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極栄華
その4
しおりを挟む「大事な話があるのでしょう。ニャムサンには構わずお話しなさい」
王はラナンに一瞥もくれず、ゲルシクに笑みを見せた。
「は、その、レン・タクラのことなのですが」
言いかけて、チラリとラナンに縋るような目線を送る。始まる前からの救援要請に、ラナンは首を振ってしまった。王はゲルシクに視線を据えたまま、声色を鋭くした。
「レン・タクラが、どうしました?」
ゲルシクは慌てたようすで続ける。
「いささか、お厳し過ぎるのではございませんか。大敗し砦を奪われた将でも、少なくとも陛下の御代で、このような罰を与えられた例はございません。まして、レン・タクラは敗れたわけではないのです」
「レン・タクラは自ら総大将を志願しておきながら、大きな成果を得られぬまま帰って来たのです。罪が重いのは当然でしょう」
「しかし、それを邪推する者もござります」
「邪推とはなにです」
「レン・タクラが仏の教えに帰依していないから、陛下はレン・タクラを冷遇するのだ、という噂があるのです」
笑んだ王の目の奥に苛立ちの影がよぎるのを、ラナンは見て取った。
「確かに、仏への帰依はわたしへの忠誠と、わたしは考えています」
「陛下、レン・タクラの忠誠心は決して崇仏派の尚論に劣るものではございません」
王はもう笑んでいなかった。
「ご心配なさらずとも、そろそろレン・タクラの謹慎を解こうと思っていたことろです。しかし、職はそのままというわけにはいきません」
思わず、ラナンは声をあげていた。
「陛下、わたしもレン・タクラと同罪にございます。レン・タクラを降格されるとおっしゃるなら、わたしにも罰をお与えください」
ゲルシクを見つめたまま、王の眉がピクリとあがった。
「なるほど、それもそうですね。では、今日の閣議で申し渡します」
あっけにとられた顔をしたゲルシクに、王はふたたびほほ笑んだ。
「さあ、ご用はおすみですね。おさがりください」
ゲルシクが口を開きかけたとき、ニャムサンが寝転がったまま口を挟んだ。
「ちょっと待った。ラナンは残れよ」
「ふたりとも、おさがりなさい」
王が堅い口調で言うと、スクッと立ち上がったニャムサンはラナンに歩み寄って肩に手を置いた。
「オレが用があるの。おっさんはさっさと出てって」
ニャムサンが手を振って追い払うしぐさをすると、心細い顔をしながら、ゲルシクは部屋を出て行った。
扉が閉まると、ニャムサンはラナンにピタリと寄り添ったまま王に言う。
「おい、こっち向けよ」
王はそっぽを向いたまま唇を尖らせた。
「用があるのはニャムサンだろう。勝手にふたりで話せばいい」
「ふん。じゃあ、オレはもうここに来ないからな。そんでもいいんだな」
「なんで」
ようやく、王は顔を向ける。が、ラナンには目を向けない。
「約束しただろ。ラナンを冷遇したら、もう二度と会わないって」
「それは昔の話じゃないか」
「取り消した覚えはないぜ」
「『理由もなく』という条件がついていた」
「じゃあ、どうゆう理由があってラナンのことを無視すんだ。オレが納得出来る理由を言え」
ラナンは肩に置かれていたニャムサンの手をそっと外すと、ニャムサンに向き合った。
「陛下を責めるのはおやめください。陛下にお断りすることなく唐の宰相と会見したわたしが悪いのです」
「納得出来ないな。それが許せないって言うのなら、ネチネチ嫌がらせしてないで、法に照らしてルコンの小父さんともども死罪にするべきだろ」
ニャムサンは王に笑いかけると、王は赤い顔をしてまた横を向いた。
「そんなこと、出来るわけないじゃないか」
「ほらね。拗ねてるだけなんだ」
ニャムサンはニヤついた顔のまま今度は王の後ろに回って両肩を掴み、無理矢理ラナンに向き合わせた。
「ラナンと小父さんが、自分を仲間外れにしたから妬いてんだろ。わかる、わかる。オレだってラナンから聞いたときには、そりゃないぜって思ったよ。だけど小父さんもラナンも、おまえのことを考えてやったことだっていうのも、おまえはわかってるよな。だったらそんな意地悪しなくてもいいじゃないか。おまえの大好きな漢籍にも書いてあるだろ。臣下の気持ちを思いやれない君主はいつか痛い目に合うって。たとえば、こんなふうに」
ニャムサンは王のきれいに編み上げた髪を両手でクシャクシャにした。王が慌てる。
「やめてよ。これから閣議なんだから」
「ちょっとぐらい待たせたって大丈夫だよ。オレたちの叔父さんに直してもらいな」
ニャムサンはゲラゲラ笑いながら王をラナンの方に押し出す。そのまま床に寝転がっていびきをかき始めたニャムサンの脇で、王は憮然としたまま、素直にラナンの手に髪をゆだねた。
もう重臣たちはそろっていることだろう。
急がねば。
なれぬ髪結いに必死に取り組んでいるうちに、ラナンはこころの憂さを忘れていた。
「すまなかった」
最後の仕上げにかかろうというとき、王がぼそりとつぶやいた。
「大人げない態度を取って、ラナンに辛い思いをさせてしまった」
「陛下、わたしが陛下のおこころに傷をつけたのです。お許しいただかねばならぬのはわたしの方にございます」
王が振り向く。ラナンの手の中にあった一束の髪がするりと逃げた。
「ラナンがわたしのことを信頼してくれていないような気がして腹を立ててしまった。せめて事前に言ってくれたら、わたしはラナンのやることに反対などしなかった」
「もう二度と、陛下のお許しなく勝手なことはいたしません。お誓い申し上げます」
王がようやく笑顔を見せた。ラナンも笑みを返しながら、おずおずと言う。
「あの、前を向いていただかなくては終わりません」
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「レン・タクラのことだけど、その扱いに、わたしは少し迷っている」
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「そのことはわかっている。さっきシャン・ゲルシクの言ったことだよ」
「仏への帰依のことですか?」
「そう。わたしはこれまでのレン・タクラの功績に感謝しているし、まだまだ力を必要としているが、いまのまま重用すれば伝統派を利することになってしまう。でも、彼が改宗してくれれば、伝統派にとっては大きな打撃になるだろう」
「説得してみましょう」
王がうなずいたとき、なんとか髪を整え終わった。
ニャムサンのいびきは途切れることなく続いていた。
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