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第三章
そのころニャムサンは…… その2
しおりを挟むニャムサンは、都を見下ろす小高いマルポ山のてっぺんにある宮殿の中庭を歩いていた。もうすぐ正午になる。政務に励む尚論たちが、仕事をひと段落させる時間だ。
中庭は主要省庁に面している。ニャムサンは、うっかりイヤなヤツに会わないよう、いつもなら尚論たちが多く行き来する中庭を通るのは避けていた。ツェンポに会いに行くときは、細い回廊を縫うようにして遠回りし、宮殿の裏の壁を登って三階にあるツェンポの私室の窓に直接入る。
まあ、いまはナナムの叔父たちをはじめとする『イヤなヤツ』の多くはいくさに行っているから行合う心配はない。
ニャムサンはブラブラと歩いて大相府の入り口で警備している衛兵に近づいて行った。衛兵たちは子どもの頃からニャムサンの遊び相手だったから、お互い気安く接している。衛兵のほうからニャムサンに声をかけてきた。
「こんにちは、ニャムサンさま。こんなところでお会いするなんて珍しいですね」
「よお、大相さまはいるかい?」
衛兵は目を丸くした。
「おやおや、どういう風の吹き回しですか? レン・ナンシェルはなかにいらっしゃいますよ。御用事でしたらお取次ぎいたします」
「いや、これを渡してくれればいいよ」
ニャムサンは衛兵に手紙を渡した。
「大相さまが帰るときでいいから」
「でももうお午ですから、すぐに出ていらっしゃると思いますが」
「いいの、いいの。頼んだぜ」
衛兵の手の平に唐銭を一枚乗せると、衛兵は目を輝かせて「お任せください」と胸をたたいた。
手紙で指示したとおり、夜も更けたころに青ざめたナンシェルと彼の側近トクジェはふたりきりでニャムサンの館を訪ねて来た。
客間で対面したニャムサンが「こんばんわ」と珍しくまともな挨拶をしたというのに、ナンシェルはそれに応えず、唇を震わせながら昼間衛兵に渡した手紙を懐から取り出した。
「これはどういう意味ですか」
「書いてある通りだよ。ナツォクが知ったらただじゃすまないよなぁ」
「なんのことだかサッパリわかりません。つまらぬことを言いふらすなら、こちらにも考えがありますぞ」
「言いふらしてないじゃないか。親切に、こんなことを言っているヤツがいるってこっそり教えてやったんだろ」
ニヤニヤと笑うニャムサンに、食って掛かったのはトクジェだった。
「なんだ、その態度は。大相に対して非礼であろう。分をわきまえろ」
「オレはいつでも誰に対してもこうなんだよ。たとえゲルシクのおっさんにだってな」
ゲルシクの名に、ナンシェルはおびえるように身体を固くしたが、トクジェはひるむことなくナンシェルの手から手紙をひったくると、ニャムサンの胸にたたきつける。手紙はフワリとふたりの間に落ちた。
「陛下の御寵愛を盾に好き勝手にふるまっておられるが、そんなうつけた態度だからシャン・ゲルツェンのような昼行燈に家督を奪われるのだ。そのうえ、盗人どもの証言を信じてこのような世迷言で大相を脅そうとは見下げた愚か者め」
「おいおい、オレはともかく、ラナンをバカにするのか? ナナムにケンカを売るとはいい根性してるなぁ」
ニャムサンは書状を拾い、開いてトクジェの目の前に突き付けた。
「ところで、〝盗人ども〟なんてどこに書いてあるんだい」
トクジェが息をのむのが分かった。ニャムサンは笑みを浮かべながら、トクジェをにらむ。
「オレは、うちの牢にいるヤツがこんなことを言っているって書いただけだぜ。盗人だの、複数いるだの書いてない」
「ろ、牢に入れられるぐらいだから、盗人だと思ったのだ。どもとはつい勢いで……」
「ふん。そんなことどうでもいいや。なあ、腹を割って話し合わないか。オレはあんたたちを脅すつもりはない。あんたたちと協力し合いたいんだ」
「協力だと?」
目を細めて、怯え切っているナンシェルの目の中を覗きこむ。
「そうさ。協力してくれるなら、ヤツらに命じて寺の工事を妨害していたことを黙っていてやる。それに、オレもあのふたりが目障りでしょうがないんだ。いつまでもガキみたいに説教されたくないんだよ」
「な、なんの話だ……」
目を泳がせるナンシェルに、顔を寄せる。
「腹を割って話そうって言ってるだろ。あんたがオレを嫌っているのは知ってるよ。正直に言えば、オレだってあんたのことは好きじゃない。だけど今回は利害が一致したんだ。こんなときぐらい協力し合ったって損はないだろ。『呉越同舟』ってヤツだよ」
「なんだ、それは。仏とやらの言葉か?」
「違うけど。とにかく、グズグズしてたらみんな帰ってきちまうぞ。絶好の機会を逃す気かい」
ナンシェルが、すがるようにトクジェを見る。トクジェはうなずいた。
「どうしようというのだ」
「だから、それをいまから話し合おうっていうんだ。酒でもやりながらさ」
ニャムサンは、タクに酒肴を持ってくるよう言いつけた。ドサリと床に腰を下ろして、ナンシェルとトクジェにも座るよう促すと、ふたりは素直に床に胡座した。
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