天空の国

りゅ・りくらむ

文字の大きさ
上 下
7 / 51
第一章

宰相の招き

しおりを挟む

「……なら、言伝して……じゃないですか」
「だめだ……刺史さま……しなくては、……さまに叱られる」

 薄汚れた天井が見えた。キンキンと響く甲高い声と、低く落ち着いた声が話し合っている。外からはかすかに水の流れる音が聞こえた。ここは城外の安宿のようだ。
 ひとの声のする方へ目を向けると、恰幅の良い武人と小柄な若者が地炉に手をかざして向かい合っていた。
「叱られるのは大将だから、ちっともかまわない。早く帰りましょうよ。オレはこんな田舎で正月を迎えたくないんです」
「吐蕃のせいで京師だって正月や上元どころじゃないよ。おまえが期待しているような面白い催しなんかないだろう」
「そんだって、帝もお戻りになられたし、こんなところよりずっとマシに決まってるじゃないですか。あぁ、大将の従者になんかなるんじゃなかった」
「おいおい、悲しいことを言うなよ」
「だってそうじゃないですか。こんな田舎に連れてこられて」
「侍中さまのご命令なんだから仕方がないだろう」
「バカみたいに寒い早朝に散策して乞食野郎を拾えなんて侍中さまは命令していないでしょ。挙句の果てに、刺史さまはお留守で、どこに行ったのか、いつ戻るのか、誰も知らないときたもんだ。だから田舎はイヤなんだ!」
 長安っ子らしい歯切れのよい早口で捲し立てる若者は、武人の雇われ従者らしい。そして、この武人は侍中の家来……。
 ぼんやりと会話の端々を反芻していた呂日将は、彼らが自分に会いに来たのだとようやく気が付いた。
 声をかけようと身じろぎをすると、鈍器で殴られたような痛みが全身に走る。うめき声をあげると若い男が振り向いた。
「やっと気がついたな。二日も寝てたんだぜ。ずうずうしいったらありゃしないよ。あんたのせいで、オレたちはこんなシケた宿から動くことが出来なかったんだからな」
 呂日将は焼けるように痛む喉から声を振り絞った。
「迷惑をかけてすまなかった。貴公らは刺史に会いにきたのか」
 若者の肩先から、武人が顔をのぞかせる。
「そんなことより、送ってやるから住まいを教えてくれ」
「刺史の館。オレは鳳州刺史の呂日将だ。貴殿らが会いたがっているのはオレだろう」
 ふたりは目を見開いて固まった。
 若者が「ふぁ……ご無礼を……」と気の抜けた声をあげると、武人が弾けるように笑い出した。
「ほれ、お助けしてよかっただろう」

 ひとしきり豪快に笑声を響かせると、武人は背筋を伸ばした。
「失礼いたしました。わたしは苗侍中の家来で厳祖江、こちらは従者の小群です」
 官職を名乗らないのだから、無位無官の庶民なのだろう。しかし厳祖江は一軍の将ともみまごう、立派な押し出しをしていた。
「御用を伺いましょう。その前に水を一杯くだされ」
 言葉の終わらぬうちに、小群は部屋を飛び出した。すぐに水を満たした茶碗を手に戻って来ると、恭しく差し出す。厳祖江の助けを借りて、身体を起こした呂日将は受け取った水を一気に飲み干すと威儀を正した。
「苗侍中がわたしをお呼びなのですか」
「はい。ぜひともお話を伺いたいと。しかしこれは侍中の個人的な好奇心を満たすものです。なので、お断りになっても決してお咎めなどはございません」
「参ります。すぐにでも」
 呂日将は即答した。
 つい昨日まで、世界中に自分のことを必要としている人間などひとりもいないと思っていたのだ。それなのに、他でもない宰相が自分に興味を持っているというのが嬉しくてならなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ナナムの血

りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(チベット) 御家争いを恐れ、田舎の館に引きこもっていたナナム・ゲルツェン・ラナンは、ある日突然訪ねて来た異母兄ティ・スムジェによってナナム家の家長に祭り上げられる。 都に上り尚論(高官)となったラナンは、25歳になるまで屋敷の外に出たこともなかったため、まともに人と接することが出来なかった。 甥である王(ツェンポ)ティソン・デツェンや兄マシャンの親友ルコンに助けられ、次第に成長し、東方元帥、そして大相(筆頭尚論)となるまでのナナム・ゲルツェン・ラナン(シャン・ゲルツェン:尚結賛)の半生を書きました。 参考文献はWebに掲載しています。

北宮純 ~祖国無き戦士~

水城洋臣
歴史・時代
 三国時代を統一によって終わらせた晋(西晋)は、八王の乱と呼ばれる内紛で内部から腐り、異民族である匈奴によって滅ぼされた。  そんな匈奴が漢王朝の正統後継を名乗って建国した漢(匈奴漢)もまた、僅か十年で崩壊の時を迎える。  そんな時代に、ただ戦場を駆けて死ぬ事を望みながらも、二つの王朝の滅亡を見届けた数奇な運命の将がいた。  その名は北宮純。  漢民族消滅の危機とまで言われた五胡十六国時代の始まりを告げる戦いを、そんな彼の視点から描く。

長安陥落~ ཀེང་ཤྀ་ཕབ།

りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃の古代チベット王国(吐蕃)。 失脚した摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの側近として流罪になったゲンラム・タクラ・ルコン。半年で都に呼び戻された彼に王は精鋭騎馬隊の設立を命じる。王の狙いは隣国唐の京師長安の征服だった。一方、マシャンの傀儡だった大相(筆頭大臣)バー・ナシェル・ズツェンはルコンの復帰を心の底では疎んじていて……。 『摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚』から続くお話です。 (これだけでもわかるようにはなっています)

摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚

りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(現チベット)。古い神々を信じる伝統派と仏教を信じる改革派が相争う宮殿で、改革派に与する国王ティデ・ツクツェンが暗殺された。首謀者は伝統派の首領、宰相バル・ドンツァプ。偶然事件を目撃してしまったナナム・ニャムサンは幼馴染で従兄弟の太子ナツォクを逃がそうとするが、ドンツァプと並ぶ伝統派の実力者である伯父ナナム・マシャンに捕らえられ、ナツォクを奪われる。王宮に幽閉されたナツォクを助けるためニャムサンは、亡き父の親友ゲンラム・タクラ・ルコン、南方元帥グー・ティサン、東方元帥チム・ゲルシクと協力し、ナツォクの救出に奔走する。 民間伝承のような勧善懲悪ストーリではなく出来るだけ史実に沿うよう努力しています。参考文献は自分のWebサイトで公開中です。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

遺恨

りゅ・りくらむ
歴史・時代
内大相ゲンラム・タクラ・ルコンと東方元帥チム・ゲルシク・シュテン。 戦友であるふたりの間には、ルコンの親友である摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの存在がいまだ影を落としていた。隣国唐で勃発した僕固懐恩の乱をめぐるルコンの対応に不信感を抱いたゲルシクの内で、その遺恨が蘇る。 『京師陥落~ ཀེང་ཤྀ་ཕབ།』で長安を陥落させた吐蕃最強バディのケンカは、ツェンポ・ティソン・デツェンとナナム・ゲルニェン・ニャムサン、そして敵将呂日将まで巻き込む騒動に発展して……。 と書くほどの大きなお話ではありません😅 軽く読んでいただければー。 ボェの国の行政機構などについて今回は文中で説明していませんので、他の作品を読んでいない方は本編前の説明をぜひご覧ください。 (わからなくても読めると思います。多分)

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

北武の寅 <幕末さいたま志士伝>

海野 次朗
歴史・時代
 タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。  幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。  根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。  前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。 (※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)

処理中です...