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背信
その12
しおりを挟むルコンも遠目では自分とよく似た容姿の家来を身代わりに立て、腕の立つ若者ひとりだけをともなっていた。
日が落ちてあたりが薄暗くなると、兵卒に身をやつし裸馬に乗った四人は、本国への使者と称して西に向かって出発した。涇水の支流に出会うと、粗末な単衣に着替え、川を渡らずに流れにそって南下する。ここからは戦災から逃げて来た者を装って李懐光の陣を迂回し、寧州との境付近にあるという渾日進の陣へ向かうつもりだった。
空は雲ひとつなく晴れ、道しるべとなる星が隠れていないのは幸いだ。暗闇から響いてくる細い水音を右手に聞きながら、ひとけのない谷間の道を一行は無言で進んだ。十里ほど川沿いを走って東へ方向を変える。
台地を横切り、もう少しで寧州との境というところで、正面の空が白み始めた。
「李懐光の部下に見つからなければいいがな」
ルコンがつぶやいたとたん、冷たい空気の中に鋭い声が響いた。
「止まれ」
朝霧のなかから五騎の兵が現れた。ゆっくりと近づいて来る彼らの顔を見れば、まだ二十そこそこの若い男たちだ。先頭を進む頭目は、派手な細工の施された明光鎧を身につけ、それなりに身分ある者と見える。
一行は馬を降り、頭を下げて彼らを迎えた。
「イヤなことをおっしゃるから」
ラナンは地面を見つめながらこころのうちでぼやいた。頭目がルコンの正面で止まると、他の者はグルリと四人を取り囲む。馬上から見下ろしたまま頭目が高い声で詰問した。
「なに者だ」
ルコンはなまりのない唐語で応じた。
「わたくしどもは、吐蕃から逃げてまいりました塩州の住人にございます」
ラナンを指さす。
「こちらはわたくしの息子、後ろのふたりは家僕です」
「どこに行くつもりだ」
「邠州に親戚がおりますので、そこに身を寄せようと思っております」
「こんな時間に」
「家も田畑も焼かれ、男たちは殺され、女子供たちは捕らえられました。わたくしどもは森に潜んでなんとかやりすごし、夜の闇に紛れて必死にここまで逃げてまいったのでございます」
「怪しいなぁ」
背後に陣取っていた男が笑いを含んだ声で言う。
「吐蕃の間者じゃありませんか?」
見破られたか。ラナンは全身が汗ばむ気がした。男たちはつぎつぎと口を開く。
「こんな貧相なじじいが間者のわけがないだろう」
「一目で間者だとわかったら意味がないではないか。こんなヨボヨボのじいさんやショボくれたオヤジのほうが怪しいんだ」
ルコンが狼狽したように言う。
「間者など、とんでもございません」
「間者が、はい左様でございます、と素直に言うものか」
「痛めつけれてやれば吐くかもしれないぞ」
若者たちはニヤニヤしながら弄るように言う。やがて頭目がルコンに目配せするようなそぶりを見せた。
「まあ、誠意を見せてくれれば信じてやらんこともないがな」
一気に肩の力が抜けた。彼らは言いがかりをつけて賄賂を要求しているのだ。
改めて見ると、立派な甲冑の中身はチンピラのような者ばかりで、それほど腕が立つようには見えない。自分とゴーのふたりでも余裕で倒すことができるだろう。
銭で満足して去ればよし。だが、それ以上にしつこく絡み続けるときには……。
そっと目配せすると、ゴーはわずかにあごを引いた。
「どうか、これでお許しを」
ルコンが懐から銭の入った革袋を出して頭目に差し出すと、彼はひったくるように奪ってジャラジャラと銭を手のひらに受けた。
「は? これだけかよ。シケてんな」
「着の身着のままで逃れてきたのです。ご容赦ください」
「そっちのおっさんも」
銭を袋に戻しながら、頭目はラナンを顎で指す。
「持ってるだろ。いのちが惜しければとっとと出せ。あと、馬も。全部もらっていくぞ」
もはや自分たちのゆすりたかり行為を隠そうともしなくなった。金に困っているようには見えないのに、貧しい者からわずかなものを掠めようとはどうゆう了見か。あきれながら懐に手を入れる。銭を出すふりをして忍ばせていた短剣の柄を握り、ゴーに合図しようとしたとき、背後から凛とした声が響いた。
「なにをしている」
みな、一斉に声のほうに顔を向けた。ラナンと同じ年回りと見える一騎の将が駆け寄って来る。
「不審な者どもがおったので取り調べていたところだ」
頭目が甲高い声でかみつくように言い返すと、その脇に馬を寄せた相手はからかうような口調で言った。
「本当に兵か? 山賊どもが盗んだ甲冑でイキがっているようにしか見えんぞ」
「なに?」
五人は色めきたった。
「無礼な。われらは李懐光将軍旗下の者だ。貴様こそなんだ」
「オレは渾日進将軍配下の楊志環だ。避難民から金品を巻きあげる不届き者が横行していると聞いて、暇つぶしに退治してやろうと巡回していたのだが、まさか李将軍の部下の仕業だったとはな」
楊志環は余裕綽綽といった顔で五人をグルリと見まわすと、佩いている太刀の柄をたたいた。
「どうだ、オレと一戦交えてみないか? せっかく援軍に来てやったのに、いくさがないからクサクサしてるんだ。退屈しのぎに相手してくれよ」
身のこなしから、楊志環はかなりの手練れと見える。この五人が束でかかったところでとてもかなわないだろう。
彼我の技量の差を自覚する程度の頭はあったようだ。五人は白んだ表情でお互いに顔を見合わせた。頭目が舌打ちをする。
「バカバカしい。イカレ野郎に付き合ってられるか。行くぞ」
その瞬間、楊志環の右手から煌めくものが飛び出して、頭目に襲いかかった。頭目の身体がビクンと跳ねる。朝日に輝く太刀が、その喉元に突き付けられていた。
「オレを誰だと思ってるんだ。オレは……」
頭目が裏返った声をあげると、楊志環は切っ先を彼の眼の高さにあげる。頭目は言葉を飲み込んだ。楊志環がこれまでとは打って変わった、低く鋭い声色を発した。
「それ以上は聞かないでおいてやる。貴様も武人なら恥を知れ。盗ったものを返してから行くんだ」
頭目は目のなかまで真っ赤にしながら楊志環をにらみつけ、ルコンから奪った銭の袋を、ルコンの胸元へ投げた。楊志環が太刀を下ろして顎をしゃくると、五人はもと来た道を駆け去って行った。
抜き身を手にしたまま男たちを見送る楊志環に、声をかける者はいない。五人の姿が見えなくなると、ようやく楊志環は太刀を納めた。
「お助けいただき、ありがとうございます」
オズオズとルコンが頭を下げると、楊志環はスッと馬を降りて拱手した。
「失礼いたしました。馬重英将軍、尚結賛将軍。渾将軍の命でお待していたのですが、あやつらの姿が見えたのですぐに声をかけることが出来ませんでした。ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません」
思わず、ラナンは自分のなまりを忘れて声をあげていた。
「どうしてわたしたちがわかったのです?」
楊志環は明るい笑みを浮かべた。
「戦場で、馬将軍のお顔を拝見いたしております。盩厔で呂将軍が貴軍と対戦したとき、わたしは呂将軍の副将にございました」
「では、あなたが厳祖江どのと通信している方なのですな」
ルコンの言葉に、楊志環はうなずいた。
「渾将軍のもとにご案内いたします」
一行は再び馬上のひととなった。
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