遺恨

りゅ・りくらむ

文字の大きさ
上 下
23 / 24

後日譚

しおりを挟む

「毎日……みたい」 
 二千の騎兵が立てる馬蹄の響きに紛れて、よく聞き取れなかった。床几に腰掛けて、精鋭騎馬隊の調練を見守っていたゲルシクは、指で野花をクルクルと弄びながら地べたにだらしなく足を投げ出して坐っているニャムサンに向けて怒鳴った。
「なにかおっしゃったか」 
「一日中走り回って、バカみたいだ。馬がかわいそうじゃないか」 
 ニャムサンは今にも閉じてしまいそうな半眼の目で、走り回る兵たちを眺めながら怒鳴り返してきた。これでも軍監の勤めは果たそうと努力はしているようだ。
「ちょっとだけでも参加してみればどうかな。坐って見ているよりいいだろう」
「バカの仲間入りなんかするもんか」
「だったら、甲冑を身につけてみてはいかがかな。かっこいいだろう」
「イヤだ。あんなバカみたいに重い物、着たくないよ」
「ならば、なんだ……。せめて、戦袍に着替えてみればどうかな」
 ニャムサンは都にいるときと同じ、庶民が身につけるような単衣一枚の姿だった。兵士たちはツェンポの従兄弟がそんな格好でフラフラしているので、どう対応していいかわからず戸惑っている。が、ニャムサンはまったく気にしていないようだ。
「イヤだってば!」
 子どものように頬を膨らませたニャムサンは、ようやくゲルシクに顔を向けた。
「ホント、おっさんはしつこいな。オレは無駄に馬を走らせないし、どこでだってオレが着たい服だけを着る」
「すまん、すまん。無理強いするつもりはないのだ」
 相手がトンツェンやツェンワだったら鉄拳を振るっても従わせるゲルシクだったが、ニャムサンにはどうも強く出ることが出来ない。それどころか、愛想笑いを浮かべて機嫌を取ってしまう。ニャムサンは気まずそうな顔をした。 
「別に怒っちゃいないよ。ただ、いい加減オレがこんなヤツだってことはわかって欲しいんだ」
「うん、まあ、長い付き合いだからな」
 もちろん、ゲルシクはニャムサンがいくさも政治も嫌っていることを知っている。しかし、彼に指揮官として充分な能力があると睨んでいるゲルシクは、仏典翻訳官という地位で満足しているのが惜しくてならなず、ついつい世話を焼いてしまう。
「一日中ダラダラと過ごして、いったいなにをしに来たのだ」
 上から振ってきた声に、ゲルシクはドキンとしてしまった。振り仰げば騎乗のルコンが眉を寄せてニャムサンを睨んでいた。
「ナツォクが軍のようすを見に行ってこいって命令したからじゃないか」
「いつものおまえなら、陛下の命であってもイヤなことはきかないではないか。なにか目的があってきたのだろう」
「ルコン小父さんとゲルシクのおっさんの顔を見に来たんだよ」 
 ニャムサンは上目遣いでルコンにニッコリと微笑んだ。ゲルシクだったらそれだけでもう嬉しくなって詰問することは出来なくなってしまう。しかしルコンの厳しい顔は変わらなかった。
「おまえがそんなかわいいことを言うときは、なにか魂胆があるのだ」
「チェ。そんなにオレは信用ないのかよ」
「まあまあ。他に目的があったとしても、こうして来てくれただけで儂は嬉しいよ」
 ゲルシクが慰めると、ニャムサンは吹き出した。
「そうやっておっさんは甘やかしてくれるから、なんか拍子抜けしちゃう」
 ニャムサンは立ちあがると、大きく伸びをした。
「冬の終わりに手紙が届いてね、夏に来るって言うんで迎えに来たんだ」
「誰が」
 ゲルシクとルコンの声が重なる。
「今朝着いたって陣営の外を見張っている守備兵から連絡が来た。連れてこいって命じておいたから、そろそろ来るよ」
 ニャムサンは振り返ると、「ほら、来た」と言いながら手を振る。
 ゲルシクも振り向いて見ると、守備兵に連れられた偉丈夫が、左手を振っている。
「日将どの。ご無事だったのか」
 狼狽したルコンの声に、ゲルシクはようやくそれが呂日将であることに気がついた。
「え、知らなかったの。右腕は渾日進に斬られちゃったみたいだけど」
 ニャムサンの言葉に応えるように、呂日将の右の袖がひらりと風に舞った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ナナムの血

りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(チベット) 御家争いを恐れ、田舎の館に引きこもっていたナナム・ゲルツェン・ラナンは、ある日突然訪ねて来た異母兄ティ・スムジェによってナナム家の家長に祭り上げられる。 都に上り尚論(高官)となったラナンは、25歳になるまで屋敷の外に出たこともなかったため、まともに人と接することが出来なかった。 甥である王(ツェンポ)ティソン・デツェンや兄マシャンの親友ルコンに助けられ、次第に成長し、東方元帥、そして大相(筆頭尚論)となるまでのナナム・ゲルツェン・ラナン(シャン・ゲルツェン:尚結賛)の半生を書きました。 参考文献はWebに掲載しています。

長安陥落~ ཀེང་ཤྀ་ཕབ།

りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃の古代チベット王国(吐蕃)。 失脚した摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの側近として流罪になったゲンラム・タクラ・ルコン。半年で都に呼び戻された彼に王は精鋭騎馬隊の設立を命じる。王の狙いは隣国唐の京師長安の征服だった。一方、マシャンの傀儡だった大相(筆頭大臣)バー・ナシェル・ズツェンはルコンの復帰を心の底では疎んじていて……。 『摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚』から続くお話です。 (これだけでもわかるようにはなっています)

鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。

仮面の意義

荒木免成
歴史・時代
 中国南北朝時代の北斉《ほくせい》の国に存在した蘭陵王《らんりょうおう》にまつわる話。蘭陵王は屋敷の庭にて召使いを相手に人の魂の在り方と形とについて問答を交わす。

摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚

りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(現チベット)。古い神々を信じる伝統派と仏教を信じる改革派が相争う宮殿で、改革派に与する国王ティデ・ツクツェンが暗殺された。首謀者は伝統派の首領、宰相バル・ドンツァプ。偶然事件を目撃してしまったナナム・ニャムサンは幼馴染で従兄弟の太子ナツォクを逃がそうとするが、ドンツァプと並ぶ伝統派の実力者である伯父ナナム・マシャンに捕らえられ、ナツォクを奪われる。王宮に幽閉されたナツォクを助けるためニャムサンは、亡き父の親友ゲンラム・タクラ・ルコン、南方元帥グー・ティサン、東方元帥チム・ゲルシクと協力し、ナツォクの救出に奔走する。 民間伝承のような勧善懲悪ストーリではなく出来るだけ史実に沿うよう努力しています。参考文献は自分のWebサイトで公開中です。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

毛利隆元 ~総領の甚六~

秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。 父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。 史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

処理中です...