遺恨

りゅ・りくらむ

文字の大きさ
上 下
13 / 24

決裂

しおりを挟む

 三人が平地に戻り、いつもの訓練が開始された。
 リンチェが片づけのために姿を消すと、ふたりの間に沈黙が流れる。いたたまれなくなったゲルシクが場を離れる口実を考え始めたとき、ルコンがポツリとつぶやいた。
「そろそろ、次の世代のことを考えねばなりませんな」
 それはときどきゲルシクも考えていた。もう四十五だ。しかし。
「焦ることはあるまい。唐ではわれらより二十以上年長の郭子儀が、第一線で働いているではないか」
「武人と文人の区別が明確に分かれている唐とこの国では事情が違う。それでもこの頃は、あちらも若い将軍たちが頭角を現し始めている。そろそろ世代交代でしょう」
「それは、そうかもしれないが」
 軍を離れたら宮廷で、政事を司ることとなる。権力闘争、権謀術数、腹の探り合い……。考えただけで気分が悪くなる。実際、先の大相は慣れぬ宮廷での権力闘争の挙句に弑逆という暴挙に走ってしまった面があるのだ。自分もそうならぬ保障はないと思うとゾッとした。
「ラナンどのは、いずれは大相にもなっていただかなくてはならぬ方だ。先の会議でもご覧いただいたとおり、この頃はしっかりと自分の考えを持って、主張することも出来るようになって来た。その芽をさらに伸ばす手伝いをしてやりたい」
 思わず、ゲルシクはルコンの横顔をマジマジと見つめた。
「二十年前も、同じようなことを言って都に戻られましたな」
 ルコンの表情がわずかに強張った。
「終わったことではありませんか」
「終わったことだと?」
「そうです。マシャンどのは、もうこの世におられぬ。マシャンどのをお嫌いだった貴公はさぞ溜飲を下げられたことであろう」
 なんだ、それは。
 まるで自分がマシャンに私怨を持っていたような言い方をされて、これまで腹のなかにたまっていた不満が、口をついてあふれ出た。
「陛下をないがしろにして民を苦しめた、血も涙もない権力の亡者だ。国を思う士ならば憎まぬ者はおるまい」
「わたしはいまでも、マシャンどのこそがこの国の宰相にふさわしかったと思っています」
「幼馴染の身びいきで目が曇っているとしか思えぬ」
「もとはあのような方ではなかった」
「ふん。儂には若いころから鉄面皮の冷血漢にしか見えなかったがな。そのうえ触れる者すべてに災いをもたらす、祟り神のような男だ」
「なにごとも表面しか見えぬ貴公にはおわかりになりますまい」
「そうやって、儂のことを単純な愚か者と腹のなかで嗤っておったのだな。初めて会ったときから」
「そう思われるなら、勝手にそう思っていればいい。いつまで昔のことを根に持ってらっしゃるのか」
 どうして否定しないのだ。ルコンの冷えた横顔を睨みながら、ゲルシクのなかでなにかが切れた。
「貴公もあの男と同じで、ひとの血というものが流れていないのだ。もう、顔も見たくない」
「そうですか。ならわたしは陛下にお願いしてお役を外していただく」
「なに」
「元帥たるゲルシクどのに不要と言われたのなら、ここに居ることは出来ません」
 なぜ、歩み寄ろうとしないのだ。過去は水に流して、またともに力を合わせて行こうと言えないのだ。ルコンも、自分も。
「お好きにされよ」
 ゲルシクが言うと、ルコンは立ちあがり、自分の天幕に向けて歩き始める。
 ゲルシクは引き留めない。
 それきり、ルコンは天幕から出てこなくなってしまった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ナナムの血

りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(チベット) 御家争いを恐れ、田舎の館に引きこもっていたナナム・ゲルツェン・ラナンは、ある日突然訪ねて来た異母兄ティ・スムジェによってナナム家の家長に祭り上げられる。 都に上り尚論(高官)となったラナンは、25歳になるまで屋敷の外に出たこともなかったため、まともに人と接することが出来なかった。 甥である王(ツェンポ)ティソン・デツェンや兄マシャンの親友ルコンに助けられ、次第に成長し、東方元帥、そして大相(筆頭尚論)となるまでのナナム・ゲルツェン・ラナン(シャン・ゲルツェン:尚結賛)の半生を書きました。 参考文献はWebに掲載しています。

長安陥落~ ཀེང་ཤྀ་ཕབ།

りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃の古代チベット王国(吐蕃)。 失脚した摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの側近として流罪になったゲンラム・タクラ・ルコン。半年で都に呼び戻された彼に王は精鋭騎馬隊の設立を命じる。王の狙いは隣国唐の京師長安の征服だった。一方、マシャンの傀儡だった大相(筆頭大臣)バー・ナシェル・ズツェンはルコンの復帰を心の底では疎んじていて……。 『摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚』から続くお話です。 (これだけでもわかるようにはなっています)

鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。

仮面の意義

荒木免成
歴史・時代
 中国南北朝時代の北斉《ほくせい》の国に存在した蘭陵王《らんりょうおう》にまつわる話。蘭陵王は屋敷の庭にて召使いを相手に人の魂の在り方と形とについて問答を交わす。

摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚

りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(現チベット)。古い神々を信じる伝統派と仏教を信じる改革派が相争う宮殿で、改革派に与する国王ティデ・ツクツェンが暗殺された。首謀者は伝統派の首領、宰相バル・ドンツァプ。偶然事件を目撃してしまったナナム・ニャムサンは幼馴染で従兄弟の太子ナツォクを逃がそうとするが、ドンツァプと並ぶ伝統派の実力者である伯父ナナム・マシャンに捕らえられ、ナツォクを奪われる。王宮に幽閉されたナツォクを助けるためニャムサンは、亡き父の親友ゲンラム・タクラ・ルコン、南方元帥グー・ティサン、東方元帥チム・ゲルシクと協力し、ナツォクの救出に奔走する。 民間伝承のような勧善懲悪ストーリではなく出来るだけ史実に沿うよう努力しています。参考文献は自分のWebサイトで公開中です。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

毛利隆元 ~総領の甚六~

秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。 父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。 史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

処理中です...