長安陥落~ ཀེང་ཤྀ་ཕབ།

りゅ・りくらむ

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第三章

黒幕 その2

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 都へ向かう街道を、一行はしずしずと進んでいた。すれ違うひとびとは、まさかこれが唐の京師を攻め落とした凱旋将軍たちの帰路とは思わなかっただろう。
 ルコンとゲルシクが沈痛な顔つきで黙り込んでいるので、みな遠慮して無駄口をたたく者はいなかった。いつもはいくらゲルシクが叱っても大声でしゃべり散らすトンツェンでさえ、声を忍ばせてラナンとツェンワに話しかける。
「なあ、さすがのゲルシクどのも、今回はニャムサンに怒り心頭だろう? 会ったらただじゃすまねぇよな。一、二発ぶん殴るぐらいなら、オレだってやってやりてぇけど、ぶった斬っちゃったらさすがにヤバイな。それだけは全力で止めるぞ」
 ラナンはニャムサンがふたりを殺そうと仕組んでいたなど、いまだに信じられなかった。ルコンとゲルシクのことを「口うるさい」と常にこぼしてはいたが、ラナンの目にはどこか嬉しそうに見えたからだ。
「本当に、ニャムサンがそのようなことをするでしょうか」
 遠慮がちにラナンが言うと、トンツェンは眉をひそめた。
「あいつは天女みたいな優しい顔をしていて、意外と策士だからな。ホント、性格悪いんだ。おまえも油断するなよ」
「やだなぁ。トンツェンは女にモテるニャムサンに嫉妬しているんですよ」
 ツェンワがトンツェンに突っ込む。
「本当のことじゃねぇか」
「でも、これまでニャムサンは陛下のためになることじゃなきゃ動かなかったでしょう。わたしもニャムサンがそこまで腹黒いとは思えませんけどねぇ」
「へっ。ツェンワもあのキレイなお顔にヤられた口か?」
 だんだん声が大きくなってきたトンツェンに気が気でないラナンは言った。
「ゲルシクどのに聞こえちゃいますよ」
 トンツェンもツェンワもギョッとした顔をして口を閉ざした。

 ニャムサンと出会ったのは、都まであと二日ほどの距離のヤンパツェンに到着した夕刻だった。
 都に向かって流れるラサ川のほとりで一行が一夜を明かす天幕の準備をしていると、ひょっこりと顔を見せたのだ。
「よお。やっと帰って来たな」
 呑気な口調で声をかけて来たニャムサンに、ラナンは狼狽した。他に気づいた者がいないか周りを見回すと、ものすごい形相でゲルシクがこちらをにらんでいるのが目に入って、頭のなかが真っ白になる。
 ゲルシクが大股に歩み寄って来た。
『全力で止めるぞ』というトンツェンの言葉を思い出して、ラナンはニャムサンの前に立ちふさがった。トンツェンとツェンワが、ゲルシクの背後から駆け寄って来るのが見えた。
「わざわざ出迎えに来てくれたのか。珍しく殊勝なことだな」
 背中からの声に、ラナンは「ヒャッ」と変な声を出してしまう。振り向くと、青い顔をしたルコンがニャムサンの背後に立っていた。
 ニャムサンはニヤニヤ笑いながらルコンに言った。
「たまにはいいこともしなくちゃな」
「ふん、何を企んでいる」
「人聞きが悪いなぁ。せっかく苦労してふたりがいま会いたいヤツを連れてきてやったのに。このまま川に捨てて帰っちゃうぞ」
 ルコンが眉をあげる。
「まさか、ここまでお連れしたのか」
「あれ、もうわかってるの? ちょっとは驚いてくれるかと思ったのに。まあ、都に入る前に解決しちゃった方がいいと思ってさ」
「やはりあの卑劣漢の仕業だったのか。どこにおるのだ!」
 ゲルシクが咆哮のような声をあげたので、ラナンは飛び上がった。が、ニャムサンは平気な顔をしている。
「まあまあ、その前にオレの話を聞いて頭を冷やしてよ。仮にも大相を問答無用で斬っちまったら面倒なことになる」
「大相?」
 ゲルシクの背後に追いついて来たトンツェンとツェンワがそろって裏返った声をあげた。ゲルシクはため息をつく。
「なんだ、おまえらはわかっていなかったのか。ニャムサンどのがあんなことをするわけがなかろう」
「だって、ニャムサンで間違いないってゴーが言っていたじゃないですか」
 おろおろとなりゆきを見守っていたナナムの家来のなかから、ゴーの声がした。
「わたしが言ったのではありません。チャタが言ったのです」
「おなじことだろ?」
 ルコンはチャタを連れて来させた。縛られたまま引き立てられてきたチャタにニャムサンを示しながら、ルコンは言った。
「おまえに命令をしたニャムサンどのはこのひとか」
 チャタは即座に言った。
「いいえ。まったく違う方です。もっとお年を召して、目が細く、鼻が低く、丸い顔をした尚論でした」
 ニャムサンが頬を膨らませる。
「なんだい、それ」
 ルコンは言った。
「おそらくレン・トクジェだ。おまえの名を騙ってチャタにわたしたちの殺害を命じたのだ」
「なんでオレを巻き込むんだよ」
「ことが露見しても自分たちに嫌疑がかからないようにだ。大相が言うには、おまえは『ならず者』らしいからな。おまえならやりかねんと世間も納得すると考えたのだろう」
「失礼しちゃう」
「ニャムサンじゃないのは分かっていたとしても、どうして大相が犯人だってわかっていたのですか?」
 ツェンワが訊くと、だいぶ落ち着いて来たゲルシクが答えた。
「北原からの帰途に、儂らは一度襲われているのだ。下手人は取り逃がしたから確証はなかったのだが、大相が一番怪しいとにらんではおった。しかしルコンどのが放っておけとおっしゃるから……」
「わたしを取り込む方向に手を変えたように見えたからな。あのまま静かにしているなら害はないと思ったのだ。しかし、こんなことになるならはっきりとさせておいた方がよかった。無駄に兵のいのちをなくさずにすんだのに」
 鳳翔での挟み撃ちで、一万近くの兵が犠牲になった。ルコンとゲルシクの沈痛な表情を見て、ラナンも胸が痛んだ。
「で、ニャムサンはどうして大相がそんなことを企んでいることを知ったのです? どうやってここまで連れて来たんですか?」
 ツェンワが訊くと、ニャムサンは肩をすくめた。
「オレはあいつが小父さんたちを陥れようとしていたことなんか全然知らなかったんだ。ただ、寺の工事の妨害をしているだろうとにらんでいた。小父さんたちが唐に攻め入る直前くらいに、ナナムの牢で捕まった盗賊たちが『自分たちは大相の命令で動いている者だから釈放しろ』って主張しているって報告が届いた。一族のほとんどはいくさの準備で不在だったから、オレに連絡が来たのさ。で、確かめに行った。案の定、ヤツらは大相に命じられて、寺の資材を川に投げ込んだことを告白したよ」
「それで、なんでルコンどのとゲルシクどのを襲ったヤツと同一犯だってわかったんだ。普通、自分からさらに罪を重くするような告白はしねぇだろ」
 トンツェンが疑わしそうな顔で言う。ニャムサンはフンと鼻で笑った。
「あいつらが『自分たちは大相の部下だ。大相のために働いているのだから釈放しろ』って言い張るから、ナナムの牢から大相に連絡を入れさせたんだ。そうしたら大相からは『そんなヤツらのことは知らない。大相の名を騙る不届き物は早々に死罪にせよ』っていう至極アッサリとした返事が返って来た。まあ、当然だよな。ナツォクが力を入れている事業の邪魔をしていたことが分かったら、大相を罷免させられるだけじゃすまないだろうし。だけど、その返事を聞いた盗賊どもは大相に裏切られた怒りのあまり、小父さんたちを襲った件も口走ったんだ。で、オレはそれを知らせて大相とトクジェをオレの館に呼び出した。オレも協力者になると思わせたら全部認めたんで、眠り薬の入った酒を飲ませて捕まえたんだ」
 ニャムサンが、視線をラナンに向ける。
「勝手なことして悪かったな。いくさに行っているとはいえ、おまえには事後報告になっちゃった」
 ラナンはなぜ謝罪されたのかが分からなかった。よほどぼうっとした顔をしていたのだろう、ニャムサンは呆れた顔を見せる。
「あのな、おまえはナナムの家長なんだよ。親族や家来に好き勝手やらせてたらダメだ。そろそろ自覚を持てよ」
「はい、すみません」
「だから、軽々しく謝罪するなって」
 笑うニャムサンに、ルコンは言った。
「好き勝手にやって手を焼かせてばかりのおまえが、利いた風な口を聞くな。さて、大相ご本人に事情をお伺いしようか。どこにいらっしゃるのだ」
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