遺恨

りゅ・りくらむ

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ルコンの本心 その1

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 よほどあっけにとられた顔をしたのだろう。マシャンは笑んだまま、言った。
「どうされた」
「貴公の笑った顔を初めて見た」
「ゲルシクどのとは閣議や会盟の席でしか顔を合わせたことがないではないか。そんなところで笑っているのはおかしいであろう」
「普通の人間はそんなところでも表情を変えるぞ。愛想笑いするとか、ムッとした顔をするとか、満足した顔をするとか。貴公は自分の意見が通ったときも、そうでないときも、称賛されているときも、批判されているときも、同じ顔をしているのだ」
「仕方がない。それがわたしの顔だ」
 困惑の顔に変わる。ゲルシクはまるで別人と相対している気がして来た。
 ものごとの表面しか見えていない、とルコンは言っていたが、ならば、このいけ好かない男にどんな裏側があるというのだ。
 ゲルシクは剣を鞘に納めて足元に横たえた。
「話とやらを聞いてやろうではないか。まあ座られよ」
 言いながら先に腰をおろすと、マシャンは真正面に座ってゲルシクを見つめた。

「父親同士の仲がよかったから、わたしと腹違いの弟ゲルチュ・ツェテンは、物心つく前からルコンどのと遊び友達だった。ツェテンはわたしと違って明るくて、人好きのする性格だったが、大きな欠点があった。気が弱く、ひとの顔色を窺ってばかりいて、自分の意見をはっきり言えないのだ。それがいけなかった」
「噂は聞いている」
 ゲルシクはマシャンの顔をじっと見た。
「貴公がニャムサンどのの父上を、家督争いの末に殺したとな」
「まこと、ゲルシクどのは歯に衣を着せぬ方だな。面と向かって言われたのは初めてだ」
「貴公が言わせなかったのだろう」
「そんな気はないのだがな。わたしの前では誰も言いたいことを言ってくれない。ルコンどのですら」
「で、殺したのか、殺していないのか」
「そのときはわたしも知らなかったが、ツェテンは自害したのだ。ツェテンを家長にしようと画策した親族に逆らえぬ自分の気の弱さに悩んだ挙句、小刀で胸を突いて死んだ」
 マシャンは両手でこめかみを抑え、眉をひそめた。
「しかしツェテンの死の責任から逃れるためか、彼を神輿に乗せた親族たちは、ツェテンは熱病で死んだと偽っていた。だからわたしは、ツェテンはわたしを裏切ったまま、わたしを呪いながら死んだのだと思っていた。おそらく、そのときから、わたしは狂っていたのだ」
 マシャンはツェテンの家族と家来を辺境に追放した。ニャムサンもその母とともに追い出すつもりだったが、マシャンに子のないことを憂いた家来たちの反対にあって手元に残すことになった。
「当時、唐に遊学していたルコンどのは帰国されてツェテンの死を知っても、わたしを責めることなくこれまでどおり友人付き合いをしてくれた。だからいまの陛下が太子に立てられたとき、わたしはルコンどのを都に呼んで腹心とした。その他の人間は、特にナナムの人間は誰ひとり信じることが出来なかった。わたしがニャムサンを冷遇したのは、幼いニャムサンでさえ恐ろしかったからだ。いつかわたしを裏切り、わたしからすべてを奪うようになるに違いないと思っていた。ルコンどのはわたしのそのような疑心をなだめ、さまざまに手を尽くしてわたしと世間の橋渡しをしてくれた。ルコンどのがいなかったら、わたしは一族をすべて殺していただろう。それだけではない。もしかしたら先の大相ではなく、わたしが先王陛下を殺すことになったかもしれない。貴公も、世間も、ルコンどのがわたしの暴政を助けたと思っているだろう。確かにルコンどのはわたしのためにさまざまな策を授けてくれた。しかしそれはわたしの横暴を助けるためではない。むしろ、それを止める最大限の努力をされていた。それでも、わたしの狂気は年を重ねるほどに悪くなっていった。やがて、わたしの周りに常に亡霊が付きまとうようになった」
「亡霊?」
「大相が……弑逆の罪で処刑された大相が、いつもわたしの足元にまとわりついて『次はおまえだ』とわたしを嘲笑うようになった。わたしの命で捕らえられ拷問の挙句に死んだ数知れぬ者たちが、物陰から恨みのこもった目でにらんでいた。そして鏡も玻璃も玉石も、わたしの顔ではなく、ツェテンの顔を映してわたしを責めた。とうとうわたしは、ルコンどのもわたしがツェテンを殺したという噂を信じてわたしを恨み、仇を討つ機会を狙っているのではないかと疑い始めた。そんなときだ、わたしが辺境に追放したツェテンの従者が持っていたツェテンの遺書が見つかったのは。そこにはわたしへの恨みどころか、わたしへの謝罪と感謝の言葉が遺されていた。ツェテンが、わたしと家を守るために自らいのちを絶ったのだと知った瞬間に、わたしの前に現れていたツェテンの亡霊は自分の疑心が作り出した幻だったと悟った。大相も、その他のすべての亡霊も消えてしまった。同時に、わたしは自分の罪の重さにようやく気がついた」
「それで、姿を消したのか」
「そうだ。わたしが苦しめていた民の怒りは、陛下にも向かい始めていた。それをそらすため、ニャムサンにわたしを弾劾させ、陛下の命で死を賜ることを願ったのだが、ニャムサンはわたしに『生ける死者』となる道を示したのだ」
「ニャムサンどのに、伯父を死に追いやるようなことが出来るはずがない。それがわかっていて殊勝なことを申したのだろう」
 また腹が立って来た。マシャンはふっと笑みを漏らした。
「そうかもしれぬな。とにかく、すべてはわたしの妄執が引き起こしたことだ。貴殿を都から遠ざけたのも、真正直な気質の貴殿がわたしとぶつかり、害を受けることのないようにというルコンどのの思いやりだ。自分が憎まれても、貴殿を守ろうとしたルコンどのの気持ちを汲んでやってくれ。ゲルシクどのが憎むべき奸臣はわたしひとり。さあ、斬るがよい」
 それを聞いて、ゲルシクはふたたび剣の柄を握ると、立ちあがる。鞘を投げ捨て両手で振りかぶるのを、マシャンは微笑んだまま見あげていた。
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