宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と旅立ちの国】

鍵の無い鳥籠

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 やがて天にあった太陽は低くなり、建物の影が赤く彩り始めた。それまでずっと目を輝かせていたルルだったが、流石に疲れたようで、疲労の色を顔に浮かべている。

「そろそろ帰ろうか」
『ん……少し、疲れた。全然時間、足りないね』
「広いからな。また来よう」
『うん。次は、クリスタとも来たい』
「ああ、休日にでも誘おうか」

 しかし家路を辿ろうとしたその時、ルルはとある音に引き寄せられる様に立ち止まった。
 始めて聞く筈のその音は、何故か随分と聞き慣れている様な不思議な感覚を覚える。ジャラリと鎖が地面に擦れる音がマント下の耳に響くと、手や足、首元が重くなった。
 足を止めた彼に、クーゥカラットも少し遅れて立ち止まった。何を見ているのかと視線を追うと、久しぶりにその顔を苦々しく歪める。
 ルルが見ていたのは、店の裏口が見える薄汚れた路地裏。更に釘付けになっているのは、鎖に繋がれながら働かされている奴隷たちの姿だった。重たい荷物を運んでいるその傷だらけの腕は、転べば折れてしまいそうに細い。
 鞭で打たれた音が外まで響いてくる。それにルルの体は無意識にビクリと震えた。しかし恐怖するのは彼だけで、他の人々はその様を見ても、汚らしいものを見る目を向けるだけで、当たり前に過ぎて行く。

 クーゥカラットはルルの反応に目元を歪め、虐げられている奴隷たちに背中を向けると、彼の手を力強く握りしめた。

「行くぞ」
(あ……)

 ルルはクーゥカラットの低い声と手に引かれ、足をもつれさせる。まるで離すまいと強く握られている手を優しく握り返した。

『大丈夫だよ、クゥ。僕はずっと……クゥの、家族だから』
「!」

 クーゥカラットは静かなルルの声にハッとし、見ようとしなかった彼へ振り返った。
 急かしていた足を止めてルルを見つめるクーゥカラットの顔は、涙と笑みを混ぜた様な不自然な歪み方をしている。

「……帰ろう」
『うん、僕らの家に』

 クーゥカラットは今度は優しく手を握り、歩幅を併せて家路を進んだ。


 林に着き家の扉を開けるまで、互いに言葉が無かった。その静けさを破ったのはクーゥカラットからだった。

「俺には10年前まで、家族が居た」
『何で……今は、クゥだけなの?』

 クーゥカラットは答える前に、ルルのマントを取って仮面を外す。その行動は、どこか言うまでに時間を稼いでいるように感じた。
 共にソファへ腰を下ろし、少し躊躇う様に呟く。

「殺したんだ」
『…………どうして?』
「奴隷制度は、古くから世界中に存在した。しかしそれに最も力を入れたのは、俺の両親だった。セルウスショーを作ったのも彼らだ」

 彼が幼い頃に見た追いかけるべき父の姿は、とても残酷なものだった。クーゥカラットはその血を継ぎながらも、人を人として見ない考えが理解出来なかった。あきらかに汚らしい欲を見せながらも媚びを売る者は、良い手駒とする。それ以外の歯向かう者は殺すか、奴隷へと地位を落とすかのどちらかだ。

「同じ人間を、気に入らないという理由、ただそれだけでゴミ同然に扱う。俺は……どちらが畜生か分からなかった」

 父親はそれを誇りにし、ひとり息子に語るのだ。クーゥカラットは、日々狂気に染まって行く実父に恐ろしさを感じていた。
 だがそれに逆らう事が出来なかった。その原因は、狂気な父を愛した母。彼が反抗的だと気付いた彼女は、実の息子に、呪いとも言える魔法を掛けて従順にさせたのだ。
 クーゥカラットの言葉、行動の全てを操り、まさに人形同然にした。そんな母は、心を縛った息子の頬を愛おしそうに撫でるのだ。「なんて愛しい子」と言って話しかける彼女の手に、実母であると言うのに吐き気さえ感じていた。その頃の彼が自分を取り戻すのは、家族が寝静まる夜のみ。

「何度も逃げた。唯一の味方だった、クリスタの元へも行った。国からの逃亡も考えた。しかし……朝日が昇ると共に意識を失い、気が付けば城の天井さ」

 それでも、殺すという判断に至らなかったのは、親としてのせめてもの愛なのだろうか。もちろん自分も、狂った家族だが愛していた。いつか必ず、自分の意思で彼らと話し合いが出来ると信じていたのだ。
 『家族』という名の関係が、そんな幻想を抱かせていたのかもしれない。

「俺が成人して、母上の呪縛を解けるほどの力を持った。そんな頃、話し合いを持ちかけた。そうだ、話し合いを……あぁ、けれど」

 今思えば、元より彼らが自分の言葉を受け入れてくれる訳ないとすぐ分かる。とても甘く、愚かな考えだったんだ。

『クゥ?』

 クーゥカラットの声が震え、ルルは微かな殺気が彼から漏れるのを感じた。クーゥカラットは悔しさと怒りを思い出して奥歯を噛み締める。

「奴隷を……用意していた」
『え?』
「……クリスタを、奴隷にして」

 驚愕のあまり、ルルの喉からヒュッと息を呑んだ音が鳴った。

「それも働かせるものではなく、愛玩具としてだ。俺が父上を止める事を予想していたのか、その日に合わせる様に……。彼は酷く衰弱し、今にも…死んでしまいそうだった。ははは……彼を人質にして、従順にさせようとでも思ったんだろう。だが俺は──」

 クーゥカラットは口をつぐみ、片手で顔を覆って苦しげに唸った。ルルは彼を支える様に肩に触れる。

「ああ、すまん。今でも……あまり、覚えていないんだ。俺が、何をしたのか」

 体の奥底が熱くなり、心の中がゾッとするほど冷たくなった頃には、全て終わっていた。
 怒りは彼自身の魔力を暴走させ、半分以上の力を消費させた。気付いた時には城の中と自分の体は真っ赤で、どれが父か、どれが母か分からないほどの細かな肉片が辺りに散らかっていた。
 その後、クリスタを無事に元の家へ返し、クーゥカラットは籠るようになったのだ。

「だから俺はもう、家族の絆や愛情なんてものを信じたくなかった。けれど不思議だ。お前と出会った時、その目に見つめられた時……そんな思いは吹き飛んでしまったんだ」

 クーゥカラットはこちらを見つめるルルの頬を両手で包み込み、不器用に笑った。ルルは彼のいつもより冷たい手に自分の手を重ねる。

「お前を幸せにしたかった。けれどそうしたら、過去に欲しいと思っていた愛を……お前はくれた。家族を愛しいと思えた」
『僕も今、とても、幸せだよ?』
「あぁ、ありがとうルル。けれどな、気付いたんだ」
「?」
「今日、お前は世界を知りたいと思っただろう?」
『……うん』
「それに賛同出来ない俺が居るんだ。つまり、つまりだな……お前を、家族という関係を利用して、閉じ込めたいと思ってしまったんだ。そんな事、お前の幸せではない。俺もそんな未来は望まない。お前を幸せにしたくて家族になったのに……ルルがくれる愛を手放せない、俺の醜い欲だ。お前は最初から自由なのに」

 頬を包んでいた両手が離れて行く事に、ルルは妙に不安を煽られ、慌てて彼の手を掴んだ。
 クーゥカラットが何を言いたいのか、なんとなく想像する事が出来た。彼は家族という関係が自分にとって、目に見えない枷だと思ったのだろう。だからこそ、家族という関係を消して『さよなら』しようとしているんだ。
 確かにルルは今日、自分がどれほど世界に対して興味があるのかを理解出来た。広過ぎる世界を知れば知るほど、心がワクワクして居ても立っても居られない。しかし、だからと言ってすぐに『さよなら』ができるわけない。

「だから今からでも」
『クゥは、独りぼっちでも、平気なんだ』
「え?」

 ルルはクーゥカラットの手を両手でぎゅうっと握り、ムッとした、まるで今にも泣き喚きそうな幼子の顔をした。

『僕は、嫌だ』

 家族という関係は、確かに彼らの鳥籠だった。しかしその扉は閉まっているだけで、鍵は掛かっていない。クーゥカラットの自由への祈りが、ルルにとって家族を枷にはさせなかった。

『独りぼっち……嫌だ。クゥと一緒に居るのが、不自由? 全然違う。今、僕は望んで、ここに居るんだよ。今の僕にとって、1番、幸せなのは、クゥと一緒にいる事。僕は自由。だから、僕はここにいる。貴方の手が離れても、僕は……ここに居たいから、居るの。その欲が、汚いなら、これも、汚い欲?』

 クーゥカラットはルルの手を払う事が出来ず、ルビーに似た瞳を丸くし、ゆっくり首を横に振ると彼を強く抱き寄せた。ルルは目を閉じ、同じようにクーゥカラットの背中に腕を回す。

「そうか、そうか……俺は、これが独り善がりだと思っていたんだ。違ったんだな、逆だったんだな。幸せに目を隠されて、焦って。…お前の未来に、お前の言葉を聞こうとしなかった。俺も独りぼっちは嫌さ。同じだよ、ルル……俺の愛しい子」

 クーゥカラットは腕の中で囁きに安心しているルルにそっと額に口付ける。
 この話を持ちかけたのは、別の理由があった。それを考えるとどうしても目頭に熱を溜めてしまう。しかし今ならば、感じるのは悲しみだけではない。

「あのな、ルル。オリクトの民であるお前は、短くても千年は命があると云われているんだ。だから俺は、確実にお前を置いて逝ってしまう。それにさっき話した通り、魔力を大きく消耗したせいで、他の人間よりも長くないんだ」
「……、…」

 ルルは目を見開いたあと悲しそうに細め、駄々をこねる様に首を振ると、再びクーゥカラットの胸元に顔を埋めた。
 クーゥカラットは静かに微笑み、背中を優しくポンポンと叩く。
 これは以前、クリスタから教えてもらった事だった。病にかからない事が要因なのか、彼ら一族はとても長寿であると。

「だからな、約束をしてほしいんだ。俺が居なくなってからでいい。そうしたら、自由に生きてくれ。俺を忘れろとは言わない。家族をやめるとも言わない。それでも、過去に縛られずに自分の道を見つけてほしいんだ。お前を誰よりも愛しているからこそ、俺はその進む道の妨げにはなりたくない」
「…………」
「出来るなら、俺との過去が縛りではなく、勇気になってほしい。な? ルル」
『……なんで、僕と、同じじゃないの…?』
「ははは、ごめんな」
『約束、する。だから、クゥも……僕と約束』

 ルルは抱擁を解き、クーゥカラットの頬に両手を添えるとグッと顔を近付ける。

『クゥが本当に、死んじゃって……僕がやりたい事、する時、ずっと、僕を見ていてほしい。人は体が死んでも、魂は、死なないんでしょ? 前に、本で読んだの』
「ああ、約束をしよう。ずっとお前を見守る。独りぼっちにさせないと誓おう」

 クーゥカラットはルルの濃い紫の爪にキスをする。ルルは彼の優しく緩められた瞳を見つめ、その色を虹の中に溶け込ませると目蓋で覆った。
 寄り掛かると腕に包まれる。胸元から聞こえるクーゥカラットの自分より少し早く刻む鼓動を、確かめる様に聞いた。
 いつかこの音が止まってしまう事を思っただけで、息が詰まる。しかしだからこそ、何でもない思い出も忘れないために、一つ一つを記憶に刻むのだ。
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