宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と旅立ちの国】

外の世界へ

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 胸元で揺れる赤紫の宝石無しでは何も出来なかった世界で、ルルは手を引かれてやっと生きる事が出来ていた。しかし世界中の音を自由に聞けるようになった今は、1人で器用に、まっすぐ歩けるようになった。
 彼は音に興味津々だった。あの夜から毎日が新鮮に感じ、クーゥカラットに何の音なのかを尋ねるのが楽しい。最近はよく、まだ見えない窓の外へ視線を向ける事が増えた。

 クーゥカラットはそんな姿を見つめ、思い立った様に立ち上がった。

「ルル」
「?」
「外に出てみるか」
『いいのっ?』

 ハッと息を飲んだ音のあと、弾んだ声が頭に聞こえてきてクーゥカラットも微笑む。
 今まで外へ連れて行かなかったのは、ルルの世界があまりにも不自由だったからだ。しかし音を拾い始めた今ならば、いくらかリスクは減る。

「今日はいい天気だからな。空気も美味いだろう」

 ルルはその言葉に頬を紅潮させたが、何故かすぐに曇らせた。意外な反応に、クーゥカラットは首をかしげる。

「どうした。出たくないのか?」
『ううん、外、出てみたい。でも……約束』
「約束?」

 ルルは自分の目元を両手で覆って見せた。クーゥカラットは何を伝えたいのか、記憶を辿りながら頭を悩ませる。しかしその姿が初めて出会った頃の、目を布で隠したものと重なってようやく理解した。
 彼は2年前にした約束の『他人の前では目を隠す』を気にしていたのだ。
 ルルは残念そうに肩を落としながら、目から手を退かす。

『外は、出たいけど、クゥとの約束、破りたくないの……』

 クーゥカラットは約束と欲の間で葛藤する彼を、愛おしく思いながら頬に手を添えた。すっかり下がってしまった顔を上げさせると、ルルはキョトンとする。

「少し待ってなさい。良い物があるんだ」
「?」

 クーゥカラットは互いの服をしまっているタンスの引き出しを開けた。服が丁寧に入れられている場所に1つ、服ではない物がしまってあった。それは少し大きめな布袋。クーゥカラットはそれを持ってテーブルへ戻る。
 音を辿りながら不思議そうに手元を見るルルの前で、袋の紐を解いた。

「いつか、大きくなったら一緒に外へ行こうと思って、用意した物があるんだ」

 そう言いながら取り出したのは、白黒の仮面と少し大きめな紫色のマントだった。
 ルルはまず、差し出されたフード付きのマントを手探りで、興味深そうに触った。生地は少し厚く柔らかい。きめ細かな布の上を指で撫でると、端の方が銀の糸で装飾されて、ひし形の飾りも付いているのに気が付いた。布の揺れで飾りがシャラシャラと上品な音を立てる。

「それは髪や体を隠すマント。こっちは……顔を隠す仮面だ」

 そう言われ次に仮面を受け取る。丁度、鼻から上だけを隠す事が出来る形の物だ。
 長く着けても負担にならないよう、動物の骨で作られていてとても軽い。裏面はシンプルだが、表は細い模様の掘りや、小さな宝石、銀などが装飾に埋め込まれている。

『これ……顔に、着けるの?』
「そうだ」

 ルルは滑らかな裏面を探り当て、試しで顔へくっ付けた。しかし上下が逆さまで上手く嵌らず、ポロリと落ちる。
 何故嵌らないのかと左右に首をかしげた彼に、クーゥカラットはクスクスと笑った。

「貸してごらん」

 仮面を受け取り、彼の顔に合わせて嵌め込んだ。
 その仮面はまるでルルのために作られたかのように、骨格や鼻の形にピッタリだった。落ちないようにする器具なんて無いのに、下を向いたり頭を振っても取れない。

「痛みはないか?」
『うん、大丈夫。不思議だね……すごく、ピッタリ』

 クーゥカラットはルルの肩にマントをかけ、少し深めのフードを頭にかぶらせた。思った通り、大きく見繕ったため、美しい髪や宝石の耳が見えづらくなった。
 落ち着かない様子のルルを椅子から立たせ、手を引いて早速玄関へ向かう。

「さぁルル、準備は出来たか?」
『ん……うん』

 ルルは緊張と興奮で微かに声を震わせながら頷き、落ち着くために深呼吸してクーゥカラットの手をぎゅっと握った。

 扉が開き、クーゥカラットに少し遅れてルルも恐る恐る外へ踏み出す。まず聞こえたのは鳥たちのさえずり。そしてその歌を運んでくる風が、歓迎する様に頬を撫でてきた。
 ルルは仮面の下に隠した目を、心地好さそうに細める。宝石の心臓が大きく跳ねているのを感じる。その場に立ち止まり、興味深そうに辺りをキョロキョロと見渡した。クーゥカラットは急かそうとはせず、彼と同じくそこで足を止める。

「この林には、色んな動物や魔獣が居るんだ。触れ合ってみたいか?」

 期待を込めて頷くルルにクーゥカラットは空を見上げ、自由な片腕を高く掲げると、人差し指で止まり木を作った。
 少しするとそこへ、1羽の鳥が羽を休めに来た。桃色の体は小さいが、尾が長くて美しいのが特徴だ。
 鳥のクチバシにふっと息を吹きかけると、クーゥカラットに応える様に鳴いた。

 ルルはそのやりとりを不思議そうに見上げる。クーゥカラットはこちらを交互に見ている彼の目の前に、鳥が止まる腕を下ろした。

「触ってごらん」
「……、……」
「大丈夫。両手で優しく、包む様に触るんだ」

 ルルは言われた通り、そぉっと鳥を抱き上げた。羽に包まれた体はとてもふわふわで暖かく、少しの力で潰れてしまいそうだ。
 鳥はおっかなびっくりしながら触るルルに頭を擦り付け、コロコロと歌う様に鳴いた。彼らは人懐こい事で知られている。

「可愛いだろ?」
『うん、とっても。触らせてくれて、ありがとう』

 ルルは飛びたそうに羽を動かし始めた鳥へ囁き、出来るだけ腕を高くして体を解放させた。すぐにバサバサと林の外へ飛び去った音が聞こえ、手の平に羽がふわりと落ちてきた。

「ここに居るみんなは、気が優しいんだ。きっとお前を歓迎する」
『友達に、なれるかな?』
「なれるさ」

 周囲を見れば、林を住処にしている動物や魔獣たちが、ルルの存在に気付いて集まっていた。皆それぞれ草木の合間から顔を出し、見知らぬ存在に興味深そうにしている。
 ルルはそれを足音と気配で分かったのか、クーゥカラットから離れて彼らへ歩み寄る。出来るだけ怯えさせないように、ゆっくりと。

『はじめまして』

 まず触れたのは、足元にやってきた小動物。小さくも尖った鼻と丸い目を持つそれは、立ち上がって手を忙しなく動かしている。
 足の間に滑り込んだそれを踏まないように気を付けながら、しゃがんで優しく撫でる。それは撫でられて満足したのか、キューキューと礼を言う様に鳴いて、林の奥へ帰って行った。

 それを見送って立ち上がった時、今度は自ら頭を押し付けてくるものが居た。それは馬の様に体が大きく、ルルは少しだけよろける。

「それはドーゥというんだ。長生きで、俺が小さい頃からここに居る」
『ドーゥ……はじめまして』

 そっと撫でた頭には、立派なツノがあるのが分かった。ツノは小さな花を実らせる蔓に抱かれている。鹿に似た彼はただの動物ではなく、魔獣。しかし決して恐ろしい存在ではなく、心優しい魔獣だ。

『ドーゥは、クゥの友達だね』
「ははは、ああそうだな」

 ドーゥは確かめるようにルルの匂いを嗅ぐと、頬をペロペロと舐めた。
 そしてルルから離れ、今度は自分たちを見守っていたクーゥカラットへ近付き、彼の腹へ頭を擦り付ける。クーゥカラットはクルクルと高く喉を鳴らして甘えるドーゥに応え、長い首と頭を優しく撫でた。

 ルルは彼らを見つめ、木々の枝から覗いて見える空を煽った。この林は朝、昼、夕方、夜……と、時間によって色を変える不思議な場所だ。空間の光を吸収して葉の色を変化させる。快晴である今日、木の葉はとても鮮やかな新緑だ。

『……ここは、とても綺麗だね』

 ルルは誰に言うわけでもなく呟く。
 目の前にある大木に手を伸ばして触れた。ゴツゴツとした木肌を撫でると、ルルは額をくっ付けて目を閉じる。幹の中で脈を打ちながら水が流れている音が聞こえた。まるでこの一瞬だけ、自分も木と一体化した気分になる。
 背中を誰かにクイッと引っ張られ、現実に引き戻される。グゥグゥという低い鳴き声はドーゥのもので、こちらへ来いと言っているのだと理解出来た。

『うん、そうだね。まだ、みんなと挨拶、してないもんね』

 ルルは伝わっていないと分かりながらも、ドーゥの体を撫でながら囁く。
 しばらくの時間をかけ、ルルは林の中の住人たちとの挨拶を終えた。彼はどこか満足げで、差し出されたクーゥカラットの手を意気揚々と握る。

『この先は、何があるの?』
「この林から出て、住宅街を過ぎると市場がある。市場は人が多いからな、逸れない様に手は離すなよ?」
『ん……気を付ける』

 ルルは意気込む様に頷き、再び深呼吸する。クーゥカラットはそれに微笑み、明るい林の出口へと向かった。

~               **              ~               **                 ~

 宣言されていた通り、林から出て少しすると賑やかな市場に差し掛かり、音が一気に溢れた。風の音や鳥の声はすっかり掻き消され、馬車が通る音や人々の掛け声だらけで、耳が痛くなる。飲み込まれそうな恐怖がルルを包み込んだ。
 繋がれているクーゥカラットの手から、人混みに引き剥がされないようにと、必死に腕を絡ませる。クーゥカラットはそこで、密着したルルの体が震えている事に気付いた。

「怖いか?」
『うん……音が、多くて』
「そうだな、少しここから離れようか」

 本当は、店を一緒に周れればなんて思っていたが、やはりいきなりは難しいようだ。
 クーゥカラットはルルを連れ、比較的人が少ない建物の間の路地に入り、そっと肩を抱く。

(それでもせっかくだ。何か楽しめる行事でもあればいいが)

 初めての外なのだから、楽しさを伝えたい。そう思考を練って黙り込んだクーゥカラットを他所に、ルルは落ち着いた呼吸を取り戻すと、周囲を見回し始めた。
 一瞬だけ、市場の喧騒とは異なる音が聞こえてきたのだ。それは初めて聞くが恐怖を感じない、とても綺麗な音だった。

『……これ、なんの音? 綺麗な声と、音が聞こえる』

 クーゥカラットも試しに耳を澄ませてみる。しかし市場の音に紛れ、それらしい音は聞こえなかった。
 どうやら彼の宝石の耳は、とても遠い音も拾うらしい。ルルを見ると、音が気になって仕方ないのかソワソワしている。

「どこから聞こえる?」
『ん…………あっち』

 示されたのは、入り組んだ路地の奥。案内で辿り着いたのは、市場から随分と離れた噴水広場だった。空高くそびえる宿屋が円型に並ぶ中心にある噴水は、定期的に水を吹き出している。
 そこで旅人らしき背の高い男がアコーディオンを奏でていた。黒に青を混ぜた長い髪を靡かせながら、楽しげに歌って踊っている。
 それは、他国から来た吟遊詩人だった。
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