25 / 60
背信
その2
しおりを挟む王に呼ばれたのは、この国の政治を動かしている四人の尚論。大相のティサン、副相のゲルシク、内大相と整事大相を兼務するゲンラム・タクラ・ルコン、シャン筆頭尚論のラナン。それに加えて東方元帥のド・ツェンワと南方元帥のチム・トンツェンも顔を見せた。
いちばんの年長者はルコンで六十、次のゲルシクがひとつ年下の五十九歳だった。ティサンは四十八歳、トンツェンとツェンワは四十四歳。ラナンは四十一で、ここに集まった尚論たちのなかでは最年少だ。王はそのさらに五つ年下の三十六歳。
みな、年をとった。
改めて顔を見回して、ラナンは実感した。
見た目が大きく変わったのはゲルシクで、十三年前に東方元帥の地位をツェンワに譲って戦場から遠ざかると、どんどん肉がつき腹も顔も丸くなってしまった。ならば性格も丸くなってくれればいいのに、年をおうごとに頑固さと気難しさが増している。もし、積極的な外征をを見直そうなどと提案したら、烈火のごとく怒り出すのは目に見えていた。
ニャムサンにとってゲルシクは舅のようなものだ。宮中の下働きをしていたプティは、ゲルシクの後見でニャムサンのもとに輿入れした。ラナンよりもずっと付き合いは長く深い。
あの性格をよくわかってるくせに、簡単に言ってくれる。
ラナンはこころのなかでニャムサンに文句を言った。
王の相談とは、霊州を手に入れるために今年中に大規模な東征を行いたい、というものだった。
ゲルシクは大きくうなずいて言った。
「御意にございます。そうなれば、いずれは慶州や邠州、いや、京畿道まで手を伸ばすことも夢ではござりませんぞ」
ラナンは発言の機会をうかがって、尚論たちの顔を見まわした。
ゲルシクの大風呂敷に、ティサンはまんざらでもないような顔をしている。トンツェンはいくささえ出来れば満足というようす。ルコンが何を考えているかわからない無表情を保っているのはいつものことだ。
意外なことに、いくさ好きのツェンワが、悩ましい顔つきをしていた。
「ツェンワどの、なにか懸念がございますかな」
ルコンもツェンワのようすがいつもと違うことに気づいたのだろう。意見を求めた。ツェンワは毎年のように霊州や邠州に侵攻している。このなかでは最も唐中央の近況を認識しているはずだ。
「はい。このところ、唐はますます守りが堅固になっております。現に、この十年は苦戦を強いられて来ました。出兵には慎重になられるべきかと思います」
「だから大軍で一気に攻めようというのだ」
ゲルシクが眉を上下させる。噴火の前兆だ。トンツェンがとりなすように言う。
「ツェンワは、油断してはいけないと言っているだけです」
ゲルシクはそれを無視してツェンワに詰め寄った。
「国土の拡大は先王陛下よりの悲願だ。そのためにいのちを惜しまず戦うのがそなたたち辺境に遣わされた元帥の使命であろう。それを慎重になどと、さては臆病風に吹かれたのか」
ツェンワは唇を噛み締めて下を向いた。トンツェンが叫ぶ。
「あんまりです。ツェンワはずっと郭子儀や馬璘といった唐の将軍たちといのちがけで戦って、ゲルシクどのとルコンどのの確保された土地を守って来たじゃないですか」
「功績ある者だからこそ、そのような発言は許せぬ。軍を束ねる者が弱気になれば、部下たちにも弱気が伝染る。いずれはこの国自体の弱体化につながるのだぞ」
「わたしには能力がないのです」
うつむいたまま、絞り出すようにツェンワが言った。
「なに?」
ゲルシクは目を剥いた。
「わたしには元帥の地位は荷が重すぎます。何万もの兵のいのちを預かる自信がありません。陛下……」
ツェンワは身を投げ出すと、王の前に平伏した。
「どうか職を辞することをお許しくださりませ」
黙ってやり取りを聞いていた王は静かに言った。
「シャン・ツェンワのこれまでの働きに、わたしは満足しています。なればこそ、あなたの意思を重く受け止めましょう。内大相とよく話し合って決めてください」
王がルコンにうなずくと、ルコンは深く頭を垂れた。
出兵に関しては東方元帥の件に決着がついてからということで、その日の話し合いはお開きとなった。
ツェンワのようすが気がかりだったが、安易に励ましたり慰めたりしてはかえって辛い思いをさせてしまうのではないか。ルコンならうまく収めてくれるだろう。
そう思い切って、自分の執務室に帰って仕事に手をつけ始めたところで、トンツェンがやって来た。
「おい、行くぞ」
「え? どこへです?」
「なにのんきなこと言ってるんだ。ルコンどののところに決まってるだろ。ツェンワめ、勝手なことしやがって」
「でも、ルコンどのにお任せしたほうがよいでしょう」
「オレたちに相談なしなんてありえねぇだろ。はやく行くぞ」
トンツェンはラナンの腕をつかんでグイグイ引っ張る。
仕方なくルコンの部屋へ向かった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚
りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(現チベット)。古い神々を信じる伝統派と仏教を信じる改革派が相争う宮殿で、改革派に与する国王ティデ・ツクツェンが暗殺された。首謀者は伝統派の首領、宰相バル・ドンツァプ。偶然事件を目撃してしまったナナム・ニャムサンは幼馴染で従兄弟の太子ナツォクを逃がそうとするが、ドンツァプと並ぶ伝統派の実力者である伯父ナナム・マシャンに捕らえられ、ナツォクを奪われる。王宮に幽閉されたナツォクを助けるためニャムサンは、亡き父の親友ゲンラム・タクラ・ルコン、南方元帥グー・ティサン、東方元帥チム・ゲルシクと協力し、ナツォクの救出に奔走する。
民間伝承のような勧善懲悪ストーリではなく出来るだけ史実に沿うよう努力しています。参考文献は自分のWebサイトで公開中です。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
北宮純 ~祖国無き戦士~
水城洋臣
歴史・時代
三国時代を統一によって終わらせた晋(西晋)は、八王の乱と呼ばれる内紛で内部から腐り、異民族である匈奴によって滅ぼされた。
そんな匈奴が漢王朝の正統後継を名乗って建国した漢(匈奴漢)もまた、僅か十年で崩壊の時を迎える。
そんな時代に、ただ戦場を駆けて死ぬ事を望みながらも、二つの王朝の滅亡を見届けた数奇な運命の将がいた。
その名は北宮純。
漢民族消滅の危機とまで言われた五胡十六国時代の始まりを告げる戦いを、そんな彼の視点から描く。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
夢のまた夢~豊臣秀吉回顧録~
恩地玖
歴史・時代
位人臣を極めた豊臣秀吉も病には勝てず、只々豊臣家の行く末を案じるばかりだった。
一体、これまで成してきたことは何だったのか。
医師、施薬院との対話を通じて、己の人生を振り返る豊臣秀吉がそこにいた。
夕映え~武田勝頼の妻~
橘 ゆず
歴史・時代
天正十年(1582年)。
甲斐の国、天目山。
織田・徳川連合軍による甲州征伐によって新府を追われた武田勝頼は、起死回生をはかってわずかな家臣とともに岩殿城を目指していた。
そのかたわらには、五年前に相模の北条家から嫁いできた継室、十九歳の佐奈姫の姿があった。
武田勝頼公と、18歳年下の正室、北条夫人の最期の数日を描いたお話です。
コバルトの短編小説大賞「もう一歩」の作品です。
長安陥落~ ཀེང་ཤྀ་ཕབ།
りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃の古代チベット王国(吐蕃)。
失脚した摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの側近として流罪になったゲンラム・タクラ・ルコン。半年で都に呼び戻された彼に王は精鋭騎馬隊の設立を命じる。王の狙いは隣国唐の京師長安の征服だった。一方、マシャンの傀儡だった大相(筆頭大臣)バー・ナシェル・ズツェンはルコンの復帰を心の底では疎んじていて……。
『摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚』から続くお話です。
(これだけでもわかるようにはなっています)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
国殤(こくしょう)
松井暁彦
歴史・時代
目前まで迫る秦の天下統一。
秦王政は最大の難敵である強国楚の侵攻を開始する。
楚征伐の指揮を任されたのは若き勇猛な将軍李信。
疾風の如く楚の城郭を次々に降していく李信だったが、彼の前に楚最強の将軍項燕が立ちはだかる。
項燕の出現によって狂い始める秦王政の計画。項燕に対抗するために、秦王政は隠棲した王翦の元へと向かう。
今、項燕と王翦の国の存亡をかけた戦いが幕を開ける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる