10 / 24
生ける死者 その4
しおりを挟むニャムサンは、そのグンソン・グンツェン王の墓の脇もそのまま通り過ぎる。
墓地は手入れが行き届いていて、雑草も見当たらなかった。『生きている死者』たちの仕事なのだろう。しかしあたりにまったくひとけは感じられない。彼らはどこで息をひそめて俗世から来た生者が立ち去るのを待っているのだろうか。ニャムサンは今度は墓と墓の間から見える、だいぶ離れた北側にある墓を指差した。
「あれが、いまのツェンポの父、ティデ・ツクツェン王の墓。いつもはあちらに供物を供える」
さらにグンツェン王の息子のマンソン・マンツェン王のものという墓を通り抜ける。その次の王墓は、山の裾野を崩して均した上に築いたらしく一段高い位置にある。傍らに、他のものより目に見えて小さな墳墓があった。ニャムサンはそれを指して、これはマンツェン王の王妃の墓、大きいほうはマンツェン王の息子のティ・ドゥーソン王の墓だと説明しながら二基の墳墓の間を抜けた。確かに道はあるものの、傾斜は急になってゆき、ほとんど登山の様相を呈している。息を切らせながら呂日将は質問した。
「このお墓は、ツェンポの生前に造っておくものなのですか?」
「そう。で、ツェンポが亡くなってから三年後に崩御を公表して大葬を行う。ここで、新しいツェンポが即位し、亡くなったツェンポを埋葬するのだ」
「いまのツェンポもそうして即位されたのですね」
「いや、先のツェンポは暗殺された。それをわたしがティサンに知らせ、ティサンとゲルシクが軍を動かして太子を助けたので、三年間秘密に出来なかった。だから、一年後に大葬をした」
「ニャムサンどのはそれを目撃されたのですか」
「たまたま現場にいたんだ」
「まだ子どもだったでしょう。怖くなかったのですか」
「十七歳。だけど、ナツォク、太子は十三歳。暗殺を主導したやつらに幽閉されて、もっと怖い思いをしていた。だから助けようと必死だった。友達だから」
ドゥーソン王の墓の背後の山肌にぶつかって、ニャムサンの歩みはようやく止まった。
「いまのツェンポの墓は、ここを崩して造る予定。まだ若いからずっと先のこと」
中腹に、ふたつの洞窟が口を開いている。ニャムサンは左側の洞窟を指差した。
「あそこに、マシャンがいる」
ひとが昇り降りしている証拠に、斜面は踏み固められた階段になっている。ニャムサンのあとについて階段を上がると、洞窟の前は露台のようにたいらに張り出していた。ニャムサンはそこで洞窟を背にして腰をおろし、呂日将にも座るように促した。
「洞窟のなか、見るはダメだ」
小声で言うと、ニャムサンは少し声を高めて吐蕃の言葉で虚空に呼びかけるように話始める。
背後にひとの気配がした。呂日将は振り向きたくなるのを必死に抑えて、ひとつだけ離れた先ツェンポの墓の向こうに見える町並みを見つめ続けた。
ニャムサンも、彼方を見つめながら呂日将にはわからない言葉でひとり語り続けた。おそらく、呂日将の来訪からルコンとゲルシクの争いのこと、ツェンポの命令のことを説明しているのだろう。
ニャムサンが話を終えて一息ついたとき、ふいに背後から鋭い声が聞こえて、ビクリとしてしまう。横のニャムサンをうかがうと、彼も動揺した表情を見せていた。気配が大きく動く。ニャムサンは立ちあがると、歓声をあげた。思わず、呂日将も立ちあがって振り向く。
見知らぬ者がいることに驚いたのか、目を丸めてこちらを見つめるニャムサンと瓜ふたつの顔が目の前にあった。
『生きている死者』という言葉から、呂日将は隠者のような飾り気のない質素な身なりの者を想像していた。が、マシャンは、黒衣ではあるが上等の絹織物の袍をまとい、俗世の尚論と変わらぬ姿をしている。いぶかしげに眉をひそめて呂日将の顔をうかがうマシャンの横に立つと、ニャムサンが言った。
「伯父のマシャン。前の摂政だ」
マシャンの眼光は、僕固懐恩の厳しい眼差しを思い出させた。
「そなたが唐の使者か」
マシャンが唐語で言う。呂日将は拝礼して言った。
「唐ではございません。唐に反旗を翻した僕固将軍からの使者としてまいりました」
「礼はいらぬ。ニャムサンから聞いておろう。いまのわたしはこの世の者ではないのだ」
低く、落ち着いた声が頭の上に落ちてくる。顔をあげると、視線はやわらいだものの、苦虫を噛みつぶしたような表情が目に入った。大きな瞳と高い鼻はニャムサンにそっくりだ。しかし唇は少し薄い。そのせいか、愛嬌のあるニャムサンとは全く印象が違う。作り物のように整いすぎたマシャンの顔は、うっかり触れると禍災をもたらしそうな、不吉な感を覚えさせた。
「伯父は自ら説得に行くと言っている。日将どのも同道いただけるか」
マシャンはわずかに口の端をあげ、視線だけをニャムサンに向けた。
「おまえは唐語なら行儀のよい物言いが出来るのだな。ずっと唐語で話すといい」
ニャムサンが、眉を下げた。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
ナナムの血
りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(チベット)
御家争いを恐れ、田舎の館に引きこもっていたナナム・ゲルツェン・ラナンは、ある日突然訪ねて来た異母兄ティ・スムジェによってナナム家の家長に祭り上げられる。
都に上り尚論(高官)となったラナンは、25歳になるまで屋敷の外に出たこともなかったため、まともに人と接することが出来なかった。
甥である王(ツェンポ)ティソン・デツェンや兄マシャンの親友ルコンに助けられ、次第に成長し、東方元帥、そして大相(筆頭尚論)となるまでのナナム・ゲルツェン・ラナン(シャン・ゲルツェン:尚結賛)の半生を書きました。
参考文献はWebに掲載しています。
長安陥落~ ཀེང་ཤྀ་ཕབ།
りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃の古代チベット王国(吐蕃)。
失脚した摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの側近として流罪になったゲンラム・タクラ・ルコン。半年で都に呼び戻された彼に王は精鋭騎馬隊の設立を命じる。王の狙いは隣国唐の京師長安の征服だった。一方、マシャンの傀儡だった大相(筆頭大臣)バー・ナシェル・ズツェンはルコンの復帰を心の底では疎んじていて……。
『摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚』から続くお話です。
(これだけでもわかるようにはなっています)
鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜
八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。
摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚
りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(現チベット)。古い神々を信じる伝統派と仏教を信じる改革派が相争う宮殿で、改革派に与する国王ティデ・ツクツェンが暗殺された。首謀者は伝統派の首領、宰相バル・ドンツァプ。偶然事件を目撃してしまったナナム・ニャムサンは幼馴染で従兄弟の太子ナツォクを逃がそうとするが、ドンツァプと並ぶ伝統派の実力者である伯父ナナム・マシャンに捕らえられ、ナツォクを奪われる。王宮に幽閉されたナツォクを助けるためニャムサンは、亡き父の親友ゲンラム・タクラ・ルコン、南方元帥グー・ティサン、東方元帥チム・ゲルシクと協力し、ナツォクの救出に奔走する。
民間伝承のような勧善懲悪ストーリではなく出来るだけ史実に沿うよう努力しています。参考文献は自分のWebサイトで公開中です。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
毛利隆元 ~総領の甚六~
秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。
父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。
史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる