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第一章
宰相の招き
しおりを挟む「……なら、言伝して……じゃないですか」
「だめだ……刺史さま……しなくては、……さまに叱られる」
薄汚れた天井が見えた。キンキンと響く甲高い声と、低く落ち着いた声が話し合っている。外からはかすかに水の流れる音が聞こえた。ここは城外の安宿のようだ。
ひとの声のする方へ目を向けると、恰幅の良い武人と小柄な若者が地炉に手をかざして向かい合っていた。
「叱られるのは大将だから、ちっともかまわない。早く帰りましょうよ。オレはこんな田舎で正月を迎えたくないんです」
「吐蕃のせいで京師だって正月や上元どころじゃないよ。おまえが期待しているような面白い催しなんかないだろう」
「そんだって、帝もお戻りになられたし、こんなところよりずっとマシに決まってるじゃないですか。あぁ、大将の従者になんかなるんじゃなかった」
「おいおい、悲しいことを言うなよ」
「だってそうじゃないですか。こんな田舎に連れてこられて」
「侍中さまのご命令なんだから仕方がないだろう」
「バカみたいに寒い早朝に散策して乞食野郎を拾えなんて侍中さまは命令していないでしょ。挙句の果てに、刺史さまはお留守で、どこに行ったのか、いつ戻るのか、誰も知らないときたもんだ。だから田舎はイヤなんだ!」
長安っ子らしい歯切れのよい早口で捲し立てる若者は、武人の雇われ従者らしい。そして、この武人は侍中の家来……。
ぼんやりと会話の端々を反芻していた呂日将は、彼らが自分に会いに来たのだとようやく気が付いた。
声をかけようと身じろぎをすると、鈍器で殴られたような痛みが全身に走る。うめき声をあげると若い男が振り向いた。
「やっと気がついたな。二日も寝てたんだぜ。ずうずうしいったらありゃしないよ。あんたのせいで、オレたちはこんなシケた宿から動くことが出来なかったんだからな」
呂日将は焼けるように痛む喉から声を振り絞った。
「迷惑をかけてすまなかった。貴公らは刺史に会いにきたのか」
若者の肩先から、武人が顔をのぞかせる。
「そんなことより、送ってやるから住まいを教えてくれ」
「刺史の館。オレは鳳州刺史の呂日将だ。貴殿らが会いたがっているのはオレだろう」
ふたりは目を見開いて固まった。
若者が「ふぁ……ご無礼を……」と気の抜けた声をあげると、武人が弾けるように笑い出した。
「ほれ、お助けしてよかっただろう」
ひとしきり豪快に笑声を響かせると、武人は背筋を伸ばした。
「失礼いたしました。わたしは苗侍中の家来で厳祖江、こちらは従者の小群です」
官職を名乗らないのだから、無位無官の庶民なのだろう。しかし厳祖江は一軍の将ともみまごう、立派な押し出しをしていた。
「御用を伺いましょう。その前に水を一杯くだされ」
言葉の終わらぬうちに、小群は部屋を飛び出した。すぐに水を満たした茶碗を手に戻って来ると、恭しく差し出す。厳祖江の助けを借りて、身体を起こした呂日将は受け取った水を一気に飲み干すと威儀を正した。
「苗侍中がわたしをお呼びなのですか」
「はい。ぜひともお話を伺いたいと。しかしこれは侍中の個人的な好奇心を満たすものです。なので、お断りになっても決してお咎めなどはございません」
「参ります。すぐにでも」
呂日将は即答した。
つい昨日まで、世界中に自分のことを必要としている人間などひとりもいないと思っていたのだ。それなのに、他でもない宰相が自分に興味を持っているというのが嬉しくてならなかった。
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(わからなくても読めると思います。多分)
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