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第三章
黒幕 その3
しおりを挟む「ルコンどの! お助け下され。このならず者がわたしに無実の罪を着せようとしておるのじゃ」
ニャムサンに導かれて小さな天幕に足を踏み入れた瞬間、響いて来た金切り声に、ルコンはうんざりとした。
「誰がならず者だよ」
ニャムサンが、後ろ手で縛られているナンシェルに駆けよって、その勢いのまま背中を蹴飛ばすと、大相は一層耳障りな悲鳴を上げた。そのわきにはうなだれるトクジェと、恨めしそうな目つきでナンシェルをにらむ見知らぬ男が縛られている。ナナムの牢にとらわれた盗賊の頭目だろう。
「まったく、ここまで連れて来るのは大変だったんだぜ。ゲルシクのおっさんが、捕虜の扱いに慣れているニマとダワを寄越してくれて助かった。ありがとう」
「このように使うためではなかったのだが」
珍しくニャムサンに感謝の言葉をかけられたゲルシクはまんざらでもない顔をした。
ルコンは盗賊に聞く。
「おまえが大相に命じられて寺の工事を邪魔し、わたしを殺めようとしたというのは誠か」
頭目は大相をにらんだまま、怒鳴った。
「どうせ死罪になるんだ、嘘なんか言わねぇよ。本当はあんたと家来を皆殺しにするつもりだったんだけど、兵を連れていただろう。これは敵わねぇと思って矢を射たんだ。それもこれもこいつらのためにやったことだ。なのに、こいつらはオレを助けるどころか口封じするよう言いつけやがった」
ルコンはチャタに聞いた。
「このなかに、おまえの知っているニャムサンどのはいらっしゃるか」
チャタは迷わずトクジェを顎で示した。
「あのかたです。間違いありません」
「さて、大相。なにか弁明がございますかな」
「まっ、まったく存ぜぬことです。トクジェが勝手にやったのであろう」
トクジェはガバッと顔をあげて、にじり寄って来た。
「おふたりに害をなしてわたしにどんな得がございましょう。わたしは大相のご命令に従って行動しただけにございます。私ごときの卑小な身分の者が、大相のお言いつけに逆らうことなど出来ましょうや」
「な、なんということを。目ざわりならば殺してしまえなどと恐ろしいことを言い出したのはそなたではないか!」
「どっちが言い出したかなんて関係ないだろ。もういい加減、観念しろよ!」
またナンシェルの背を蹴るニャムサンに、ルコンは言った。
「これこれ、大相になんということをするのだ。もうよい。おふたりの縄を解いてやれ。盗人は牢に送り返して盗人としての罰を与えよ」
ニマとダワが縛られたままの盗賊とチャタを連れて外に出ると、八人の尚論は車座になって座った。
「大相。わたしがあなたになにかいたしましたか。むごい仕打ちをしていたのなら謝罪いたします。おっしゃってください」
ルコンが言うと、うなだれたままナンシェルはつぶやいた。
「なにも、なさっていません。ただ、わたしは恐ろしかったのです」
「恐ろしい?」
「ルコンどのがお戻りになったら、わたしはまた操り人形になってしまうに違いないと思ったのです」
「ティサンどののせいで、陛下がご自身の言葉に耳を傾けて下さらないとおっしゃっていましたな」
「確かにそうですが、ティサンどのはわたしを脅かすようなことはなさらない。でも……」
「ゲルシクどのは?」
「ゲルシクどのはいつでも恐ろしい顔でわたしをにらみつけてわたしの言葉を抑え込んでしまう」
「これが儂の顔なのだ。文句があるなら堂々と仰せになればいいではないか」
ゲルシクが憤然とした声をあげると、ナンシェルはビクンと震えた。
「それで、わたしとゲルシクどのさえいなくなれば、この世が思うようになるだろうと思われたのですな」
「だって、そうではありませんか」
こころのなかで何かが切れたように、急にナンシェルは立ち上がって大声をあげた。
「わたしはマシャンどのとルコンどのに擁立された操り人形だ、とみな申すではないか! あなたが、そして私を脅かすゲルシクどのがいなくなれば、私だって自在に動くことが出来るのだ」
「いまだって思うがままに振舞いたいならなさればいいではないか。その努力もせずにわれわれに責任転嫁しているだけだ。そのうえ短慮で事を起こして、露見したら今度は仲間に責任を押し付ける。ご自分がいかに情けないことをされているか、自省されよ」
糸が切れたように、ナンシェルはフラフラと腰を下ろして再びうなだれた。
「わたしをどうするおつもりだ」
ルコンがゲルシクを見ると、いまにも飛び掛かりそうな形相でナンシェルを睨んでいる。頭に血が昇っているゲルシクに冷静な判断を求めるのは無理だ。ルコンはニャムサンに言った。
「おまえも被害者のひとりだ。寺の工事の件はもとより、わたしとゲルシクどのを陥れた犯人にされるところだったのだからな。おまえはどうしたらいいと思う」
「オレは二度と工事の邪魔をしないと誓ってくれればそれでいいよ。あとは殺されそうになったふたりの気持ち次第だろ。でも、あえて言わせてもらえば、いま政変が起こるのは好ましくないぜ。去年マシャンが失踪したばかりだ。続けて大相が失脚すればどうしたって国内がゴタゴタする。バー氏はシャンに並ぶ有力氏族だからな」
バー氏は代々大相を輩出する名門で、現在も南方元帥のケサン・タクナンなど、多くの一族が重職についている。家長のナンシェルが断罪されれば反抗する人間も出てくるだろう。
不服気に眉をしかめるゲルシクの顔を横目に見ながら、ルコンは言った。
「ニャムサンの言う通り、あなたが失脚すれば、内乱が起こりかねぬ。わたしはしばらく軍事に専念し、内政には口を出すつもりはない。だから安心して、これまでと変わらず大相として職責を全うされよ」
ナンシェルの顔が安堵にゆがむのを見て、ルコンはゲルシクに言った。
「よろしいですか、ゲルシクどの」
ゲルシクは勢いよく立ち上がると、ナンシェルを睨みながら怒鳴った。
「ルコンどのがそうおっしゃるなら仕方がない。しかし、覚えておられよ。儂は貴様のせいで兵士たちが死んだことを、決して忘れん!」
くるりと背を向けて、ゲルシクは天幕を出て行く。と同時にバキバキと木の裂けるような音が響いて来た。
「おい、あのおっさんオレの飼い葉桶をぶっ壊したんじゃねぇか?」
ニャムサンが中腰になるのを、トンツェンが押しとどめる。
「まあまあ、こういうことには慣れてるオレたちに任せとけって」
トンツェンとツェンワがゲルシクの後を追って外に出ると、ルコンは青ざめているナンシェルとトクジェに言った。
「あなたがたは軽い気持ちで、チャタを買収したのかもしれない。ですが、その結果、誠であれば大相であるあなたが守らねばならぬ兵のいのちが無駄に失われたのです。そのことをお忘れ召されるな」
「そんなことになるとは、思いもしなかったのです」
細い声でつぶやいたナンシェルを、ルコンは立ち上がって見下ろした。
「大相の地位にありながら、そんなことにも思い至らなかった愚かさを、よくよく反省なされよ。今後再び、誰に対してであろうとこのような陰謀を企むことがあれば、問答無用でその首をもらい受けます。このこともお忘れあるな」
ナンシェルとトクジェはガタガタと震えながら、何度もルコンにうなずいた。
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