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第四章
ルコンの後悔
しおりを挟む渾日進軍の包囲に成功し大量に敵兵を討ち取りながらも、涇陽から駆けつけた郭子儀に背後を突かれたタクナンは、精鋭騎馬隊に助けられて、いのちからがら帰陣した。率いていた二万の兵は一万以下に減っていた。
呂日将が渾日進と思しき将に討たれたと聞くと、ゲルシクは鬼のような形相で叫んだ。
「ルコンどの。まだ守りを固めているおつもりか。この仇を討たずにはおれぬぞ」
ルコンはゲルシクの沸騰した頭のなかに届くことを願って、一言ひとこと、区切るように言った。
「南には駱奉先がいる。馬璘の動きも見えません。下手に動けば背後を突かれる。党項は鳳翔で釘付けのまま。雨もやまない。ここはいったん退いて、僕固将軍とウイグル軍を待つべきです」
無駄だったようだ。目が据わったゲルシクは、低い声で言った。
「こたびは儂が総司令だ」
「そのとおりです」
「ならば、儂が命令する。全軍で総攻撃をかけ、郭子儀と渾日進を討ち取り、京師を目指す」
「頭を冷やしてくだされ。われらがなんのためにここにいるのか、お忘れか」
「そうやって儂をバカにされるか」
「明日の朝、話し合いましょう。それでも考えが変わられぬのなら、わたしも従う」
「日将どのが亡くなったのに、どうして涼しい顔をしていられるのだ。なんとも思われないのか!」
ゲルシクの叫びを置き去りにして、ルコンは自分の幕舎に帰った。
天井を仰いで目を閉じ、天幕を叩く雨の音に耳を澄ます。
許すのではなかった。
タクナンの身に危険が及ぶというのなら、なんとしてもタクナンを説得して止めるべきだったのだ。
『部下にしてください』と言った彼の、澄んだ瞳を思い出す。
ようやく、こころ通じ合えたと思ったのに。
激しい悔恨の念に、ルコンはときを忘れて立ち尽くしていた。
従僕の声が、ルコンを呼んだ。
「シャン・ゲルツェンがお見えです。精鋭騎馬隊の聞き取りの結果をお持ちしたと」
深く、何度か呼吸をして、ルコンは応えた。
「お入りなされ」
天幕に入ってきたラナンは、一礼して顔を上げた。赤く充血した目は、逸らされることなく、ルコンを見据えた。
「ゲルシクどのには」
「もう、ご報告いたしました」
「二度手間になってしまいましたな。申し訳ない。被害はどれくらいありましたか」
「日将どのも含めて、七騎のみです。日将どのは、渾日進の軽騎兵にも引けを取らないほどに、兵たちを鍛えあげてくださっていました」
「日将どのの最期のようすについては」
「日将どのは、敵将と切り結んでおられました。が、郭子儀の奇襲に目を逸らした瞬間に、討たれたそうです。数人の隊員が、血しぶきをあげて馬から落ちる日将どのを目にしています。首が……」
声が、一瞬途切れた。スウッと息を大きく吸い込むと、明瞭な声でラナンは続けた。
「首が……飛ぶのを見たという者もいました。救出を試みなかったのは、いざというときは日将どのを見捨ててタクナンどのをお守りするようにと命じられていたからだそうです」
「愚か者が」
唇が震え、それ以上は、言葉に出来ない。
いくさに死ねて、彼は本望かもしれない。
それでも、生かしたかった。
生きて欲しかった。
胸の痛みに耐えかねて顔を伏せると、こみあげてきたものが目からこぼれて、地に落ちる。もう、それ以上、止めることは出来なかった。
ルコンはラナンがいることを忘れ、むせび泣いた。
翌朝、ゲルシクはルコンの言うとおり北方に退き、一層守りを固めることを諸将に命じた。
「昨日はこころ無いことを申してしまった。お許しくだされ。儂などよりよほどルコンどののほうがお辛かっただろうに、慮る事ができなかった」
ゲルシクはしょんぼりと肩を落としている。ラナンから聞いたのだろう。ルコンはただ笑んで首を振った。
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