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第四章
范志誠
しおりを挟む「吐蕃軍に行く?」
楊志環の言葉を繰り返し、范志誠はやつれ切った顔を歪めた。
この数日で、范志誠は別人のようになっていた。闊達で愛嬌のよい笑顔が引っ込み、常に苦渋を口に含んでいるかのようなしかめ面に変わった。顔色はどす黒く、溌溂と輝いていた瞳も、いまは深く眼窩の奥で淀んでいるように見える。
いま、彼を封じるものはなにもないはずだ。それなのに、なにがそんなに彼を悩ませているのか。その本心を読み取ろうと、暗い目の奥を探ってみるが、なにも見えない。楊志環は不安でならなかった。
「はい。われらだけでも先に呂将軍のもとに行かせてください」
「気持ちはわかる。が、そういうわけにはいかぬのだ」
「お望みどおり、この軍の総帥となられたからには、わたしたちは無用にございましょう。どうか呂将軍とともに戦わせてください」
「ならぬ」
命令される筋合いはない、と楊志環は思っていた。確かにこの男のおかげで自分たちはここで理不尽な扱いを受けることはなかった。だが、それは呂日将のいのちがけの仕事の代償である。そのうえ、自分たちはこの男の部下として存分に働いたのだ。
「ならば勝手に行かせていただきます。これまでありがとうございました」
一礼して顔をあげたとき、范志誠が手をあげた。バラバラと駆け寄って来たふたりの兵が、楊志環の両腕をつかむ。
「なにをする!」
もがきながらにらむと、范志誠は目を逸らした。
「許せ。郭令公より、そなたたちを必ず捕らえて連れて来るようにとの命だ」
郭子儀の命? 楊志環は耳を疑った。
「まさか、降伏するつもりなのか?」
「もうわれらが唐に逆らう理由はなくなってしまったからだ」
「騙したな! 反乱は続ける、呂将軍のご尽力を無にすることはないと言うから、協力したのだ。それなのに……」
「連れていけ」
范志誠は背を向ける。
楊志環はその背に罵詈を浴びせながら、兵士たちに引きずられて行った。
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