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第二章
ルコンの思惑
しおりを挟む呂日将は続けて宦官に殺されかけたことから僕固懐恩の使者となった経緯までを話した。ルコンはうなずいた。
「なるほど、これで日将どのが僕固将軍のもとに走ることになったわけがわかりました。さて、僕固将軍はわれらになにを求めていらっしゃるのか」
「隴右に残る貴国の軍と、僕固将軍は連絡を取り合っているそうですが」
「僕固将軍がそうおっしゃっているのでしたらそうなのでしょう」
はぐらかすような物言いに、呂日将は苛立った。
「まだ、京師を狙っておられるのではないですか」
「とにかく、いま押さえている地の支配を確かにすることが重要です」
「僕固将軍にお味方くだされば、それは保証します。そのためにも、隴右の軍だけではなく、この国の主力をあげての援軍が必要です。昨年同様、ルコンどのとゲルシクどののご出陣を願いたい」
ルコンは渋面を作ってため息をついた。
「僕固将軍のお立場には同情申し上げる」
「ならば」
「これはわたし個人の感情でどうこう出来る問題ではない」
「では、賛普をご説得いただきたい」
「申し訳ないが、それは出来かねる。わたしは反戦の立場なのです」
意外な言葉に、息をのんだ。
「いま、僕固将軍に同情されるとおっしゃったではないか」
「だから、それはわたしの個人的な感情だ。だが、尚論という立場に立てば、あと二、三年は唐とことを構えるのは得策ではないというのがわたしの考えです」
「なぜです。昨年となにが違うというのです」
「程元振が失脚した」
「しかし、新たに魚朝恩という宦官を帝はご寵愛遊ばしているという。わたしにはなにも変わっていないように感じます」
「宦官と申しても、ものの見かた、考えかたがすべて同じとは限らぬ。日将どのは運悪くこころの黒い宦官に目をつけられてしまったが、魚朝恩がそうとは限らない。実際、郭子儀や馬璘といった昨年功績をあげた将軍の処遇も変わりつつあるように見えます。今後、唐がどう変わるか、それを見極めねば動けません」
「怖気づかれているのか」
「貴公はいくさのことしか考えておらぬのだな」
当たり前ではないか。戦場で帝と唐のためにいのちを掛けることだけを考えて生きて来たのだ。そうした武人の生き方を愚弄されたような気がして、呂日将は頭に血が上るのを感じた。
ルコンは呂日将を眺めながら目を細めた。
「ときどき、貴公のような生き方が羨ましくなることがある。しかし、この国の尚論は武人と官吏を兼ねます。まつりごとのことも考えなくてはならない。国の運営には臆病さも必要だ」
すがるような思いで、ゲルシクに向かう。
「ゲルシクどのはいかが思われる。やはり、いくさには反対ですか」
曹健祥を通じてふたりのやり取りを聞きながら、黙々と酒を飲んでいたゲルシクは憤然としたようすで言った。
「儂はいつだっていくさからは逃げん。貴公や僕固懐恩という者の事情を聞くにつけ、唐のやり口には我慢がならん」
呂日将が希望を見出したと思った瞬間、ゲルシクはちらりとルコンを見、大きく息をついて肩を落とした。
「しかし、国がどう動くべきか、などということに関しては、ルコンどのほど見通すことが出来ぬ。ルコンどのがようすを見たほうがよいとおっしゃるのなら、それが正しいのだろう」
目の前が暗くなった。なんの根拠もなく、ふたりは賛同してくれる気がしていたのだ。
「なんだ、もうやる気をなくされたか」
よほど気落ちした顔をしていたのだろう。ルコンが笑った。思わず、にらみつけてしまう。
「いくさをする気がないルコンどのにとって、わたしは疫病神でしょう」
ルコンは肩をすくめる。
「だから?」
「帰れと命じられたら、無力なわたしは帰るしかない。いや、この場で消してしまおうと思われてもどうしようもない」
そのときは刺し違えてでも、この男だけは殺してやる。
その殺気を感じ取ったのか、彼は緩やかに笑みながら言った。
「そのご覚悟は戦場にて承ろう。わたしの一存でどうこう出来る問題ではないと申したではないか。話を聞いてしまったからには陛下にご報告しないわけにはいかない。このまま都に向かわれればいい」
「え、では」
「この国の方針は、重臣と各地の部族の王たちの会盟にて決定する。そこに参加する者の多くが僕固将軍との同盟に賛同するかどうかが問題です。ニャムサンはそろそろ陛下のもとへ帰るので、途中で追いつくはずだ。彼に相談すれば、道は開けるだろう」
ルコンは懐から木簡を取り出してなにやらスルスルと書きつけると、ゲルシクとともに署名し、呂日将に差し出しす。呂日将は礼を言ってそれを受け取りながら、また敗北を喫したような悔しさを、胸の内にうねらせていた。
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