遺恨

りゅ・りくらむ

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実戦演習

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 それから五日ほど経った朝早く、ルコンのもとからリンチェがやって来た。
 閣議以来、ふたりは直接言葉を交わすことは無くなっていた。どうしても連絡を取る必要があるときは、お互いの家来を通している。ルコンからの伝言を持ってくるのは、大概この十四歳の少年リンチェだ。
「本日はシャン・トンツェンとシャン・ツェンワのおふたりに大将になっていただき、模擬戦闘を行いたいと思いますが、いかがでしょう」
 異議はない。ふたりとも自分で兵を動かしてみたくてウズウズしているだろう。黙ってうなずくと、リンチェはさらに言った。
「シャン・ゲルシクのご意見もうかがいたいので、ぜひ、ともに見分してほしいと殿が申しております」
 気が進まなかったが、怖気づいたと思われたら業腹だ。ゲルシクは、調練が一望出来る丘の上で待つルコンのもとに、足を運んだ。
 ルコンはいつもと変わらぬ表情でゲルシクに礼をした。それがまた腹立たしい。ゲルシクはぞんざいに礼を返すと、ドスンと地べたに腰をおろす。ルコンはその脇に静かに胡座した。
 眼下では兵が陣を敷き始めていた。トンツェンが率いる兵は小高い丘の上に、その麓の平地にはツェンワが進んで行く。兵たちの持つ木製の槍でたたき落された者は素早くその場から去らねばならない。敵の大将を包囲して降参させるか、先に半数以上の敵兵を落したほうが勝ちと決まっていた。
 やがて布陣を終えた両者は、丘の上と下で睨みあった。軍の発する気は率いる大将の性格を反映する。丘の上のトンツェンの兵たちはいかにも攻撃的な気に満ち、対するツェンワの兵たちは静まり返った森のように腰を据えて落ち着いて見えた。
 意外なことに、先に動き出したのはツェンワの軍だ。ふたつに分かれると、トンツェン軍の両脇から突こうとするように坂を登り始めた。ゲルシクから見て右側の隊に大将旗が見える。左側は副官が率いているのだろう。トンツェンも素早く軍を二手に分けると、トンツェンは右側に、副官は左側に、坂の上から駆け下りて撃破しようとする。
 左側の隊は、トンツェンの率いている右側に比べると、やや鋭さが足りない。
 ぶつかる直前、ツェンワの軍はどちらもさらに二手に分かれ、トンツェン隊の鋭い突撃をやり過ごした。
 おや。
 とゲルシクは思った。左右のまとまりがまったく違うトンツェンの軍に比べて、ツェンワの軍は、右側も左側もひとりの指揮官の指示で動いているように、見事に同じ動きを見せたのだ。勢いよく下るトンツェンの軍の背後を、今度はツェンワのふたつの隊が突いた。トンツェン率いる右の隊は丘を下りきると素早く向きを変えて迎え撃ち、押し合いながら逆にツェンワの隊を包囲しようと試みている。しかしもう一方の副官が率いる左の隊はそのまま崩れて次々とたたき落されていった。その速度のほうが早い。崩れたほうがすべて落馬すると、ルコンの隣に立っていたリンチェが旗を振った。停止を命じる鉦の音が鳴り響く。
「ツェンワどのの副官はラナンどのだ」
 ふいに、久しぶりに聞くルコンの声が耳に飛び込んできた。
「去年の夏に馬の訓練をしてやったのだが、たった一日でリンチェに負けぬほど乗りこなして見せた。今日は用兵も見てみたいと思ってツェンワどのの副官を命じたのだが、あのとおりだ」
「天賦の才があるとおっしゃるのか」
「いま、ご覧になられたであろう。十年の経験があるツェンワどのと劣らぬ動きを見せた」
 三騎がゲルシクとルコンの前まで駆け登って来ると、馬を降りて直立した。右端のトンツェンはくやしさを抑えきれない赤い顔をしている。真ん中のツェンワは愛想のよい笑みを浮かべ、左のラナンは怯えたような顔で下を向いた。ルコンを窺うと、目を合わせることなく軽く会釈を返される。ゲルシクは鼻を鳴らしてトンツェンに声をかけた。
「負けはしたが決して悪くはなかったぞ。自分の率いていたほうの隊は被害を最小限に抑え、持ちこたえられた。副官のほうが崩れなければ、勝機を得ることもできただろう」
「はい」
 トンツェンは唇を噛み締めたまま、一礼した。
「ツェンワとラナンどのは、あらかじめトンツェンの出方によってどう動くか話し合っていたのか」
 ツェンワが答える。
「はい。ただ、時間がなかったので簡単な動きと、兵に命令するときの合図を口頭で確認し合っただけです。ラナンがあのように兵を動かすことが出来たとは驚きました」
 ラナンはややうつむいたまま、顔を赤らめた。
「ラナンどのは、実戦演習ははじめてなのだな」
「はい」
 ますます頭を沈める。
「そのようにうつむかれると、叱っている気分になる。勝ったのだ。堂々と胸を張られよ」
「はい。申し訳ございません」
 ラナンが慌てた表情で顔を上げると、ゲルシクは微笑んだ。
「兵を分ける、合わせる、追撃に転じる、その頃合いまでは話し合いではわかるまい。どうやって判断された」
「なんとなく……です。正直、自分でもどうしたのか覚えていません。ただ、なんと言うか、隊がすべて自分の身体のように感じられたというか……自然と思ったように動いてくれたような気がします」
「さようか。そのような感覚がわかればたいしたものだ。経験を積めば、自覚をもって兵を指揮することも出来るようになるに違いない。今後も演習に積極的に参加されよ」
「はい。ありがとうございます」
 ラナンはようやく緊張が解けたのか、表情をやわらげた。
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