38 / 51
第三章
ナナム・ゲルツェン・ラナン
しおりを挟む「こ、こ、こんにち、は。よろし、しくおねがいい、いたします」
幕舎に入って来たときから一度も目を合わせることなく、どもりながらたどたどしい唐語で挨拶するラナンを、呂日将はあっけにとられて眺めていた。
鳳翔で、ラナンは臆することなく呂日将と睨み合った。が、いまのラナンはまるで別人に見える。呂日将とまったく目を合わせようとしない。声も小さい。自分の部下にこのような男がいたら張り倒しているところだ。ラナンが通訳として帯同した異母兄のシャン・ティ・スムジェに目をやると、スムジェは肩をすくめた。
「言っておくが、ラナンはルコンどのの様子を見に行くために坂道を駆け下りていて、偶々貴殿の軍に突っ込んでしまったのだ。恨まんでやってくれ」
「ニャムサンどのから伺っております。勝敗は兵家の常。いくさが終われば恨むことはありません」
「ふん。まあ、せいぜいそれらしく見えるようになればいい。陛下の実の叔父であるラナンが前線に出るなどあり得ぬことだからな」
「ルコンどのに代わってこの隊の指揮を執られるとうかがっておりますが」
「冗談ではない。適当で構わん。貴公もそのほうが気楽だろう」
調練は遊びではない。カッと頭に血が上り、思わず語気が強くなった。
「わたしは調練に手加減などいたしません。参加されるのなら、それなりの覚悟をしていただく。すべては戦場で、ご自身と兵のいのちを無駄に落とさぬためです。それがおイヤなら、直ちにお帰りください」
スムジェは上目づかいで呂日将をジロジロと眺めまわした。
「陛下のお言いつけに背かせて、反逆者と言い立てる気か」
「バカなことを仰せあるな」
「貴殿はずいぶんニャムサンと親しくしているそうだな。あいつはナナムの家督を狙っていてもおかしくない男だ」
「ニャムサンどのとわたしが示し合わせて、ラナンどのに危害を加えようと企んでいるとでもおっしゃるのですか?」
「口で美辞麗句を並べ立てながら、こころのなかは真っ黒なのが唐人だからな」
思わずこぶしを握り絞めたとき、ルコンの声がした。
「スムジェどのがここにいらっしゃるのは、はじめてだったな」
スムジェがギョッとした表情を見せる。幕舎に入って来たルコンはいつもどおりの温厚な笑みを浮かべて言った。
「ラナンどのが騎馬隊の指揮を執るのを見たことはないであろう」
ルコンが、吐蕃の言葉でラナンになにか言うと、身を縮めるようにしてふたりの言い争いを聞いていたラナンは、ホッとした顔になって幕舎を飛び出して行った。
「ラナンどのをお呼びしたのも、日将どのに指導をお願いしたのも、わたしの一存だ。ご心配はごもっともなれど、実際にご覧になれば、わたしがラナンどのを選んだわけはわかっていただけよう。決して冗談でも危害を加えるためでもないですぞ」
「盗み聞きとは、おひとが悪いな」
スムジェはニヤリとした。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
要塞少女
水城洋臣
歴史・時代
蛮族に包囲され孤立した城を守り抜いた指揮官は、十四歳の少女であった。
三国時代を統一によって終わらせた西晋王朝の末期。
かつて南中と呼ばれた寧州で、蛮族の反乱によって孤立した州城。今は国中が内紛の只中にあり援軍も望めない。絶体絶命と思われた城を救ったのは、名将である父から兵法・武芸を学んだ弱冠十四歳の少女・李秀であった……。
かの『三國志』で、劉備たちが治めた蜀の地。そんな蜀漢が滅びた後、蜀がどんな歴史を辿ったのか。
東晋時代に編纂された史書『華陽國志』(巴蜀の地方史)に記された史実を元にした伝奇フィクションです。
小童、宮本武蔵
雨川 海(旧 つくね)
歴史・時代
兵法家の子供として生まれた弁助は、野山を活発に走る小童だった。ある日、庄屋の家へ客人として旅の武芸者、有馬喜兵衛が逗留している事を知り、見学に行く。庄屋の娘のお通と共に神社へ出向いた弁助は、境内で村人に稽古をつける喜兵衛に反感を覚える。実は、弁助の父の新免無二も武芸者なのだが、人気はさっぱりだった。つまり、弁助は喜兵衛に無意識の内に嫉妬していた。弁助が初仕合する顚末。
備考 井上雄彦氏の「バガボンド」や司馬遼太郎氏の「真説 宮本武蔵」では、武蔵の父を無二斎としていますが、無二の説もあるため、本作では無二としています。また、通説では、武蔵の父は幼少時に他界している事になっていますが、関ヶ原の合戦の時、黒田如水の元で九州での戦に親子で参戦した。との説もあります。また、佐々木小次郎との決闘の時にも記述があるそうです。
その他、諸説あり、作品をフィクションとして楽しんでいただけたら幸いです。物語を鵜呑みにしてはいけません。
宮本武蔵が弁助と呼ばれ、野山を駆け回る小僧だった頃、有馬喜兵衛と言う旅の武芸者を見物する。新当流の達人である喜兵衛は、派手な格好で神社の境内に現れ、門弟や村人に稽古をつけていた。弁助の父、新免無二も武芸者だった為、その盛況ぶりを比較し、弁助は嫉妬していた。とは言え、まだ子供の身、大人の武芸者に太刀打ちできる筈もなく、お通との掛け合いで憂さを晴らす。
だが、運命は弁助を有馬喜兵衛との対決へ導く。とある事情から仕合を受ける事になり、弁助は有馬喜兵衛を観察する。当然だが、心技体、全てに於いて喜兵衛が優っている。圧倒的に不利な中、弁助は幼馴染みのお通や又八に励まされながら仕合の準備を進めていた。果たして、弁助は勝利する事ができるのか? 宮本武蔵の初死闘を描く!
備考
宮本武蔵(幼名 弁助、弁之助)
父 新免無二(斎)、武蔵が幼い頃に他界説、親子で関ヶ原に参戦した説、巌流島の決闘まで存命説、など、諸説あり。
本作は歴史の検証を目的としたものではなく、脚色されたフィクションです。
科学的考察の及ばぬ秘密ノ誘惑
月見里清流
歴史・時代
雨宿りで出会った女には秘密があった――。
まだ戦争が対岸の火事と思っている昭和前期の日本。
本屋で出会った美女に一目惚れした主人公は、仕事帰りに足繁く通う中、彼女の持つ秘密に触れてしまう。
――未亡人、聞きたくもない噂、彼女の過去、消えた男、身体に浮かび上がる荒唐無稽な情報。
過去に苦しめられる彼女を救おうと、主人公は謎に挑もうとするが、その先には軍部の影がちらつく――。
※この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません
摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚
りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(現チベット)。古い神々を信じる伝統派と仏教を信じる改革派が相争う宮殿で、改革派に与する国王ティデ・ツクツェンが暗殺された。首謀者は伝統派の首領、宰相バル・ドンツァプ。偶然事件を目撃してしまったナナム・ニャムサンは幼馴染で従兄弟の太子ナツォクを逃がそうとするが、ドンツァプと並ぶ伝統派の実力者である伯父ナナム・マシャンに捕らえられ、ナツォクを奪われる。王宮に幽閉されたナツォクを助けるためニャムサンは、亡き父の親友ゲンラム・タクラ・ルコン、南方元帥グー・ティサン、東方元帥チム・ゲルシクと協力し、ナツォクの救出に奔走する。
民間伝承のような勧善懲悪ストーリではなく出来るだけ史実に沿うよう努力しています。参考文献は自分のWebサイトで公開中です。
遺恨
りゅ・りくらむ
歴史・時代
内大相ゲンラム・タクラ・ルコンと東方元帥チム・ゲルシク・シュテン。
戦友であるふたりの間には、ルコンの親友である摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの存在がいまだ影を落としていた。隣国唐で勃発した僕固懐恩の乱をめぐるルコンの対応に不信感を抱いたゲルシクの内で、その遺恨が蘇る。
『京師陥落~ ཀེང་ཤྀ་ཕབ།』で長安を陥落させた吐蕃最強バディのケンカは、ツェンポ・ティソン・デツェンとナナム・ゲルニェン・ニャムサン、そして敵将呂日将まで巻き込む騒動に発展して……。
と書くほどの大きなお話ではありません😅
軽く読んでいただければー。
ボェの国の行政機構などについて今回は文中で説明していませんので、他の作品を読んでいない方は本編前の説明をぜひご覧ください。
(わからなくても読めると思います。多分)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる