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第二章
グー・ティサン・ヤプラク その1
しおりを挟むおっとりとした微笑みで呂日将を迎えたこの国の実質的な最高権力者、グー・ティサン・ヤプラクは、まだ三十半ばという若さだった。
「いらっしゃるのは大変でしたでしょう。高地の病にはかかりませんでしたか?」
サンシの言ったとおり、ティサンは訛はあるが流暢な唐語を、かなり早口で話した。見た目と違い、せっかちな質なのかもしれない。
「少々息苦しく頭痛も感じましたが、経験豊かな商隊が気を使ってゆっくりと進んでくれたので、ひどい症状は出ませんでした」
「常日頃、武術の鍛錬をされていらっしゃるのもよいのかもしれませんね。ここまでたどり着けずに諦めてしまう者も多いのですよ。われわれはまったく平気なのですが。おかげで攻めて来る外敵もいません」
「なるほど。だから都を囲む城壁がないのですな。もっとも、いかに立派な城壁があっても、それを守る者がいなければ、ないも同じことですが」
昨年の京師陥落を思い出して自嘲してしまう。
「呂将軍の戦いぶりは、ゲルシクどのからうかがっております。敵ながらあっぱれな者と絶賛されておられました。お目にかかれて大変光栄です」
あの豪傑を絵に描いたような将軍に褒められたと聞いて、嬉しく思わぬわけがない。ふと、ルコンは自分のことをどう評していたのかが気になったが、このティサンはルコンと敵対しているという。そんな雑談を交わす仲ではないだろう。ルコンの感想が話題にのぼることはなかった。
しかし、話せば話すほど、思い描いていた『ゲルシクに並ぶ猛将』とも『ルコンの向こうを張る老練の政治家』とも程遠い男に思われる。見た目も全体的に色素が薄く、ぼんやりフワフワと漂っているような、頼りない優男だ。本当にニャムサンの言う『バカみたいに強い』将軍なのだろうか。
「さて、本題に入りましょう。僕固懐恩将軍からのご使者でいらっしゃるのですね」
「はい。同盟を結び、援軍をいただきたい。昨年総大将を務められたレン・タクラ将軍のご出陣をお願いしたいのです」
「なるほど。ルコンどのの出陣をご希望ということは、京師を攻めるおつもりですね」
「はい」
「その代償として、われらにはなにを頂けるのでしょう」
「隴右の領有を認めます」
ティサンは穏やかな微笑みを絶やさずに言った。
「それはありがたい。しかしそのためには、僕固将軍が唐を滅ぼし、彼の国の主とならねばでしょう。安禄山父子、史思明父子が成し遂げることが出来なかったことを、僕固将軍は出来ると思っていらっしゃるのですか」
「そのために援軍をお願いするのです」
「僕固将軍には無理です。確かに、勇猛果敢な将軍でいらっしゃる。しかし、ひとの上に立つには厳しすぎるのでしょう。配下の朔方軍はついてゆくことが出来ず郭子儀に降りてしまったそうではありませんか。それに、僕固将軍はそこまでお望みではないとお見受けいたします」
「どういうことでしょう」
「唐主にご自身を認めて欲しいだけではありませんか。安禄山と違って、新たな国をつくるおつもりはないでしょう」
僕固懐恩の思惑と違って、ちらつかせた利にアッサリ飛びつく相手ではないようだ。呂日将は羞恥を感じてうつむいてしまった。
「将軍が出来ぬ約束をして、この国を利用しようとしていると?」
「ええ、言うだけは簡単ですから」
「わたしは、一度お会いしただけですので、僕固将軍のご本心までは存じませんが」
やはり、慣れぬ駆引きなど考えても仕方がない。
呂日将はふたたび顔をあげ、ティサンの目をじっと見つめた。
「わたしは唐を滅ぼしたいわけではありません。帝がお目を開かれ、周りの奸臣どもを除き、僕固将軍のようなまことの忠臣をお取り上げになられればよいのです。僕固将軍のおこころも同じであればよいと思っています」
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