遺恨

りゅ・りくらむ

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僕固懐恩の依頼

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――広徳二(七六四)年 二月

 拱手する呂日将に、乱の首謀者僕固懐恩は鋭い視線を向けた。
「二千騎で二十万の吐蕃に挑んだという噂は聞いている。その貴公が、なにゆえここに来た」
「駱奉先が送ってきた刺客の首を斬りました」
 鳳翔で、長安から引き揚げる吐蕃(チベット)の総大将レン・タクラに破れた呂日将は、任地の鳳州に帰っても朝廷からの沙汰なく、荒れた日々を送っていた。そこに王徳浩という宦官が帝の命と言って呂日将を捕縛しようとしたのを逆に捕らえて尋問したところ、駱奉先から遣わされた刺客であることが判明したのだ。駱奉先はこの頃権勢を増やしていると噂の宦官だ。彼に睨まれたら出世どころか命の保証もない。現にこの僕固懐恩も彼らの讒言によって謀反を起こすまでに追い詰められた。呂日将は刎ねた王徳浩の首を駱奉先に送り返すと、自分に忠誠を誓っている部下たちとともにここまで逃げてきたのだ。
「なるほど、貴公の名声が目障りになったのだろう。アヤツらしいやり口だ」
「はい。密かに始末することに失敗したとなれば、次は将軍同様、朝敵に仕立て上げられるでしょう。なれば将軍とともに戦わせていただきたいと思ったのです。将軍のご忠勤には以前から尊敬の念を抱いておりました。安史の乱を鎮圧するため、将軍は四十人以上のご一族を犠牲にされたとうかがっております」
 僕固懐恩は、呂日将のこころを見透かそうとするかのように目を細めた。
「四十六人だ。わたしは自分の息子たちのいのちまで捧げて、唐のために戦った。娘をウイグルの王子に嫁がせ、唐とウイグルとの和平にも尽力した。だが乱が収まった途端、それがウイグルと通じて反逆を企んでいる証と問責されたのだ」
「それは、まこと帝のおこころにございましょうか」
「主上はおひとが変わられた。昔は臣下の言いなりになられるお方ではなかった。それがいまでは、すっかり宦官に骨抜きにされていらっしゃる」
「なれば、宦官を除くことで、唐のまことの復興がなるのではありませんか。先ほどご自身のことを朝敵と仰せにございましたが、まことの朝敵は宦官どもではありませんか」
 僕固懐恩の視線がやわらぎ、遠くを見るような目をした。が、それは一瞬のことで、すぐに力強い光が呂日将を見据える。
「貴公が、確かに味方であるという証はあるか」
 そんなものはない。駱奉先が偽勅使を使った暗殺の失敗を表沙汰にするとは思えなかった。呂日将は力を込めて、僕固懐恩の目をまっすぐに見返した。
「わたしの言葉をお信じくださいと申すしかございません」
「それでは足らぬ。だが、わたしの頼みを聞いてくれたら、信じよう」
「なんなりと仰せください」
「昨年の吐蕃の戦いぶりは、これまでにない平地でのいくさにも関わらず巧みなものだった」
「総大将のレン・タクラという男は若いころ唐に潜り込み、兵法を学んだそうです」
「隴右に残っている吐蕃の兵とは連絡しているが、彼らだけでは関中でのいくさはこころもとない。昨年と同じ、平地で戦える吐蕃軍の力が欲しい」
「わたしになにをせよと」
「そのレン・タクラとやらを引っ張り出してこい。わたしが京師をとることが出来たら、その代償に隴右をくれてやると言えば吐蕃王ツェンポも乗ってくるだろう」
 僕固懐恩は、はじめて笑顔を見せた。
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