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第三章
謁見
しおりを挟む「ようこそいらっしゃいました。ちょうど閣議が終わって帰ったところです。陛下にお知らせしましたので、拝謁のお許しが出るまでこちらでお休みください」
ティサンは前回と同様、穏やかな笑みを浮かべながら早口で迎えた。
天幕のなかは広々として、天井も高い。机や椅子といった調度品もそろっていて、都の屋敷の部屋とほとんど変わらないように見える。勧められるまま、呂日将が椅子に腰かけると、ティサンは間髪を入れず話し出した。
「予想通り、ルコンどのは和睦が国益に叶うとなかなか強硬に主張されています。しかし……」
ティサンの瞳に鋭い光が走った。
「和睦がうまくとは思えません。むしろ、和睦派を納得させるためには、一度唐側に和睦を申し入れて破談となったほうがいいかもしれませんね。これは賭けになりますが」
穏やかに笑むと、先ほどの眼光は気のせいだったのかと思わせる、いかにも人の好さそうな雰囲気を纏ったティサンに戻る。
「すぐに陛下へのお目通りはかなうでしょう。今晩はサンシどのとともにこちらにお泊りください。しかし、あまり長居はされず、明日には都にお帰りになられたほうがいい。ここにいる尚論のなかには、日将どのに好意を抱かぬ者もおるかもしれません。ニャムサンどのはどうされますか」
「わたしもここに泊まる」
「ナナムの方々に、ご挨拶しなくてよいのですか」
「ラナンはいいけど、他の奴らには会いたくない」
ニャムサンが、ナナム一族の中で浮いた存在であることはサンシから聞いていたが、ラナンに対してだけは敵意はないらしい。ティサンは苦笑いを浮かべた。
「相変わらずですね。まあ、ラナンどのとは陛下のお部屋でお会い出来るでしょう」
拝謁の許しを告げる使者がやって来たので、ティサンを加えた一行は、さっそく離宮に向かった。
玉座に座る賛普に呂日将が拝跪しようとすると、賛普は歯切れのよい唐語で声をかけた。
「お顔をあげてください。ここにいるのはみな気心の知れた者だけ。大げさな礼儀はいりません」
呂日将はまともに目を合わせぬよう注意しながらそっと顔をあげた。二十二歳の賛普は興味深げに瞳を輝かせて、呂日将を見つめている。実際の年齢よりもあどけなく見える面差しは、従兄弟のニャムサンに似ている。賛普の背後に立つ賛普とニャムサンの叔父にあたるラナンは、深くうつむいていて、よく顔が見えなかった。
賛普は呂日将の経歴についてあれこれ質問を投げかける。呂日将はすべての質問に正直に答えていった。気まずい思いをさせまいという気遣いか、去年のいくさについては触れることなく、質問は終わった。
「僕固将軍のご要望はレン・ティサンより聞いています。わたしは、いま唐と和睦をしても無駄だと思っている。というのも、唐には何度も裏切られているからです。馬嵬駅で楊国忠が遭難したとき、使節が皆殺しにされたのをご存知ですか。あれはわたしが即位して、はじめて派遣した使節団です。その正式な謝罪はいまだにない。内乱のときであったのだから仕方がないと、それに目をつぶって昨年はじめに講和の会盟を結びましたが、その約も反故にされた」
言葉の強さに、矜持を傷つけられた賛普の怒りがにじんでいるようで、身が縮んだ。
馬嵬の変にこの国の使節が巻き込まれたとことは、呂日将も知っていた。
安禄山に長安を追われた玄宗一行が馬嵬駅に到着したとき、吐蕃の使節と出くわした。それに宰相の楊国忠が対応しているのを見て謀反を企んでいると疑った兵士たちが、楊国忠と吐蕃の使節たちを斬り捨ててしまったのだ。
しかしそれが、この賛普の即位後はじめての使節団だったとは知らなかった。
賛普の声は急に穏やかになる。
「なので、なんとしても僕固将軍との同盟を実現したいと思っています。決して将軍のご期待を裏切るような結果にはならないでしょう」
礼を言い、深々と頭を下げる呂日将に、賛普は言葉を継いだ。
「ところで、わが国に来てからお困りのことはありませんか」
「いいえ、レン・サンシが大変よくしてくださいますので、なんの不満もございません」
「でも、退屈されているでしょう」
いたずらっぽい賛普の声色に、呂日将も笑みを誘われる。
「実は、いささか」
「シャン・ゲルシクのところに行っていただいてはどうだろう」
賛普の提案に、ティサンは狼狽したような声をあげた。
「しかし、それは……」
「かまわないではないか。呂将軍は騎馬がお得意なのでしょう。わが軍にご教示いただけるのなら、悪いことはないと思う。将軍さえお嫌でなければ」
ティサンは頭を下げた。
「御意にございます」
期待に、心の臓が激しく脈打つのを感じた。
「どうでしょう、呂将軍。無理強いはいたしませんが……行ってくださいませんか」
「はい、お許しいただけますなら喜んで」
声が上ずっているのがわかって、顔が熱くなる。
「シャン・ゲルシクの陣所までの案内はサンシには厳しいだろう。ニャムサンが一緒に行くといい」
その言葉が、賛普との会見のしめくくりだった。呂日将は、夢見心地で賛普の御前を辞した。
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