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極栄華
その1
しおりを挟むラナンとツェンワが都に戻ったのは、冬が終わりを告げるころだった。
トンツェンの容態を報告するため王宮に上がったふたりは、王の居室に通される。そこには王とゲルシクがいた。
ラナンの報告を、王は沈痛な顔で聞いていた。ゲルシクはこぶしを握り締めて鬼の形相となっている。
すべて語り終えると、王はそれ以上なにも聞かず、みなに下がるよう言い渡した。
ルコンとティサンのようすが気になるが、冷静さを失っているゲルシクは質問するには適当な相手ではないようだ。ふたりは、身の内にフツフツと沸き立つ怒りを噛みしめているようすのゲルシクに別れを告げると、訳経所に足を向けた。
挨拶より先に、ニャムサンが口を出す。
「トンツェンはどうだった」
「話をすることは出来ました。術師によれば、負傷直後の処置が悪かったらしく傷口から毒が入り、そこから腐敗が進んでいるため、手の施しようがないそうです」
ニャムサンはため息をついた。
「そうか。でもいくさで死ねたら本望だろ。オレには理解できないけど」
ツェンワがうなずいた。ニャムサンはまた深く息を吐く。
「ナツォクのことだけど、ラナンの嘘が相当こたえたようだ。オレが水を向けても頑固におまえの話をしようとしない。もう二度とこんなことはしないと誓って、許してくれるまで自分で謝り倒すしかないな」
「ルコンどのは大丈夫でしょうか」
「まだ謹慎は解けてないけど大丈夫だよ。ティサンどのも小父さんもいなくなったら、一番困るのはナツォクだ。あいつはそんなこともわからないバカじゃない」
「ティサンどののご病気は、そんなにお悪いのですか」
ツェンワが問うと、またニャムサンはため息をついた。
「ちょくちょく見舞いに行ってるけど、咳がどんどんひどくなってて、起き上がることも出来ない日が増えてる。もう職を辞して静養したほうがいいよ」
ラナンの胸に、不安が広がる。順当にいけば次の大相はゲルシクだ。唐との和平が遠のいてしまうかもしれない。
ニャムサンは四度目のため息をついた。
「そういえば、報告があった。預かってた唐の将軍の甥のこと。よくもあんなバカを押し付けてくれたな。ガキのころのオレだって、もう少しマシだったぜ」
「え、そんなにヒドいんですか」
ツェンワが声をあげると、ニャムサンはツェンワをにらんだ。
「どういう意味だよ。おまえ、あいつのことを信じられないバカって言っただろうが。オレはそれ以上のバカってことか」
「女の取り合いで町人に殴られて、ルコンどのに叱られたのはどこの誰でしたっけ?」
「そんなことがあったんですか?」
「下町の酒場で暴れていたこのひとを、偶々通りかかったわたしがルコンどのの屋敷に連れて帰ったことがあるんです。尚論になる前は、そんなことをしょっちゅうしてたんでしょ?」
「いつまでもガキのころの話を持ちだすんじゃねぇよ。オレは、あいつみたいに弱い者いじめをしたり、血筋を鼻にかけて威張ったことは一度もないぞ。相手が誰であろうと、ケンカは対等にする主義だからな」
ニャムサンが胸を張る。ラナンは呆れながら先を促した。
「茹瑞宝が血筋を鼻にかけたのですか? この国ではなんの意味もないのに」
「寺に着いたその日に、サンシの親父より自分の親父の方がエライって、サンシのことをバカにしたんだ。そりゃサンシの親父は県令だかなんだか、唐ではしがない地方官僚だったみたいだけど、あいつ自身はオレと同等の高位の尚論だぜ。でも、やつはサンシのことを侮って、ちっとも言うことを聞きゃしない。オレだったらぶん殴って罪人並みの労役を科すな。まあサンシはオレと違って優しいから、見栄えがよくてラクな仕事をヤツに与えてやった。それにも文句ばかり言ってちっとも働かないから、さすがのサンシも相手にしなくなった。そしたら今度は誰彼かまわずケンカを売り歩いた。おまえから預かった大事な人質だからとみな我慢していたら、どんどん調子に乗り始めた。挙句の果てに視察に来た導師に悪口を浴びせたそうだ」
「あの恐ろしい導師さまに逆らうなんて、わたしでも出来ませんよ」
ツェンワが眉を下げる。
「唐語がわからないと思ってなめてたんじゃないかな。でも、案外悪口って言葉が通じなくてもわかるもんなんだよね。それでなくても導師は勘がいいから」
「で、どうなったんです」
「こいつには悪魔がついているから折伏が必要だって、連れていってしまった。いまごろ導師の弟子たちに顎で使われてんじゃないか」
「なるほど。信じられないほどバカなのは、悪魔がついてるからだったのですね」
ツェンワがしみじみとした口調で言う。
寺の工事現場なら、工人の脱走や伝統派の妨害に備えて警備を厳重にしているから安心だと思って任せたのだが。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。しかし、導師さまのもとから逃げ出したりしないでしょうか」
「導師の修行場は人里離れた荒野だぜ。右も左もわからないヤツが逃げ出しても野垂れ死ぬのがオチだ。そもそもあいつにそんな根性があれば寺にいるうちに脱走を試みてるよ。とにかく問題ないな。いちおう寺で働かせるってことで預かってたから悪いかなと思ったんだけど。役に立たないどころか邪魔でしようがないってサンシがぼやいてたから、ちょうどいいや」
導師パドマサンバヴァは寺の工事に対する伝統派の妨害を阻止するためにシャーンタラクシタが呼んだ僧だ。蓮華から生まれウッディヤーナ国の王子として育てられたが、金剛薩埵の導きで出家し大成就者となった、という触れ込みだった。彼のまじないと予言の力を信じて、伝統派から転向する者も多い。もしかしたら、茹瑞宝も彼の力によって真人間に変わってくれるかもしれない。
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