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神降ろし
しおりを挟むあれからルコンは、家来以外の者と会うことを拒否しているという。トンツェン、ツェンワ、ラナンの三人は、ゲルシクの幕舎で夕食をともにするようになった。
気をつかっているのか、ルコンのことを話題にする者はない。トンツェンはいつものように酒や賭博や女の話ばかりして、それをツェンワがくさし、ラナンが静かに笑う。ゲルシクは無言でそれを眺めるだけだったが、そのあいだは憂さを忘れることが出来た。しかし三人が帰って静かになると、気分が重くなるのをどうすることも出来ない。
こちらから謝りに行こうか。
だが、拒絶されたら、今度こそふたりの間に修復不可能な溝が出来てしまいそうで、恐ろしい。
自分が悪いわけでもないのに、謝ることはないではないか。
反発する気持ちも湧いてくる。
自分で自分と相争いながら毎晩眠りにつく。
こうして、ルコンが閉じこもってから数日が経った夜。
シンと静まり返った幕舎のなかで、ゲルシクが身体を横たえながら悶々と眠れずにいると、従者が音もなく近づいてささやいた。
「シャン・ゲルニェンがお見えになりました」
思わず飛び起きる。
「なんでこんな夜中に」
「他の方々には知られたくないと仰せです」
ルコンにも知られたくないというのか。
不審に思いながら、ゲルシクはすぐにニャムサンを入れるよう言いつけた。
ほのかな灯りに照らされて陰影を深めたニャムサンの顔は、いつになく深刻な表情をしている。そうやって唇を引き結んでいるときのニャムサンはマシャンに瓜ふたつで、ゲルシクはあまり好きではなかった。ニャムサンに続いて、呂日将、ゴー、そして布を巻いて顔を覆った神降ろしの装束の者が入ってきた。
「どうされた。日将どのはともかく、なぜゴーと神降ろしがおるのだ」
「ゴーはラナンから護衛に借りたんだよ」
「ふむ、儂とルコンどのを仲直りさせろとラナンどのに頼まれたのだな」
「ラナンじゃないよ。心配したナツォクがオレに命令したんだ。それで、オレはルコンのほうを説得するつもりだったんだけど」
「では、なぜこちらにいらした」
いつもはニャムサンに甘いゲルシクだが、詰問するような口調になった。
「ルコンを説得してもらおうと思っていたひとが、どうしてもルコンよりおっさんに会いたいって言うからさ」
「それが、その神降ろしか」
「そうだ」
ニャムサンに代わって、神降ろしが言った。横柄な声色にカチンと来て、声が荒くなる。
「無礼であろう。顔を見せよ」
神降ろしが顔を覆っている布に手をかけると、ニャムサンが声をあげた。
「ちょい待った。まだオレのこころの準備が出来てない。やっぱり止めない?」
「なぜ、おまえのこころの準備が必要なのだ」
神降ろしの冷笑するような口調に覚えがあるような気がする。ゲルシクのこころが騒いだ。
「儂がはいでやる」
一歩踏み出すと同時に、黒い影がその前をさえぎる。ゴーだ、と気づいたときには、短刀が喉もとに突き付けられていた。
「止めよ!」
神降ろしの発した鋭い声で、疑惑が確信に変わって身のうちが震えた。
「貴様、マシャンだな」
呂日将がゴーを抱きかかえるようにして下がらせると、自ら覆いをとったマシャンの、人形のような顔があった。
「どういうことだ、ニャムサンどの。なぜ、この男が生きている」
ニャムサンを見ると、困惑した表情を浮かべて沈黙している。
「まさか、ルコンどのもティサンどのも、皆で示し合わせて世間を騙していたのか」
答えたのはマシャンだった。
「ルコンどのとティサンどのはなにもご存知なかった。全部ニャムサンがわたしのために仕組んだことだ。しかし、肉親の情にかられてわたしを助けたからといって、ニャムサンを責めないでくれ。いまのわたしはこの世にないも同然の『生ける死者』なのだ」
「ああ、ニャムサンどのは悪くないに決まっている。悪賢い貴様のことだ。ニャムサンどののこころの優しさに付け込んで、いのち乞いしたのだろう。それまでさんざん冷遇し、ニャムサンどのを苦しめて来たくせに」
寝床の脇に横たえていた剣を手にすると、一気に鞘を払う。
「ニャムサンどのが手を汚すことはない。儂がこの場で斬り捨ててやる」
「待ってよ! 伯父さんは死ぬつもりだったんだ。それを止めたのはオレのほうなんだ」
悲痛な声をあげてゲルシクに縋りつくニャムサンに、ゲルシクのこころはゆるみかける。
ニャムサンの父はマシャンと家督を争っているさなかに亡くなった。マシャンが殺したという噂もある。マシャンは父を失ったニャムサンを引き取ったものの育成は乳母任せで、貴族の子息としての教育も受けさせなかった。権門勢家にありながら孤児のように育ったニャムサンに、ゲルシクは深く同情していた。彼を悲しませたくはない。だが、悟り澄ましたようなマシャンの顔が目に入ると、また怒りがこみあげて来た。
それもこれも、この男の冷血のせいではないか。マシャンの口だけが動く。
「もとより、斬られる覚悟で参った」
「おう、いい覚悟だ。お望み通り斬ってやる。そこになおられよ」
「そう急がれるな。わたしの話を聞いからにしていただけぬか」
「ふん。そうやって儂も丸め込むつもりだろう。そうはいかぬ」
「違う。ルコンどのが貴殿に誤解されたままでは、死んでも死に切れぬのだ」
「誤解だと?」
「ゲルシクどのとふたりだけになりたい。みな、出て行ってくれ」
「なりません!」
呂日将に羽交い絞めにされているゴーが暴れる。
「ラナンの臣であるそなたに命令する権利はわたしにはない。だから、これはそなたの古い友の頼みだ。聞いてくれぬか」
マシャンがゴーに向かって頭を下げると、ゴーは目を見開いておとなしくなった。マシャンが呂日将に唐語で話しかける。呂日将は小さくうなずくと、抵抗をやめたゴーを引きずって天幕を出て行った。
「ニャムサンも天幕の外で待っていてくれ」
マシャンが促すと、落ち着きを取り戻していたニャムサンは素直に出て行く。
「ゴーと呂日将どのには、演習場の外で待つよう告げた。これで躊躇なく斬ることが出来るだろう」
ゲルシクは信じられないものを見た。マシャンが、莞爾と微笑んだのだ。
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