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出胎
その14
しおりを挟む長安占領の翌年、唐に対して反乱を起こした朔方節度使僕固懐恩が、この国に援軍を求めて来た。挙兵当初から原州などに残る兵力で支援はしているが、京師長安を手に入れるために、実績のあるルコンの出陣を求めているという。
対応を協議するため開かれた会議に、トンツェンとツェンワもやって来た。ラナンに気づいたふたりは、まるで旧知の間柄のような顔をして手を振る。なんだかくすぐったくて軽く頭を下げると、トンツェンが不満そうな顔をした。いつまでも他人行儀にしているなと言っているようだ。
会議は思いのほか荒れた。
ティサンが「このまま隴右の兵で支援しながら、折を見て僕固懐恩の要請通り、昨年と同じ軍の編制で攻め入るべし」と提案すると、ルコンは「援軍要請を無視して唐に恩を売り、昨年のいくさで占拠した隴右の支配権を唐に認めさせるべき」と主張した。
すると、ゲルシクが怒鳴った。
「なにも迷うことなどござらん。即刻、僕固懐恩に援軍を送るべきであろう」
「なぜ、迷う必要がないのです?」
渋面を作るルコンに、ゲルシクは胸を張った。
「ことの経緯を見れば、どちらに道理があるかおわかりであろう」
僕固懐恩は、唐の北方で力をつけていた迴紇に娘を嫁がせるなどして唐の味方に引き入れ、安史の反乱の鎮圧に尽力した将軍だった。乱では息子を含む親族も多く戦死している。それなのに、唐主の側近たちはそれに報いるどころか、僕固懐恩が迴紇と通じて反乱を企てていると言い立てて追い詰めたのだ。ゲルシクが同情するのももっともだった。
さらに、援軍を求める使者としてやってきたのが呂日将だったことが、ゲルシクのこころを動かした。寡兵で果敢に立ち向かった呂日将のことを、ゲルシクは敵ながら高く買っていた。しかし唐の政府はその功績を無視した。そのうえ反対勢力との結びつきを恐れた宦官駱奉先から刺客を送られて、僕固懐恩の元に逃れたのだ。
その経緯をルコンも知っているはずだが、口調はしごく冷淡だった。
「それはシャン・ゲルシクの私情にござろう。お話になりませんな」
「なんですと」
唸ったゲルシクの顔が、赤く染まる。
一発触発の不穏な空気に、尚論たちは沈黙した。思わずラナンは声をあげた。
「そうでしょうか? 出来るだけ多くの可能性を議論することは必要だと思います」
静まり返っていた議場が、ざわめき始めた。みなが目を丸めて自分を見ている。
はじめて、自発的に発言してしまった。
我に返ると緊張で身体が強張った。
ルコンはラナンに目を据えた。
「そのようなことを言っていてはキリがない。くだらぬ意見は排除せねば、いつまでたっても結論は出ませんぞ」
「くだらぬだと!」
ゲルシクが激昂する。ルコンの隣にいる大相ナンシェルが真っ青な顔をして後退った。当のルコンは冷笑を浮かべ動じない。ラナンは、退こうとする弱気な自分をこころのなかで叱咤し、ルコンから視線をそらさずに必死に食い下がった。
「しかし、シャン・ゲルシクのおっしゃることにも一理あります。昨年の痛手から立ち直る前に、もう一度唐をたたく。和睦をするにしてもそのあとのほうが、わが国に有利に交渉を進めることが出来るのではありませんか」
「しかし二年続けて大軍を送るのは、無理があろう」
「あくまでも、僕固懐恩への援軍です。迴紇も僕固懐恩に助太刀するでしょうし、昨年ほどの兵数でなくてもよいのではありませんか。そのようなことも含めて、検討する価値はあると思います」
「はいはいっ! オレたちもシャン・ゲルツェンと同意見です!」
賛同の声に目を向けると、トンツェンが両手をあげている。片手はツェンワの手首をつかんでいた。無理矢理手をあげさせられたツェンワが狼狽しているのが可笑しくて、ラナンは微笑んだ。身体のなかで、張りつめていた緊張が解けていった。
その後、三日間議論は続いたが、結局、ティサン、ルコン、ゲルシクの三人ともが自説を曲げず、もうしばらくようすを見ようという結論に収まった。
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