ナナムの血

りゅ・りくらむ

文字の大きさ
上 下
19 / 60
出胎

その15

しおりを挟む

 ルコンとゲルシクは仲違いしたまま、東方の駐屯地に戻った。
 心配した王に事態の調停を命じられたラナンは、トンツェンとツェンワとともにふたりのあとを追うように駐屯地にやって来た。
 しかし、三人のとりなしもむなしく、ゲルシクのルコンに対する怒りはいっこうに収まらなかった。ルコンはルコンで、まるでなにもなかったかのような平静な顔をしながら、自分からゲルシクに話しかけようとはしない。
 到着してから五日目の朝、トンツェンとツェンワを大将として騎馬隊での模擬戦闘を行うよう、ルコンから指示があった。ラナンはツェンワの副将を命じられた。
 丸一日それぞれに調練を行い、翌日、日の出とともに出発した。トンツェンは小高い丘の上に一千の兵を配する。ツェンワとラナンも同数の兵で、丘のふもとに陣取って、トンツェンの軍と対面した。
 昨夜はよく眠れなかった。これまで兵士たちに号令をかけて動かす訓練はしたが、実戦演習ははじめてだ。ツェンワとは簡単に相手の動きによる対応を確認し合ってはいる。その通りに兵士たちを動かすことが出来るのだろうか、と不安がつのった。
 背後の丘を振り返ると、その頂上でルコンとゲルシクが並んで座り、観戦している。遠目にも、その間には冷えた空気があるように見えた。
 頭を振る。いまは、そんなことを考えているときではない。

 両軍の布陣が完了すると、ルコンの隣でリンチェが旗を振る。ほら貝が吹き鳴らされ、演習が開始された。
 丘の上のトンツェン軍に動きはなかった。こちらの出方をうかがっているようだ。昨夜ツェンワと打ち合わせたとおり、ラナンはそれを見て半数の兵を率いて左に動く。
 耳元で風が唸りをあげると、雑念は霧散した。
 ツェンワも、同時に半数を右に駆けさせるのが見えた。ラナンはトンツェン軍の右翼の脇へ回りこむと、兵を縦列にまとめて丘を登りはじめた。
 矢じりのような陣形で上から敵が駆け下りてくる。しかしその形は乱れ、鋭さがない。指揮をしているのはトンツェンではなく、副将のルンタだ。トンツェンは反対側から登って来るツェンワの隊に向かったのだろう。
 ラナンが号令をかけると、兵は素早く二手にわかれ、ルンタの攻撃をかわした。
 すれ違いざま、あてが外れて狼狽えるルンタの顔が見えた。
 バラバラと駆け降りる相手をやり過ごすと、その背後でラナンは分かれていた兵をひとつにまとめ、ルンタの軍よりも鋭い矢じりの形に変化させる。
 ルンタは必死に兵をまとめている。反転しようとしたその瞬間、ラナンの先鋒は、その真ん中に突っ込んで行った。
 まとまりかけていたルンタの隊が激しく乱れる。
 その真んなかを、一直線に駆け抜けたラナンは、また隊をふたつに分ける。
 半円を描くようにして反転し、両側からルンタの隊に突っこみ、さらに乱す。
 ラナンの隊は乱れることなく、二匹の蛇が螺旋を描くようにうねりながら何度もルンタの隊の中を駆け抜けて、削ぎ取るように、穂のついていない調練用の木の槍で兵をつぎつぎとたたき落していった。
 ケサンがルンタを馬から落としたとき、停止を命じる鉦が響いた。

 トンツェンは顔を赤らめて唇を噛みしめていた。ツェンワはいつものように半笑い。ラナンはどういう顔をしていいかわからなかった。
 三人は丘の上で直立して、ルコンとゲルシクの講評を待った。
 ゲルシクがルコンの顔をうかがう素振りを見せると、ルコンは無表情でうなずいた。眉をひそめたゲルシクは、鼻を鳴らして口を開く。
「敗れたが、トンツェンも悪くはなかったぞ。自分の率いていたほうの隊は被害を最小限に抑え、持ちこたえられた」
 ラナンと同じく、ツェンワは突っ込んでくるトンツェンをかわして逆落としにトンツェンを襲ったが、トンツェンは素早く反転して兵をまとめて押し合いになり、引き分けた。
「ルンタが崩れなければ、トンツェンにも勝機はあっただろう」
「はい」
 トンツェンが横目でにらんだので、ラナンは顔を伏せてしまった。
「ツェンワとラナンどのは、あらかじめトンツェンの出方によってどう動くか話し合っていたのか」
 ツェンワが答えた。
「はい。ただ、簡単な動きを口頭で確認し合っただけです。ラナンがあのように兵を動かすことが出来たとは驚きました」
「ラナンどのは、このような実戦演習に参加されるのははじめてだったな」
「はい」
 ラナンはますます顔を沈めてしまう。ゲルシクが声を張る。
「勝ったのだ。堂々と胸を張られよ」
「はい。申し訳ございません」
 ラナンは慌てて顔をあげる。ゲルシクは笑んでいた。
「兵を分ける、合わせる、追撃に転じる、その頃合いまでは話し合いではわかるまい。どうやって判断された」
「なんとなく……です。正直、自分でもどうしたのか覚えていません。ただ、なんと言うか、隊がすべて自分の身体のように感じられたというか……自然と思ったように動いてくれたような気がします」
「さようか。そのような感覚がわかればたいしたものだ。経験を積めば、自覚をもって兵を指揮することも出来るようになるに違いない。今後も演習に積極的に参加されよ」
「はい。ありがとうございます」
 ようやく、ラナンは笑みを浮かべることが出来た。

 それからまた、平地に戻って、いつもの訓練が開始された。ラナンは丘を振り返る。ルコンとゲルシクはまだ並んでこちらを監督しているようだ。
 仲直りしたのだろうか。
 しかし、先ほどのふたりの雰囲気は、とうてい友好的とは見えなかった。
「おい」
 左肩をつかまれて振り返ると、トンツェンの顔が目と鼻の先にある。トンツェンは上目遣いにラナンをにらんだ。
「いい気になるなよ」
「申し訳ございません」
 思わずあやまると、トンツェンは舌打ちをした。
「勝っといて謝るんじゃねぇよ。ムカつくな。次はオレさまが直々に相手してやる。覚えてろ」
 拳で軽くラナンの胸を小突くと、トンツェンは駆け去った。
 トンツェンを傷つけてしまったのだろうか。
 こころを乱していると、ツェンワが笑った。
「あれは好敵手が現れて喜んでるんですよ。むしろ手加減すると怒りますからね。次も本気でぶつかってやってください」
「手加減もなにも、わたしにはそんな余裕はありません」
「なら、それでいいんです」
 いいながら、ツェンワは丘を振り仰いだ。
「あれ、ルコンどのがいない」
 ラナンも目をあげる。丘の頂上には、大柄なゲルシクの姿がポツンとあるだけだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚

りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(現チベット)。古い神々を信じる伝統派と仏教を信じる改革派が相争う宮殿で、改革派に与する国王ティデ・ツクツェンが暗殺された。首謀者は伝統派の首領、宰相バル・ドンツァプ。偶然事件を目撃してしまったナナム・ニャムサンは幼馴染で従兄弟の太子ナツォクを逃がそうとするが、ドンツァプと並ぶ伝統派の実力者である伯父ナナム・マシャンに捕らえられ、ナツォクを奪われる。王宮に幽閉されたナツォクを助けるためニャムサンは、亡き父の親友ゲンラム・タクラ・ルコン、南方元帥グー・ティサン、東方元帥チム・ゲルシクと協力し、ナツォクの救出に奔走する。 民間伝承のような勧善懲悪ストーリではなく出来るだけ史実に沿うよう努力しています。参考文献は自分のWebサイトで公開中です。

北宮純 ~祖国無き戦士~

水城洋臣
歴史・時代
 三国時代を統一によって終わらせた晋(西晋)は、八王の乱と呼ばれる内紛で内部から腐り、異民族である匈奴によって滅ぼされた。  そんな匈奴が漢王朝の正統後継を名乗って建国した漢(匈奴漢)もまた、僅か十年で崩壊の時を迎える。  そんな時代に、ただ戦場を駆けて死ぬ事を望みながらも、二つの王朝の滅亡を見届けた数奇な運命の将がいた。  その名は北宮純。  漢民族消滅の危機とまで言われた五胡十六国時代の始まりを告げる戦いを、そんな彼の視点から描く。

国殤(こくしょう)

松井暁彦
歴史・時代
目前まで迫る秦の天下統一。 秦王政は最大の難敵である強国楚の侵攻を開始する。 楚征伐の指揮を任されたのは若き勇猛な将軍李信。 疾風の如く楚の城郭を次々に降していく李信だったが、彼の前に楚最強の将軍項燕が立ちはだかる。 項燕の出現によって狂い始める秦王政の計画。項燕に対抗するために、秦王政は隠棲した王翦の元へと向かう。 今、項燕と王翦の国の存亡をかけた戦いが幕を開ける。

伊藤とサトウ

海野 次朗
歴史・時代
 幕末に来日したイギリス人外交官アーネスト・サトウと、後に初代総理大臣となる伊藤博文こと伊藤俊輔の活動を描いた物語です。終盤には坂本龍馬も登場します。概ね史実をもとに描いておりますが、小説ですからもちろんフィクションも含まれます。モットーは「目指せ、司馬遼太郎」です(笑)。   基本参考文献は萩原延壽先生の『遠い崖』(朝日新聞社)です。  もちろんサトウが書いた『A Diplomat in Japan』を坂田精一氏が日本語訳した『一外交官の見た明治維新』(岩波書店)も参考にしてますが、こちらは戦前に翻訳された『維新日本外交秘録』も同時に参考にしてます。さらに『図説アーネスト・サトウ』(有隣堂、横浜開港資料館編)も参考にしています。  他にもいくつかの史料をもとにしておりますが、明記するのは難しいので必要に応じて明記するようにします。そのまま引用する場合はもちろん本文の中に出典を書いておきます。最終回の巻末にまとめて百冊ほど参考資料を載せておきました。 (※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

すべては紙のお導き~タラスの戦い異聞~

平井敦史
歴史・時代
長安に暮らす紙漉き職人の蔡七郎は、娘と恋仲になったことに激怒した親方に工房を追い出される。 行き場を失くして軍隊に入った七郎は、アッバース朝との戦に駆り出され、捕虜となる。 西方に製紙技術をもたらした、名もなき男たちの物語――。 ※本作は史実を題材にしたフィクションであり、主人公は作者の創作です。 ※小説家になろう公式企画「秋の歴史2024」(お題は「分水嶺」)からの転載です。「カクヨム」にも掲載しています。

江戸の節分

堀尾さよ
歴史・時代
今は昔なんて言葉がありますが、ちょいと400年くらい前の日本といったら、まぁそれはそれは妖怪やら神さまやらが跋扈している時代でしてねぇ、ええ、ええ。

遺恨

りゅ・りくらむ
歴史・時代
内大相ゲンラム・タクラ・ルコンと東方元帥チム・ゲルシク・シュテン。 戦友であるふたりの間には、ルコンの親友である摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの存在がいまだ影を落としていた。隣国唐で勃発した僕固懐恩の乱をめぐるルコンの対応に不信感を抱いたゲルシクの内で、その遺恨が蘇る。 『京師陥落~ ཀེང་ཤྀ་ཕབ།』で長安を陥落させた吐蕃最強バディのケンカは、ツェンポ・ティソン・デツェンとナナム・ゲルニェン・ニャムサン、そして敵将呂日将まで巻き込む騒動に発展して……。 と書くほどの大きなお話ではありません😅 軽く読んでいただければー。 ボェの国の行政機構などについて今回は文中で説明していませんので、他の作品を読んでいない方は本編前の説明をぜひご覧ください。 (わからなくても読めると思います。多分)

処理中です...