38 / 49
第三章
宴の終わり その1
しおりを挟む
マシャンとツェテンが肩を並べて手を振っている。
ツェンポの命を受け唐へ向かうルコンを、都の入り口まで見送りに来たのだ。ルコンも、兄弟も、まだあどけなさが残る十七歳の顔だった。
異母兄弟でありながら双子のようによく似た兄弟を一目で見分けられるのはルコンだけだ。マシャンよりツェテンの方がわずかに唇が厚い。それが兄よりも柔らかな表情をもたらしていた。
やはりニャムサンはどちらかといえば父に似ているのだな。
思ってから、ルコンは違和感を感じる。
ニャムサンはまだ生まれていないだろう。
いや、それどころか、自分で自分の顔を見ているではないか。
ああ、これは夢なのだ。
ふたりとも、もう、この世にはいないのだから。
ふたりが背中を見せて立ち去って行く。
おいて行かないでくれ。
手を伸ばしかけたとき、盛大な鐘と鬨の声がルコンを現世に引き戻した。
長安に到着してから十五日目の真夜中だった。
ルコンが宿所から飛び出すと、同じく騒音にたたき起こされた都人たちが通りを右往左往していた。住人のひとりを捕まえてなにが起こっているのかと聞くと、震える声が答えた。
「郭令公の軍が到着したとみんな言っています。ものすごい大軍だそうです」
ゲルシクの宿所に駆け付けると、ゲルシクは門前で馬を引いてルコンを待ち構えていた。すでに兵たちはいつでも動けるよう、城外に集合させている。ふたりが到着すればすぐに出発することが出来るだろう。
郭子儀の夜襲だという噂を話すと、ゲルシクはカカと大笑した。
「夜襲の前に、わざわざ鳴り物で起こしてくれるのか。郭子儀というのは親切な男だな」
ルコンは肩をすくめた。
「まったくですな。まあ、少ない人数でわれわれを追い出そうと苦心して考えたのでしょう。トンツェンとツェンワもだいぶ進んでいることだろうし、お望みどおり帰ってやるとしますか」
「唐主はどうされる」
「お覚悟を決めてらっしゃるのです。このままお別れいたしましょう。陛下には広武王さまのお気持ちを尊重した旨釈明いたします」
「無理にでもお連れした方がよいのではないか。殺されてしまってはあまりにもお気の毒だ」
性根の優しいゲルシクは、興化坊での一件以来、李承宏にひどく同情していた。
「侍中の苗晋卿さまが、助命の口添えをしてくださります。あとは運を天に任せるしかござらん」
「いつの間に苗晋卿とそんな約束を交わしてらしたのだ」
ふたりは大明宮の方向に深々と礼をして、馬を走らせた。
軍が出発すると、長安城のうちに火の手があるのが見えた。
「なんと、自分たちで自分たちの都を焼くのか」
ゲルシクがあきれた声を上げる。
追撃はなかった。ルコンとゲルシクの率いる一千騎の精鋭騎馬隊を含む三万の軍は、ゆうゆうと西に向かって進軍して行った。
背中を朝日が照らしだしたとき、ルコンはハッとして声をあげた。
「そういえば、高暉どのはどうされたかな」
しばらく顔を見ていなかったので、うっかりその存在を忘れていたのだ。ゲルシクは眉を上下させた。
「先の唐主を捕らえ宦官どもを皆殺しにするなどと身の程知らずのことを申して、何日か前に勝手に出て行きましたぞ。今頃は捕まって殺されているのではありませんか。自業自得にござろう。ルコンどのが気に掛けることはない」
ゲルシクは高暉のことが嫌いだった。
ツェンポの命を受け唐へ向かうルコンを、都の入り口まで見送りに来たのだ。ルコンも、兄弟も、まだあどけなさが残る十七歳の顔だった。
異母兄弟でありながら双子のようによく似た兄弟を一目で見分けられるのはルコンだけだ。マシャンよりツェテンの方がわずかに唇が厚い。それが兄よりも柔らかな表情をもたらしていた。
やはりニャムサンはどちらかといえば父に似ているのだな。
思ってから、ルコンは違和感を感じる。
ニャムサンはまだ生まれていないだろう。
いや、それどころか、自分で自分の顔を見ているではないか。
ああ、これは夢なのだ。
ふたりとも、もう、この世にはいないのだから。
ふたりが背中を見せて立ち去って行く。
おいて行かないでくれ。
手を伸ばしかけたとき、盛大な鐘と鬨の声がルコンを現世に引き戻した。
長安に到着してから十五日目の真夜中だった。
ルコンが宿所から飛び出すと、同じく騒音にたたき起こされた都人たちが通りを右往左往していた。住人のひとりを捕まえてなにが起こっているのかと聞くと、震える声が答えた。
「郭令公の軍が到着したとみんな言っています。ものすごい大軍だそうです」
ゲルシクの宿所に駆け付けると、ゲルシクは門前で馬を引いてルコンを待ち構えていた。すでに兵たちはいつでも動けるよう、城外に集合させている。ふたりが到着すればすぐに出発することが出来るだろう。
郭子儀の夜襲だという噂を話すと、ゲルシクはカカと大笑した。
「夜襲の前に、わざわざ鳴り物で起こしてくれるのか。郭子儀というのは親切な男だな」
ルコンは肩をすくめた。
「まったくですな。まあ、少ない人数でわれわれを追い出そうと苦心して考えたのでしょう。トンツェンとツェンワもだいぶ進んでいることだろうし、お望みどおり帰ってやるとしますか」
「唐主はどうされる」
「お覚悟を決めてらっしゃるのです。このままお別れいたしましょう。陛下には広武王さまのお気持ちを尊重した旨釈明いたします」
「無理にでもお連れした方がよいのではないか。殺されてしまってはあまりにもお気の毒だ」
性根の優しいゲルシクは、興化坊での一件以来、李承宏にひどく同情していた。
「侍中の苗晋卿さまが、助命の口添えをしてくださります。あとは運を天に任せるしかござらん」
「いつの間に苗晋卿とそんな約束を交わしてらしたのだ」
ふたりは大明宮の方向に深々と礼をして、馬を走らせた。
軍が出発すると、長安城のうちに火の手があるのが見えた。
「なんと、自分たちで自分たちの都を焼くのか」
ゲルシクがあきれた声を上げる。
追撃はなかった。ルコンとゲルシクの率いる一千騎の精鋭騎馬隊を含む三万の軍は、ゆうゆうと西に向かって進軍して行った。
背中を朝日が照らしだしたとき、ルコンはハッとして声をあげた。
「そういえば、高暉どのはどうされたかな」
しばらく顔を見ていなかったので、うっかりその存在を忘れていたのだ。ゲルシクは眉を上下させた。
「先の唐主を捕らえ宦官どもを皆殺しにするなどと身の程知らずのことを申して、何日か前に勝手に出て行きましたぞ。今頃は捕まって殺されているのではありませんか。自業自得にござろう。ルコンどのが気に掛けることはない」
ゲルシクは高暉のことが嫌いだった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー
長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。
『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。
※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。
ナナムの血
りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(チベット)
御家争いを恐れ、田舎の館に引きこもっていたナナム・ゲルツェン・ラナンは、ある日突然訪ねて来た異母兄ティ・スムジェによってナナム家の家長に祭り上げられる。
都に上り尚論(高官)となったラナンは、25歳になるまで屋敷の外に出たこともなかったため、まともに人と接することが出来なかった。
甥である王(ツェンポ)ティソン・デツェンや兄マシャンの親友ルコンに助けられ、次第に成長し、東方元帥、そして大相(筆頭尚論)となるまでのナナム・ゲルツェン・ラナン(シャン・ゲルツェン:尚結賛)の半生を書きました。
参考文献はWebに掲載しています。
摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚
りゅ・りくらむ
歴史・時代
8世紀中頃のボェの国(現チベット)。古い神々を信じる伝統派と仏教を信じる改革派が相争う宮殿で、改革派に与する国王ティデ・ツクツェンが暗殺された。首謀者は伝統派の首領、宰相バル・ドンツァプ。偶然事件を目撃してしまったナナム・ニャムサンは幼馴染で従兄弟の太子ナツォクを逃がそうとするが、ドンツァプと並ぶ伝統派の実力者である伯父ナナム・マシャンに捕らえられ、ナツォクを奪われる。王宮に幽閉されたナツォクを助けるためニャムサンは、亡き父の親友ゲンラム・タクラ・ルコン、南方元帥グー・ティサン、東方元帥チム・ゲルシクと協力し、ナツォクの救出に奔走する。
民間伝承のような勧善懲悪ストーリではなく出来るだけ史実に沿うよう努力しています。参考文献は自分のWebサイトで公開中です。
遺恨
りゅ・りくらむ
歴史・時代
内大相ゲンラム・タクラ・ルコンと東方元帥チム・ゲルシク・シュテン。
戦友であるふたりの間には、ルコンの親友である摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの存在がいまだ影を落としていた。隣国唐で勃発した僕固懐恩の乱をめぐるルコンの対応に不信感を抱いたゲルシクの内で、その遺恨が蘇る。
『京師陥落~ ཀེང་ཤྀ་ཕབ།』で長安を陥落させた吐蕃最強バディのケンカは、ツェンポ・ティソン・デツェンとナナム・ゲルニェン・ニャムサン、そして敵将呂日将まで巻き込む騒動に発展して……。
と書くほどの大きなお話ではありません😅
軽く読んでいただければー。
ボェの国の行政機構などについて今回は文中で説明していませんので、他の作品を読んでいない方は本編前の説明をぜひご覧ください。
(わからなくても読めると思います。多分)
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
黄昏の芙蓉
翔子
歴史・時代
本作のあらすじ:
平安の昔、六条町にある呉服問屋の女主として切り盛りしていた・有子は、四人の子供と共に、何不自由なく暮らしていた。
ある日、織物の生地を御所へ献上した折に、時の帝・冷徳天皇に誘拐されてしまい、愛しい子供たちと離れ離れになってしまった。幾度となく抗議をするも聞き届けられず、朝廷側から、店と子供たちを御所が保護する事を条件に出され、有子は泣く泣く後宮に入り帝の妻・更衣となる事を決意した。
御所では、信頼出来る御付きの女官・勾当内侍、帝の中宮・藤壺の宮と出会い、次第に、女性だらけの後宮生活に慣れて行った。ところがそのうち、中宮付きの乳母・藤小路から様々な嫌がらせを受けるなど、徐々に波乱な後宮生活を迎える事になって行く。
※ずいぶん前に書いた小説です。稚拙な文章で申し訳ございませんが、初心の頃を忘れないために修正を加えるつもりも無いことをご了承ください。
鉄と草の血脈――天神編
藍染 迅
歴史・時代
日本史上最大の怨霊と恐れられた菅原道真。
何故それほどに恐れられ、天神として祀られたのか?
その活躍の陰には、「鉄と草」をアイデンティティとする一族の暗躍があった。
二人の酔っぱらいが安酒を呷りながら、歴史と伝説に隠された謎に迫る。
吞むほどに謎は深まる——。
黄金の檻の高貴な囚人
せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。
ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。
仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。
ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。
※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129
※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません
https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html
※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる