遺恨

りゅ・りくらむ

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生ける死者 その4

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 ニャムサンは、そのグンソン・グンツェン王の墓の脇もそのまま通り過ぎる。
 墓地は手入れが行き届いていて、雑草も見当たらなかった。『生きている死者』たちの仕事なのだろう。しかしあたりにまったくひとけは感じられない。彼らはどこで息をひそめて俗世から来た生者が立ち去るのを待っているのだろうか。ニャムサンは今度は墓と墓の間から見える、だいぶ離れた北側にある墓を指差した。
「あれが、いまのツェンポの父、ティデ・ツクツェン王の墓。いつもはあちらに供物を供える」
 さらにグンツェン王の息子のマンソン・マンツェン王のものという墓を通り抜ける。その次の王墓は、山の裾野を崩して均した上に築いたらしく一段高い位置にある。傍らに、他のものより目に見えて小さな墳墓があった。ニャムサンはそれを指して、これはマンツェン王の王妃の墓、大きいほうはマンツェン王の息子のティ・ドゥーソン王の墓だと説明しながら二基の墳墓の間を抜けた。確かに道はあるものの、傾斜は急になってゆき、ほとんど登山の様相を呈している。息を切らせながら呂日将は質問した。
「このお墓は、ツェンポの生前に造っておくものなのですか?」
「そう。で、ツェンポが亡くなってから三年後に崩御を公表して大葬を行う。ここで、新しいツェンポが即位し、亡くなったツェンポを埋葬するのだ」
「いまのツェンポもそうして即位されたのですね」
「いや、先のツェンポは暗殺された。それをわたしがティサンに知らせ、ティサンとゲルシクが軍を動かして太子を助けたので、三年間秘密に出来なかった。だから、一年後に大葬をした」
「ニャムサンどのはそれを目撃されたのですか」
「たまたま現場にいたんだ」
「まだ子どもだったでしょう。怖くなかったのですか」
「十七歳。だけど、ナツォク、太子は十三歳。暗殺を主導したやつらに幽閉されて、もっと怖い思いをしていた。だから助けようと必死だった。友達だから」
 ドゥーソン王の墓の背後の山肌にぶつかって、ニャムサンの歩みはようやく止まった。
「いまのツェンポの墓は、ここを崩して造る予定。まだ若いからずっと先のこと」
 中腹に、ふたつの洞窟が口を開いている。ニャムサンは左側の洞窟を指差した。
「あそこに、マシャンがいる」
 ひとが昇り降りしている証拠に、斜面は踏み固められた階段になっている。ニャムサンのあとについて階段を上がると、洞窟の前は露台のようにたいらに張り出していた。ニャムサンはそこで洞窟を背にして腰をおろし、呂日将にも座るように促した。
「洞窟のなか、見るはダメだ」
 小声で言うと、ニャムサンは少し声を高めて吐蕃の言葉で虚空に呼びかけるように話始める。
 背後にひとの気配がした。呂日将は振り向きたくなるのを必死に抑えて、ひとつだけ離れた先ツェンポの墓の向こうに見える町並みを見つめ続けた。
 ニャムサンも、彼方を見つめながら呂日将にはわからない言葉でひとり語り続けた。おそらく、呂日将の来訪からルコンとゲルシクの争いのこと、ツェンポの命令のことを説明しているのだろう。
 ニャムサンが話を終えて一息ついたとき、ふいに背後から鋭い声が聞こえて、ビクリとしてしまう。横のニャムサンをうかがうと、彼も動揺した表情を見せていた。気配が大きく動く。ニャムサンは立ちあがると、歓声をあげた。思わず、呂日将も立ちあがって振り向く。
 見知らぬ者がいることに驚いたのか、目を丸めてこちらを見つめるニャムサンと瓜ふたつの顔が目の前にあった。

『生きている死者』という言葉から、呂日将は隠者のような飾り気のない質素な身なりの者を想像していた。が、マシャンは、黒衣ではあるが上等の絹織物の袍をまとい、俗世の尚論と変わらぬ姿をしている。いぶかしげに眉をひそめて呂日将の顔をうかがうマシャンの横に立つと、ニャムサンが言った。
「伯父のマシャン。前の摂政だ」
 マシャンの眼光は、僕固懐恩の厳しい眼差しを思い出させた。
「そなたが唐の使者か」
 マシャンが唐語で言う。呂日将は拝礼して言った。
「唐ではございません。唐に反旗を翻した僕固将軍からの使者としてまいりました」
「礼はいらぬ。ニャムサンから聞いておろう。いまのわたしはこの世の者ではないのだ」
 低く、落ち着いた声が頭の上に落ちてくる。顔をあげると、視線はやわらいだものの、苦虫を噛みつぶしたような表情が目に入った。大きな瞳と高い鼻はニャムサンにそっくりだ。しかし唇は少し薄い。そのせいか、愛嬌のあるニャムサンとは全く印象が違う。作り物のように整いすぎたマシャンの顔は、うっかり触れると禍災をもたらしそうな、不吉な感を覚えさせた。
「伯父は自ら説得に行くと言っている。日将どのも同道いただけるか」
 マシャンはわずかに口の端をあげ、視線だけをニャムサンに向けた。
「おまえは唐語なら行儀のよい物言いが出来るのだな。ずっと唐語で話すといい」
 ニャムサンが、眉を下げた。
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