44 / 49
第三章
鳳翔 その4
しおりを挟むみな、全身泥と血で真黒にまみれ、故郷へ向かう坂道を登っていた。騎馬では進めない悪路なので徒歩だ。
ルコンの左にはゲルシク、右にはラナンが歩いていた。
待ちかねていた「いくさらしいいくさ」の後だというのに、ゲルシクの機嫌は悪い。救援に駆け付けたのがラナンだったことに、納得がいかないのだろう。
「なぜシャン・ゲルツェンがいらしたのだ。まさかトンツェンに押し付けられたのではないだろうな」
ゲルシクはルコン越しに、責めるような声色でラナンに尋ねた。
ラナンは細い声で答える。
「トンツェンどのは関係ありません。あの、わたしもよくわからないのです」
「は? はっきりと申されよ」
ラナンが身体をこわばらせるのが分かった。ルコンはゲルシクをなだめる。
「ゲルシクどの、そのような言い方をされては、言いたいことも言えませんぞ」
「そうはおっしゃられても、こんなわけの分からぬことがあるか!」
ますます機嫌を損ねたゲルシクは、声をとがらせる。
「あのぉ、僭越ながらわたしからご説明申しあげてもよろしいでしょうか」
ラナンの背後から声をあげたのは、従者のケサンだった。ゲルシクはケサンをにらみつける。
「おう、家来であろうと遠慮はいらぬ。早く説明してくれ」
「ゴーさんが、ルコンさまの伝令を捕らえまして」
「なに? チャタがラナンどのの陣におったのか?」
驚いたルコンが声をあげると、ケサンはうなずいた。
「はい。われらの陣を通り過ぎようとしたので、ゴーさんが怪しんで話しかけたら逃げようとしたそうです」
「チャタはトンツェンどのに派遣したのだ。ラナンどのの軍はそれより先にいたのであろう」
「あ、そうなんですか? とにかく、国への使者であれば逃げるはずがないということで、ゴーさんは脱走を疑ったようです」
「で、チャタはなんと申したのだ?」
焦れたようにゲルシクが口をはさむ。
「それはわかりません」
「なんだ、結局わからないのか!」
ゲルシクはとうとう激高する。それでもケサンは動じることなくシレッとした顔で言った。
「ゴーさんから捕縛の報告を聞いただけで、殿が陣を飛び出してしまったので」
「なんでそんなことを?」
再びゲルシクに目を向けられたラナンは小さく身体を縮めながらもゲルシクの顔をしっかりと見て答えた。
「なんとなく、おふたりが心配になってしまって。これから帰るだけなのに脱走するなど、おかしいと思ったのです」
ラナンが馬に飛び乗って駆けて行ってしまったので、ケサンは急いで回りにいた数人の兵たちとともに馬に乗り、旗を掲げさせてあとを追った。途中トンツェンとツェンワの陣にぶつかったが、説明している暇がない。そのまま通り抜けた。ようやくラナンに追いつくと周囲にいた兵を集めて五百騎程を整え、十日かけて進軍した坂道を二日で一気に下り、その勢いで呂日将の隊に突っ込んだのだという。
「なんと無謀なことをなさるのか」
ルコンは笑い出すと、ラナンは顔を赤らめてうつむいた。
「申し訳ございません」
ゲルシクは表情をやわらげた。
「なるほど、そうであったか。まあ、こたびはおかげで助かったのだから礼を申す。だがシャン筆頭尚論として軽率すぎる行動ですぞ。ナナムは陛下の最も身近で国を支えねばならぬ家だ。その家長の自覚をもっていのちを大切にされよ」
ゲルシクが言うと、ラナンは目を見張ってゲルシクの顔を見つめた。
「なんだ。どうされた」
「お認めくださるのですか?」
「なにをおっしゃっているのだ。儂が認めようが認めまいが、立派に務められてらっしゃるではないか」
「殿はゲルシクさまに認めていただきたいのですよ」
ケサンが言い添えると、ゲルシクは心外だというようすで言った。
「はじめから認めておるぞ。資格のない者に、陛下が家督相続のお許しをくださるわけがないではないか」
「えー、とてもそうは見えませんでしたけどねぇ」
ケサンのからかうような調子に、ルコンは吹き出してしまう。ゲルシクはムキになった。
「認める、認める。認めておる。何度でも言ってやるぞ。おや、なんで泣いておられるのだ、シャン・ゲルツェン。認めると申すのに」
ラナンは袖に顔を埋め、泣きじゃくっていた。ルコンが背をなでてやると、しゃくりあげながら途切れ途切れに言う。
「ありがとうございます。それにふさわしい者となるよう、努力いたしますので、これからもよろしくご教示くださいませ」
ゲルシクは眉を下げた。
「だから、もうふさわしい者だと言っておるではないか。まるで儂がいじめているようだ。勘弁してくだされ」
「はい、申し訳ございません」
ラナンは顔をあげると、涙を流しながらクシャクシャの笑顔を見せた。
「あ、でも、チャタをどうしたらいいか殿もわたしも全然指示してきませんでした。大丈夫でしょうか」
不安げな顔になるラナンとケサンに、ルコンは言った。
「ゴーはこのようなときにはどうしたらいいかよく心得ているから心配はいらない」
「そうだな」
ゲルシクが、苦虫をかみつぶしたような顔で顎を引いた。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
ナナムの血
りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(チベット)
御家争いを恐れ、田舎の館に引きこもっていたナナム・ゲルツェン・ラナンは、ある日突然訪ねて来た異母兄ティ・スムジェによってナナム家の家長に祭り上げられる。
都に上り尚論(高官)となったラナンは、25歳になるまで屋敷の外に出たこともなかったため、まともに人と接することが出来なかった。
甥である王(ツェンポ)ティソン・デツェンや兄マシャンの親友ルコンに助けられ、次第に成長し、東方元帥、そして大相(筆頭尚論)となるまでのナナム・ゲルツェン・ラナン(シャン・ゲルツェン:尚結賛)の半生を書きました。
参考文献はWebに掲載しています。
遺恨
りゅ・りくらむ
歴史・時代
内大相ゲンラム・タクラ・ルコンと東方元帥チム・ゲルシク・シュテン。
戦友であるふたりの間には、ルコンの親友である摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの存在がいまだ影を落としていた。隣国唐で勃発した僕固懐恩の乱をめぐるルコンの対応に不信感を抱いたゲルシクの内で、その遺恨が蘇る。
『京師陥落~ ཀེང་ཤྀ་ཕབ།』で長安を陥落させた吐蕃最強バディのケンカは、ツェンポ・ティソン・デツェンとナナム・ゲルニェン・ニャムサン、そして敵将呂日将まで巻き込む騒動に発展して……。
と書くほどの大きなお話ではありません😅
軽く読んでいただければー。
ボェの国の行政機構などについて今回は文中で説明していませんので、他の作品を読んでいない方は本編前の説明をぜひご覧ください。
(わからなくても読めると思います。多分)
摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚
りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(現チベット)。古い神々を信じる伝統派と仏教を信じる改革派が相争う宮殿で、改革派に与する国王ティデ・ツクツェンが暗殺された。首謀者は伝統派の首領、宰相バル・ドンツァプ。偶然事件を目撃してしまったナナム・ニャムサンは幼馴染で従兄弟の太子ナツォクを逃がそうとするが、ドンツァプと並ぶ伝統派の実力者である伯父ナナム・マシャンに捕らえられ、ナツォクを奪われる。王宮に幽閉されたナツォクを助けるためニャムサンは、亡き父の親友ゲンラム・タクラ・ルコン、南方元帥グー・ティサン、東方元帥チム・ゲルシクと協力し、ナツォクの救出に奔走する。
民間伝承のような勧善懲悪ストーリではなく出来るだけ史実に沿うよう努力しています。参考文献は自分のWebサイトで公開中です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
妖刀 益荒男
地辻夜行
歴史・時代
東西南北老若男女
お集まりいただきました皆様に
本日お聞きいただきますのは
一人の男の人生を狂わせた妖刀の話か
はたまた一本の妖刀の剣生を狂わせた男の話か
蓋をあけて見なけりゃわからない
妖気に魅入られた少女にのっぺらぼう
からかい上手の女に皮肉な忍び
個性豊かな面子に振り回され
妖刀は己の求める鞘に会えるのか
男は己の尊厳を取り戻せるのか
一人と一刀の冒険活劇
いまここに開幕、か~い~ま~く~
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
北宮純 ~祖国無き戦士~
水城洋臣
歴史・時代
三国時代を統一によって終わらせた晋(西晋)は、八王の乱と呼ばれる内紛で内部から腐り、異民族である匈奴によって滅ぼされた。
そんな匈奴が漢王朝の正統後継を名乗って建国した漢(匈奴漢)もまた、僅か十年で崩壊の時を迎える。
そんな時代に、ただ戦場を駆けて死ぬ事を望みながらも、二つの王朝の滅亡を見届けた数奇な運命の将がいた。
その名は北宮純。
漢民族消滅の危機とまで言われた五胡十六国時代の始まりを告げる戦いを、そんな彼の視点から描く。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる