宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と旅立ちの国】

セルウスショーへの招待状

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 薄暗い空間に、ズラリと牢が並んでいる。しかしその中に居るのは、決して罪を犯した人間ではない。罪無く無慈悲に囚われた人々の枷が動く音が、響いて止まなかった。

 一人、髪が長い奴隷が居た。その奴隷だけが牢の中、微動だにせずじっとしている。
 啜り泣きが耳を震わせても、目元を覆われた顔は少しも歪まない。恐怖に怯えた様子も無く、まるで人形かと勘違いしそうになるほど静かだ。しかしその唇は、確かに呼吸だけを繰り返している。

 今は、眩しく輝く太陽が真上に登った頃。
 奴隷の牢の前を、同じワンピース状の白い服を着た人々が、足を重たそうにしながら通って行く。今日は『イベント』らしく、いつもより出入りが激しいようだ。彼らに鞭を振る小綺麗な服を着た男たちも、今日は忙しなく動いている。
 しばらくして、コソコソと囁き合っていた二人のうち片方の男が、残された長髪の奴隷を横目で一瞥した。

「そろそろか?」
「ああ。丁寧に扱えよ?」
「分かってるさ」

 黒ずんだ牢の扉が、小さな悲鳴をあげながら開く。しかし奴隷は聞こえていないのか、男に気付かないままだ。男は奴隷の調教師で、彼は床に落ちている鎖をグイッと引き上げた。

「!」

 鎖は奴隷の首輪と繋がっていて、ようやく調教師の存在に気付く。引っ張られる強い力に奴隷はハッと顔を上げ、そろりと立ち上がった。少しよろけるが、そんな事には構わず、調教師は先を進んだ。奴隷は置いて行かれないようにと慌てて歩く。
 細い廊下が終わると、二人は舞台上に出た。すると調教師は足を止め、奴隷の背中をトンと押す。奴隷は前のめって転びそうになったが、鎖に引かれてバランスを保った。

「……?」

 今自分がどこに居て、どんな状況に晒されているのかなんて、奴隷は知らない。たとえ、目の前が無数の卑しい視線で囲まれていたとしても、救いなど求められないのだ。

~               **              ~               **                 ~

 アヴァール国の最大『イベント』が盛り上がる数刻前──。

 この国のウミディアと呼ばれる森は、夜も昼も関係無しに光が差さない場所だった。薄暗さと湿った空気を好んだ鳥たちが、空へバサバサと飛んで行く。
 あまり人を寄せ付けないそこへ、今日は珍しく客人が訪れていた。
 愛馬に跨る海色の髪をした男は、どこかの貴族のようだ。そう分かるのは、馬の毛艶の良さと、彼の髪色に合う清楚な金と紺の上着からだ。男は森の入り口で止まり、鳥たちを見送ってから再び馬を走らせ、奥深くへ向かって行った。

 辿り着いたのは、ウミディアの奥に建てられたガネール城。入り口である鉄の扉の前で馬を止め、空高くに聳え立つ灰色の城を見上げる。地面に降りて愛馬の頭を優しく撫で、彼は門に付いた鐘の形の呼び鈴を、気持ち強く鳴らした。
 少しして扉が重たそうに開かれ、不機嫌な家主が顔を見せた。訪ねた男は相変わらずな友の様子を見て、笑みに溜息を混ぜた。

「おはよう、クーゥカラット。それとも、また眠れなかったか?」
「いや……今起きた」
「そうかい」

 そうは言うが、彼のワインレッドの瞳の下には、見慣れた隈が居座っている。
 クーゥカラットは未だ眠気が誘う倦怠感を鬱陶しそうにして、目よりも濃い髪を掻き上げる。

「おはようクリスタ。で、どうしたんだ?」
「ああ、ちょっと届け物をね。今日の『イベント』さ」
「イベントだって……?」

 クーゥカラットは目線をクリスタから外して考える。こんな国に『イベント』だなんてあっただろうか。
 鈍い頭で考えるが、一向にそれらしい記憶は無く、思考に負けて彼へ視線を戻した。クリスタは反応を読めていたのか、小さく肩を竦める。

「今日は『セルウスショー』だろ?」

 その言葉で意味を理解したのか、クーゥカラットは険しかった目をよりしかめた。

「随分な皮肉だな」
「ふふ、結構いいだろ? 分かりにくかったか?」
「ああ、全然」
「悪かったよ。それで今日、僕が来た理由……分かっただろ? 招待状を受け取ったんだ。お前宛のね」
「何故そんな……面倒な事を引き受けたんだ」
「まぁそう言うな。今回は文句だけを言って終われないみたいだからね。それに、お前の代になって一度も出席していないんだから、いずれはこうなったよ」
「それはそうだが。はぁ、商人もタチが悪いな。よりによって、断れない相手に依頼するだなんて」
「依頼したのは僕の方だけどね」
「何だって?」

 驚く彼に小さく笑い、クリスタはポケットから数枚の紙を取り出して、クーゥカラットに見せた。差し出された手の中にあるのは全て招待状で、しかも彼宛ではなく自分宛だった。
 クーゥカラットは細かった目を丸くし、無意識に招待状に刻まれた年数に目を向ける。古い物は十年前まで遡っている。それはちょうど、自分の代になった時だった。

「こ、れは」

 確かに、自分の代になってから招待状が来ないのを不思議がったが、まさか、彼が遠回しに断っていてくれたとは想像もしなかった。

「どうして……」
「僕がしたかったんだ。けれど今回は二通も来て、さらには『お迎えにあがります』と来た。流石にマズイと思ってね」

 片眉を下げて「強引だね」と言いながら苦笑いするクリスタに、クーゥカラットは申し訳なさそうに目を逸らす。彼の手から新しい二通の招待状を抜き取って懐へしまった。
 彼に迷惑をかけたくて無視していた訳ではない。しかし結果的にそうなっていたのだから、もう逃げてはいられない。元はと言えば自分の家族の問題なのだ。

「……悪かった。今からでも行こう」
「こっちも、上手くかわせなくてすまないな。まぁ、少し顔を見せればいいと思う。それじゃあまた。帰ったらちゃんと寝ろよ?」
「ああ、ありがとう。また」

 クリスタは別れを告げて自分を待つ馬に跨ると、クーゥカラットに背中を向けて手を挙げる。軽く手を振る彼の背を、赤紫の目は森の暗闇が消すまで見送った。
 一人きりになってようやく招待状に目を通し、クーゥカラットは小さく溜息を吐く。

「行くか」

 セルウスショーに参加するのは何年ぶりだろうか。これ以上友人の面汚しになる訳にもいかず、重たい足を会場まで運ばせた。

~               **              ~               **                 ~

 黄やオレンジの背が高い丸屋根が、所狭しと地上を埋め尽くすアヴァール国。そこに、良くも悪くも目立つ巨大な黒いドームがあった。
 シンプルなその建物は、クーゥカラットが呼ばれたセルウスショーが開催される場所だ。見た目からすれば、狂った貴族が集って質の良いセルウスを求める空間に、相応しいかもしれない。

「これはこれは、クーゥカラット様!」

 ドームの入り口に足を踏み入れた瞬間、弾んだ声が呼び止めた。
 こちらを見て目を丸くしているのは、ショーに雇われた商人だ。背の小さな男は、興奮気味にクーゥカラットに駆け寄ると、丸い体を使って大きな仕草で頭を下げる。

「ようこそおいで下さいました! このたびのショーはどうしてもお越しいただきたく……執拗な招待をお許し下さい。我々、少し諦めていましたが、貴方は来て下さった! とても良い商品が御座います。きっとお気に召すものかと」
「私は顔を見せただけだ。これで失礼する」
「そ、そんなもったいない。せめて少しだけでも」
「結構」

 声を遮って踵を返したクーゥカラットに、商人は慌てて前へ回り込む。睨む彼に手もみをしながら、必死に汗だくな笑顔を向けた。

「そ、それではせめて、目玉商品だけでも! 我々、とっておきをご用意しているのですから」

 何とかして食い下がろうとする商人に、クーゥカラットは大きく溜息を吐き捨てた。クリスタが言った通り、本当に彼らはしつこい。
 これ以上のやり取りは無駄だ。クーゥカラットは何も言わず、再びドームの入り口へ足を向けた。

「それだけを見たら帰るぞ」
「あぁ、ありがとうございます! もう時期それのお披露目ですので、さっそくですが、ワタクシがご案内させて頂きます。さぁ、こちらへ……先代、お父上様がお座りになられていた場所へ」

 その言葉に、クーゥカラットの顔が苦虫を噛み潰したように歪む。しかし商人は苦々しい彼の顔に気付かず、腰を低くした状態で案内していった。

 広いドームの中は仮面を付けた各国の貴族たちが、商品を心待ちにしている様子だった。仮面は素性を知られないためだ。すると、突如現れたクーゥカラットの姿に、貴族たちは珍しい客だと騒めき始める。
 連れて来られたのは、最前列のど真ん中。その席は黒を基調とし、金縁に細かい彫りがほどこされている。周りの赤い席と異なるその姿はまるで、格の違いでも見せつけるかの様だ。
 この席は、目の前のステージに出て来る商品がよく見える。
 商人は案内を終えると、会釈して自分の持ち場へ帰って行った。クーゥカラットはそれを見送らず、不機嫌そうにドカリと椅子に腰を落とす。
 やがて司会者が舞台袖から姿を見せる。背筋をピンと伸ばし、堂々と胸を張りながら声を上げた。

「さぁ、皆々様! 大変長らくお待たせ致しました、本日の目玉商品の登場です!」

 演技口調な合図で調教師に連れられて来たのは、目元を隠された長髪の奴隷だった。
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