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第三章
ゲンラムの荘園
しおりを挟む冬のあいだは、都に留まる尚論が多いという。調練の地からゲルシクとルコンとともに都に戻った呂日将は、サンシの屋敷には帰らず、ルコンの領地に向かった。呂日将がこの国にいることを、あまり多くの者に知られないほうがいいというルコンの判断だった。再会を約したニャムサンやタクナンと会えないのは残念だが、ゲルシクから事情を伝えてもらうことでよしとした。
王族も静養に訪れるという都にほど近いゲンラムの館で出迎えたのは、ルコンのふたりの息子だった。
ルコンが唐に遊学する直前に生まれたという長子のレン・ランレ・タクニャは呂日将と同い年の二十八だったが、実直そうで落ち着いた物腰は、タクニャをずいぶん年上に見せていた。次男のチョクヤンはまだ九つだ。いかにも興味津々に呂日将を見上げるチョクヤンの眼差しは、なぜか呂日将にセーナンを思い出させた。
十二月も半ばを過ぎたころ、ニャムサンとタクがやって来た。
都に戻ったゲルシクに、ちょっと冷たい態度をとったらプティが激怒したという。
「恩知らずとは顔を合わせたくないと家から追い出された。翻訳官はみんな正月を家で過ごすから、訳経所は閉めているし、ナナムの館や領地なんか行きたくないし、しようがなくここに来た」
だいぶなめらかになった唐語で、ニャムサンは愚痴を垂れた。タクの「ゲルシクより怖い」という言葉は本当だったようだ。賛普に対してさえ畏まるということを知らぬニャムサンが、プティには頭があがらないのかと思うとおかしい。
ニャムサンの来訪を喜んだのは、チョクヤンだ。一日中ニャムサンのあとをついて歩いて、なにやら熱心に話し合っている。
「仏の教えに興味があるのだ。シャーンタラクシタがまた来たら、弟子にしてほしいと言っている。賛普は、いずれはこの国の人間からも出家者を出したいとお考えのごようすだから、そのときに望むなら僧にしてやろうと思う」
ルコンは意外なことを言う。
「よろしいのですか? ルコンどのは伝統派とうかがっていましたが」
「人倫にもとるようなことさえしなければ、わたしに遠慮せず好きな道を歩んで行けばいいと思っている。ありがたいことにタクニャのほうは政治が好きだから後継者の不安はない」
目を細めたルコンの顔が、呂日将が鳳州刺史に任じられたときに見せた父の顔に驚くほど似て見えて、胸が疼く。思わず目をそらした。
「日将どののご家族はいかがされている」
ルコンの問いが、さらに感傷を誘う。
「母は幼いころに亡くなり、父も四年前に他界しました。年の離れた姉がふたりおりますが、どちらも嫁いでからは会っておりません」
「奥方はいらっしゃらないのか」
「考えたこともなかった。しかし妻子がいたとしても二度と会うことは出来なくなっていたでしょうから、よかったと思います」
「これからどうなるかなど、誰にもわからんよ。思わぬ救いの手が差し伸べられることもあるかもしれない。とにかく、生きることをあきらめないのが肝心だ」
ルコンと会話する度に説教されている気がして、うんざりする。
「慰めなどいりません」
「慰めではない。経験者の助言だ」
「経験者?」
「マシャンどのに連座して北の荒野に流されたとき、わたしの人生は終わったと思った。このままひとびとから忘れ去られ、野垂れ死ぬのだと。そこに、放牧の民の子が文字を教えて欲しいとやって来た。荒野を去る家族と別れてわたしのもとに残ったこの子を死なせるわけにはいかないと踏ん張って生き延びたおかげで陛下のお許しをいただき、いま、こうしてここにいることが出来る」
それから数日後、隴右の吐蕃兵とともに邠州を攻めた僕固懐恩が郭子儀に敗れて北方に退いたという情報が入った。やはり隴右の兵だけでは平地のいくさは難しいのだろう。部下たちの安否を思う呂日将に、ルコンは范志誠は無事だと教えてくれた。しかし、ここに情報が入るのに最短でも一か月以上はかかる。いま現在、僕固軍がどうなっているのかは、わからないのだ。苛立ちが爆発しそうだった。
「本当のことを教えてください。ルコンどのはまことに唐との和睦をお望みなのですか」
「どうしたものかな」
ルコンは東の空をたゆたう龍のような形の雲を茫洋と見つめていた。
「焦ることはない。いまでも、われらは十万の援軍を出しているのだ。そう簡単に決着はつかないよ」
また、はぐらかされた。
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