣に装飾された宝石が応えるように瞬いたのが見えた。

『……いろんな約束を、してるの。だから僕は、それを叶えたいから、やりたい事をするんだ。教えてくれた事、一緒に暮らした時を……悲しいだけに、したくないから。僕が終わった時、楽しく、話が出来るように。だからね、ジェイドも、謝らなくていいよ』
「そうか。君は本当に、大切にされていたんだな」
「その人とどんなフウに過ごしたの？　色々聞きタイ」
『いいよ。初めて会ったのは、セルウスショーで──』