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背信
その5
しおりを挟む出会った当初、ゲルシクがラナンのことを嫌った最大の理由は、なにを考えているかわからない自分の態度にあったと、いまではわかっている。うつむいて誰とも目を合わせず、言葉も発しないラナンは、腹に一物ある人物と警戒されていたのだ。
ルコンの言うとおり顔をあげ、明瞭に返事をするよう努力するうちに、ゲルシクの態度は和らいでいった。トンツェンとツェンワに連れられてたびたび調練に参加するようになると、軍事から逃げ回るニャムサンに飽き足ららない思いを抱いていた反動からか、熱心に指導してラナンが一人前の将軍になるのを助けてくれた。その後、ルコンが作り上げた騎馬隊の指揮官を任されてからの将軍としての実績が、家柄だけで高い地位についた者と軽んじていた多くの尚論たちにラナンの存在を認めさせることとなったのだ。ゲルシクはラナンの成長に力を貸してくれた恩人のひとりといえる。対立したくはなかった。だが、ルコンの言った通り、ゲルシクのやり方を続けていてはいずれ唐に大敗を喫し、いままで苦労して手に入れてきた土地を一気に失いかねない。
いくさ以外に領土を守る方法があるのだろうか。
貴族の館は王宮のふもとに立ち並んでいるから、ルコンの屋敷もごく近所にある。若い頃は助言を求めて頻繁に訪問していたが、この頃は互いに忙しく、足が遠のいていた。
不意に訪れたラナンを、ルコンはにこやかに客間で迎えた。
「ウリンともしばらく会ってないが元気にしているか。もう宮廷に上がることも考えねばならぬ歳だな」
「ええ。これからはわたし同様、ウリンにもいろいろご教示ください」
「こんな年寄りの錆びた知識が役に立つものか。尚論に必要な教養はラナンどのが充分に心得ておられるだろう。唐語や漢籍の知識も、いまではニャムサンのほうが上だしな。あれはよく顔を見せるのですか」
「はい。たびたび文句を言いに来ます」
「ほう、あの世捨て人が天下の宰相に注文を付けるのか。あれでもラナンどのや子どもたちのことが気がかりなのかもしれない。自分のせいでラナンどのがご苦労されているという引け目も感じてるのだろう。素直にそう言えばいいのに、いつまでも天邪鬼で困ったものだ。しかし、ひねくれている分だけ、まっとうな尚論には見えないものが見えている。無碍にせず、貴重な意見のひとつとお聞きなされ。さて、今日はどのようなご用件でいらした」
「戦い方を変えるというお話しをもっと詳しくお聞かせいただきたいのです。わたしもこのところ、このままではいけないのではないかと頭から離れずにおりました」
ルコンは真剣な表情でラナンの顔を見つめた。
「ラナンどの。わたしにおいのちを預けるご覚悟はござるか」
「いのちを?」
「一か八かの、いのちを賭けた大博打を打とうと思っているのだ。陛下の叔父であるラナンどののご協力がいただければ、勝率がかなり上がるのだが」
「かまいません。それが国のためになるのでしたら」
躊躇なくラナンが答えると、ルコンは目を細めた。
東方元帥の辞任願いを受けて緊急に開かれた閣議は紛糾した。
次の東方元帥にトンツェンを推すチム家と、タクナンを推す第一王妃の実家であるツェポン家が対立したからだ。
当のトンツェンとタクナンは、隙あらば襲いかかろうとする虎のように無言でにらみ合っている。
ふたつのシャンの家の激突に、その他の尚論たちはチラチラとラナンとラムシャクの顔色をうかがった。残るふたつのシャンの家、ナナム家とド家の動きが形勢を決するだろう。だが、弟の進退によって引き起こされた騒動に、ラムシャクは沈黙を守っている。ラナンも無言を貫いた。
両者の言い争いがひと段落したところで、結論の保留を進言したのはルコンだった。ゲルシクが詰め寄る。
「今年中の大規模な出兵を陛下はお望みだ。早く決まらねば困る」
「いや。シャン・ツェンワには東方元帥として最後にひと仕事していただきましょう。ただし、総大将はシャン・ツェンワではありません」
これまでの論争には口出しをしなかったティサンが小首をかしげた。
「では、どなたが指揮を執ると?」
ルコンは莞爾と笑んだ。
「わたしです。シャン・ゲルツェンのご出陣もお許しいただきたい」
議場が、一瞬で静かになった。皆、目を見開いてルコンとラナンを見比べている。無理もなかった。ルコンはゲルシクとともに軍務を退き、十三年の間内政だけに携わってきた。ラナンも十年近く戦場に身を置いていない。
誰が最初に口を開くか。ラナンはゆっくりと尚論たちを見渡して観察した。
静寂を破ったのは、タクナンの低い笑い声だった。
「それはいい。レン・タクラの采配を再び見ることが出来るわけだ」
タクナンは冷たい笑みを浮かべながら、鋭い視線をトンツェンから背けることはなかった。
「オレはレン・タクラの意見に賛同する。シャン・トンツェンはどうだ」
トンツェンは同じくタクナンをにらみつけながら言った。
「オレも異議はない」
両将軍が同意したことで、他の尚論たちもバラバラと賛同の声をあげ始める。心細げな顔をしたティサンが、王に伺いを立てると、王は静かにラナンに視線を向けた。
「シャン・ゲルツェンは承知しているのか」
「はい」
ラナンが深々と頭を下げると、王は少しの間をおいて、ティサンに言った。
「ならば、よい」
ティサンは礼をすると、決定を宣言した。
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