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第二章
強盗とニャムサン
しおりを挟む柄にもなく部屋にこもって考え事などをしているから、嫌な想像をしてしまうのだ。
呂日将は立ち上がり、宿の外へ出た。
曹健福たちが商売をしていると思われる繁華街に背を向け、マルポ山の南に走る道を西へ、あてもなく歩く。
宿の周囲は庶民でも裕福な者が多いようで、石とレンガの大きな家が建ち並んでいる。通行するひとびとも、ニャムサンほど上等なものではないが鮮やかな絹の着物を着て、山珊瑚や瑠璃や瑪瑙やその他、呂日将には名のわからない様々な色合いの玉石で飾り立てていた。王宮に近づくにつれ、土壁とレンガの立派な貴族の屋敷が建つ閑静な街並みになる。賛普に従って、都を留守にしている者が多いのだろう。ひと通りはほとんどなかった。さらに先に進み、お屋敷街を抜けると、小さく簡易な家が増え始めた。ひとびとの服装も簡素なものになってゆく。
次第に周りの風景は、河原に転がっているようなゴロゴロとした大きさの揃わぬ石を無造作に積み重ね、天幕で雨をしのいでいるだけの家々がぎっしりとひしめくものに変わって行った。都の外で見た農民や放牧民が着ているのと変わらない、薄汚れた灰色の布をかぶっているだけのひとたちが、眩しいものを見るような目つきでチラチラとこちらをうかがっている。地味な商人の服も、彼らにすれば王侯貴族のように見えるのだろうか。
バラバラに建ち並ぶ石の家の間の細い道をクネクネと歩いて行くと、都の西の入り口に出た。曹健福たちとともにここから都に入った呂日将は、これ以上先に行っても見るべきものがないことを知っている。
帰ろうと踵を返したとき、目の前を五人の男がふさいだ。
まんなかの、呂日将より頭一つ背の低い太った男がニヤケながらなにかを言う。これが彼らの頭目らしい。言葉が違っても、こういうやからの言うことは同じ、『金目のものを出せ』だろう。肩をすくめると、侮辱されたと思ったのか、右端のヒョロヒョロと痩せて背の高い男が激高したようすで叫んだ。
「なにも持っていない」
両手を広げて見せた途端、左端の男が飛び込んできた。
胸めがけて突き出されてきた短刀を軽くかわし、腕を取りひねりながら足を払う。
短刀が落ち、突っ込んできた勢いのままクルリと一回転した男は背中からたたきつけられた。
先ほど叫んだ右端の男が棒を振りかぶって迫る。
ひどく怠慢な動きだ。振り下ろされた棒を身体を翻して避け、その勢いで、男の顔を回し蹴る。男が吹っ飛ぶと同時に、頭目の両側にいた男たちが、一度に飛びかかってきた。
ストンと腰を落として、右の男の右足と左の男の左足を両肩に担いで立ちあがり、後ろに放り投げる。
ふたりの男はもんどりを打って、半身を起こしかけていた短刀の男の上に背中から落ちていった。
頭目に目をやると、彼は驚いたように目を見開いて固まっていた。その視線は呂日将の背後にあるようだ。たちまち面に怯えを見せると、腰を引きながらなにか一声叫び、後ろを向いて走り出した。立ち上がった手下たちがフラフラとそのあとを追う。
「さすが強い。だけどひとりでこのあたりを歩く、ダメだ」
訛のきつい唐語が聞こえて振り向くと、馬上でニャムサンが笑っていた。あの男の視線は、ニャムサンにあったようだ。
「いまお帰りになられたのか」
「いま、お帰りになられた」
馬を降りながら呂日将の言葉をくり返すと、ニャムサンはケラケラと声をあげて笑った。
馬を引くニャムサンと呂日将は並んで歩いた。ともをしているのは、同じく馬を引いてあとをつくタクだけだ。思い起こせばゲルシクの陣営からの帰りも、ニャムサンはタクとふたりだけだった。
「ニャムサンどのこそ、都の外に行かれるのにご家来はタクどのだけで大丈夫なのですか」
「ゲルシク怒るけど、わたしはいっぱい連れて歩くのは嫌い。行きは荷物があるから家臣たちも一緒に行く。でも、帰りは彼らより早く帰る」
一歩踏み出すたびに、身に付けている金や玉石の装身具がシャナリシャナリと音を立てている。先ほどのような男たちが見たら飛びついて来そうだ。
「都ですらああいうやからがいる。都の外には山賊もいるでしょう」
ニャムサンは見てみろ、と言うようにグルリと周りを指さす。先ほどまで呂日将に羨望の眼差しを投げかけていた者たちが、顔をそらして小さくなっていた。
「みな、わたしのこと、知っている。ナナムの人間の機嫌を損ねたら、首を刎ねられると思っているのだ。わたしのことを知らない山賊に会ったら、逃げる。それでも捕まったら仕方ない。人間、いつか死ぬ」
ふと見たニャムサンの横顔が寂し気で、ドキリとする。五日間、商隊とともにいた間にも気になっていたのだが、ニャムサンは冗談に紛らせて、よくこういった自棄的なことを言う。
もの寂しい気分になって、呂日将は話題を変えた。
「ご丁寧に奥方さまからご挨拶をいただきました」
ニャムサンはふたたび明るい笑みを浮かべた。
「曹健福の宿、たまたまプティの家だった。ティサンどのに会えたか」
「はい。おかげさまで、ティサンどののお力添えをいただけることとなりました。サンシどののお屋敷に置いていただくことも出来るそうです」
「よかった。唐人、ここにはいないから、サンシは喜ぶ。ティサンどのは、賛普に話すと言ったか」
「はい。お耳に入れていただけるそうです」
「なら、賛普が会いたいと思えばいつか呼ばれる」
「しかし、ルコンどのがいい顔をされないのでは」
「賛普は意地っ張り。自分がしたいことは誰が止めてもやりとおす。サンシの館に移るときは、一緒に迎えに行く」
お屋敷町まで戻ると、ニャムサンはひらりと馬に飛び乗り、タクとともに走り去った。
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