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第二章
進軍 その6
しおりを挟む波のように攻撃を繰り返した。
しかし攻めても、退いて誘っても、敵は動こうとしない。その背後では続々と吐蕃の兵が渭水を渡って来る。
当てが外れた。
渭北行営兵馬使呂日将はほぞをかんでいた。
先鋒が渡河し終わったところで、奇襲を仕掛けた。いかな大軍でも渡河が終わらぬ兵は兵力にはならない。数の上で互角なら、配下の軽騎兵のほうが圧倒的に強い。恐怖の伝染は大軍であるほど収拾がつかなくなる。上手くいけば数百里後退させられる。最低でも、副元帥郭子儀が都を守る体制を整えるまで足止めできれば……。
しかし、その意図はすっかり読まれていたようだ。
夜襲の仇を打とうと闇雲に反撃してくると思っていた吐蕃の先鋒は、河を渡り終わると直ちに馬防柵で守りを固めた。
少しでも穴を開くことが出来ればそこから突入し、敵を乱すことができる。
しかし頑丈な馬防柵とその間から繰り出される長槍が接近の妨げになって、わずかに守備が緩んでも、次の攻撃にもたついている間にまた守りを固められてしまう。
カッと頭に熱が籠もる。それを発散するように、呂日将は怒号をあげ、部下を励まし続けた。
気がつくと、吐蕃兵は三分の一ほど渡河を完了している。
相手が反撃を開始すれば、とてもかなわないだろう。
呂日将は死を意識した。
ならば、せめて、ヤツらと雌雄を決して死にたいものだ。
おとといの夜襲で自分を迎え撃った吐蕃の騎馬隊。あれだけ機敏に動ける騎兵が吐蕃にいるとは知らなかった。
呂日将は伸び上がって、果てしなく続く敵兵の海を眺め渡した。騎馬兵も見えるが、馬もひとも、あの夜のような動きが出来るような精鋭には見えない。
どこにいる。
不意に、嫌な予感が背骨を這いあがり、胃の腑がキュッと縮んだ。
まさか。
「脇を固めろ!」
呂日将が叫んだ、その瞬間、左翼に衝動が走った。『呂』の旗が大きく揺れ、倒れる。衝撃は左から右に突き抜け、隊を真っ二つにした。
やられた!
己の不覚を呪いながら、部下をひとつにまとめようと、無我夢中で声をあげる。
敵将がこちらに突っ込んでくるのが見えた。
呂日将は戟を握り直して駆けだす。馳せ違う直前に振り下ろした戟は、相手の剣にはじき返されていた。素早く馬を返すと、相手も振り返った。
その背後で、先ほどまで守りを固めていた先鋒が馬防柵を捨てて反撃を開始する。
敵将は穏やかに微笑んで、なめらかな唐語で言った。
「わたしは馬重英。この軍の総司令です。お見知りおきを」
二十万の兵を率いる総司令自ら奇襲を?
唖然とする呂日将に、馬重英は言った。
「寡兵にて、大軍に果敢に挑むその勇に感銘いたした。ご尊名をうかがいたい」
「渭北行営兵馬使呂日将だ」
名乗りながら、呂日将は強く戟を握りしめる。一太刀でも相手に与えることは出来るか。
「将軍!」
左半身を赤く染めた副将の楊志環が駆け寄って来た。深傷を負ったのか、肩で息をしている。その後ろに、部下たちが集まり始めている。生き残ったのは半数の千騎ほど。みな多かれ少なかれ傷を負っているようだった。グズグズしていれば、彼らもすべて討たれてしまう。
無駄死にか。
呂日将は天を仰いで吠えた。
「退くぞ」
東へ逃げる呂日将に、馬重英と精鋭騎馬隊が追撃してくることはなかった。
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