天空の国

りゅ・りくらむ

文字の大きさ
上 下
18 / 51
第二章

奇矯な貴公子

しおりを挟む

 草原に、男の声が響いた。
 曹健福が一行に停止するように言う。警戒するような彼の眼差しの先に呂日将も視線を移す。
 前方から、若いふたりの男がこちらに向かって来るのが見えた。
 曹健福は表情を固くして、その青年たちを見つめている。
 先に立っているスラリと背の高い青年は、豪奢な毛皮ときらびやかな錦の袍を身に纏っている。金銀の耳飾りと玉石の頭飾りや首飾りが、動くたびにジャラジャラと音を立てた。
 なによりも呂日将の目を釘付けにしたのはその美貌だった。
 優美に弧を描くクッキリとした眉。長いまつ毛に囲まれた生き生きと輝く大きな瞳。真直ぐに筋の通った小ぶりで高い鼻とふっくらとした上品な唇。やや色黒のきらいはあるが、長安でもこれほどの美男子にはなかなかお目にかかれない。後ろを歩く家来と思われる小柄な若者も、地味ながら上等の絹の着物と帽を身につけている。
 これまで見てきた農の民や牧畜の民とは身分の違う者と一目でわかった。
 突如現れた場違いな貴公子に、呂日将は背筋が冷やりとするのを感じた。
 もしかしたら、この先にあるというシャン・ゲルシクの駐屯地に関係する者かもしれない。
 青年はズカズカと曹健福の真ん前にやってくると、なにかを言った。曹健福はしきりに恐縮したようすで頭を下げている。
「この先で軍事演習をしているから近づいてはダメだ。兵にみつかったら鞭打ちになるぞ、と言っています」
 いつものように曹可華が通訳をすると、青年は不審そうにこちらに目を向け、つたない唐語で話しかけてきた。
「おまえ、唐人か?」
 曹健福が、慌ててなにかを言い募る。おそらく、示し合わていたとおり「ソグド人ではあるが、吐蕃は初めてなので言葉がわからないのだ」と言い訳をしているのだろう。
「本当か? 漢人のような顔してる。唐の間者、違うか?」
 青年は惹き込まれるような明るい笑顔になった。冗談で言ったのだろう。
 呂日将はこの青年に身分を明かそうと決めた。他にひとの姿は見えないから、危険があるようだったらふたりを斬ってしまえばいい。
 曹健福にうなずくと、呂日将は前に出た。
「お疑いのとおり、わたしは商人ではありません。僕固懐恩将軍からの使者としてこの国に参りました。あなたはレン・タクラ将軍かシャン・ゲルシク将軍をご存知ではありませんか」
 青年は眉をひそめた。思わず、腰に差す短剣の柄に手をかけそうになる。が、彼はすぐに笑顔になって、背後の丘を指差した。
「知ってる、知ってる。ふたりとも、あっち、いる。わたしはシャン・ゲルニェンという」
 それを聞くと、一行は地に這いつくばるように平伏した。なぜかそれを見たシャン・ゲルニェンが嫌な顔をしたので、呂日将は深々と拝礼するのに留めた。
「おまえは? 僕固……という名前、か?」
「いいえ、僕固懐恩からの使者です。わたしの名は呂日将と申します。レン・タクラ将軍にお取次ぎいただければおわかり……」
「ウェェェェェェ!」
 荒野に響く奇声に、ギョッとして顔をあげると、大きな眼をさらに丸くして呂日将の顔を覗き込むシャン・ゲルニェンの顔がすぐ目の前にあってドキリとする。
「おまえが呂日将? ケンシの河で夜襲した将軍か?」
 ケンシとは京師のことだろう。自分のことを知っているらしい。
「はい。間違えございません」
 シャン・ゲルニェンは弾かれるように笑い出した。
「おまえ、なにをしていた。レン・タクラとシャン・ゲルシクは心配とてもしている。ギャジェが愚か者とは本当か?」
 ギャジェとはなにか。曹可華に聞こうと思ったが、見当たらない。這いつくばって顔だけあげていた曹健福を見ると、青い顔をしてブルブルと首を振った。
「待って。ここで、待ってて。レン・タクラとシャン・ゲルシク、連れてくる。おまえに」
 切れ切れに言うと、シャン・ゲルニェンはヒャラヒャラと笑いながらもと来た道を駆け出した。家来が慌ててそのあとを追う。ふたりの姿はドンドン小さくなり、丘を登って、その向こう側へ消えて行った。
「なんだ、あれは」
 ようやく呂日将がつぶやくと、ふうっと息を吐いた曹健福は立ちあがりながら言った。
「奇矯なお方ですな。しかしこんなところでシャンのお方にお会い出来るとは。将軍はご運がよろしい」
「ギャジェとはどういう意味ですか」
「……ギャは中華、ジェは主。つまり、恐れ多いことにございますが、唐の帝のことにございます」
 曹健福の後ろで腰が抜けたように座りこんでいる曹可華が、カクカクとうなずいているのが見えた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ナナムの血

りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(チベット) 御家争いを恐れ、田舎の館に引きこもっていたナナム・ゲルツェン・ラナンは、ある日突然訪ねて来た異母兄ティ・スムジェによってナナム家の家長に祭り上げられる。 都に上り尚論(高官)となったラナンは、25歳になるまで屋敷の外に出たこともなかったため、まともに人と接することが出来なかった。 甥である王(ツェンポ)ティソン・デツェンや兄マシャンの親友ルコンに助けられ、次第に成長し、東方元帥、そして大相(筆頭尚論)となるまでのナナム・ゲルツェン・ラナン(シャン・ゲルツェン:尚結賛)の半生を書きました。 参考文献はWebに掲載しています。

遺恨

りゅ・りくらむ
歴史・時代
内大相ゲンラム・タクラ・ルコンと東方元帥チム・ゲルシク・シュテン。 戦友であるふたりの間には、ルコンの親友である摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの存在がいまだ影を落としていた。隣国唐で勃発した僕固懐恩の乱をめぐるルコンの対応に不信感を抱いたゲルシクの内で、その遺恨が蘇る。 『京師陥落~ ཀེང་ཤྀ་ཕབ།』で長安を陥落させた吐蕃最強バディのケンカは、ツェンポ・ティソン・デツェンとナナム・ゲルニェン・ニャムサン、そして敵将呂日将まで巻き込む騒動に発展して……。 と書くほどの大きなお話ではありません😅 軽く読んでいただければー。 ボェの国の行政機構などについて今回は文中で説明していませんので、他の作品を読んでいない方は本編前の説明をぜひご覧ください。 (わからなくても読めると思います。多分)

摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚

りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(現チベット)。古い神々を信じる伝統派と仏教を信じる改革派が相争う宮殿で、改革派に与する国王ティデ・ツクツェンが暗殺された。首謀者は伝統派の首領、宰相バル・ドンツァプ。偶然事件を目撃してしまったナナム・ニャムサンは幼馴染で従兄弟の太子ナツォクを逃がそうとするが、ドンツァプと並ぶ伝統派の実力者である伯父ナナム・マシャンに捕らえられ、ナツォクを奪われる。王宮に幽閉されたナツォクを助けるためニャムサンは、亡き父の親友ゲンラム・タクラ・ルコン、南方元帥グー・ティサン、東方元帥チム・ゲルシクと協力し、ナツォクの救出に奔走する。 民間伝承のような勧善懲悪ストーリではなく出来るだけ史実に沿うよう努力しています。参考文献は自分のWebサイトで公開中です。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

長安陥落~ ཀེང་ཤྀ་ཕབ།

りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃の古代チベット王国(吐蕃)。 失脚した摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの側近として流罪になったゲンラム・タクラ・ルコン。半年で都に呼び戻された彼に王は精鋭騎馬隊の設立を命じる。王の狙いは隣国唐の京師長安の征服だった。一方、マシャンの傀儡だった大相(筆頭大臣)バー・ナシェル・ズツェンはルコンの復帰を心の底では疎んじていて……。 『摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚』から続くお話です。 (これだけでもわかるようにはなっています)

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

処理中です...